第13話 傷と虚飾


 夕暮れ時の街は賑わっていた。普段から活気が絶えない街ではあるが、今はより一層の盛り上がりを見せている。

 これでまだ祭りの前日だというのだから、当日の熱狂は推して知るべしといったところだろう。


 ただでさえ多種多様な店が立ち並ぶ大通りは、これまた多くの屋台やら出店の準備でごった返し、更にカラフルに街を染め上げる。

 ここのところ季節外れの寒さが続いているが、明日になれば更に増した熱気が寒さを忘れさせてくれるだろう。


 そんな街全体が笑い声を上げているかのような陽気な空気の中、人混みに埋もれながらアキは無言で歩いていた。

 赤い外套に口元を埋め、喧騒など見向きもせずに足を動かす。

 ここはどこだろうか、ギルドを出てから、どうやってここまで歩いてきたのかを覚えていない。

 今足を動かしているのはただの惰性だ。歩き始めて、そのまま歩いているというだけのこと。何の目的もありはしない。


 頭の中を、先ほどまでの会話が何度も巡る。話の内容は覚えているのに、それを何度も繰り返してしまう。まるで壊れた発条仕掛けのおもちゃのように。

 そうやって現実逃避の歩みを続けている時、前方からすっかり聞き慣れた声がした。


「大丈夫? 暗い顔してるよ」


 のろのろと顔を上げる。はたしてそこには、アークが立っていた。 その顔を見て、ようやく思考のループが止まる。 その代わり、濁流のように押し寄せた感情が頭を埋め尽くした。


「……よう。さっきぶり」


 ああ。今会いたくはなかったな。





 ◆





「死ぬ……?」


 先ほどまでの話も十分アキの想像を超えていたが、その言葉もまた想像の外にあった。死ぬ? 一体誰が、何故?


「そうだ」


 混乱するアキに対し、ギルド長の声にはブレがない。 その揺るがなさがアキを現実へと引き戻し、遅れて正しく言葉を認識する。それと同時に、昼間見たアークの様子を思い出した。まさか、あれは何か重い病気だったのか。


 今この瞬間ベッドの上で冷たくなっているアークを想像し、一気に血の気が引いた。


「……っ!」


 一も二もなく立ち上がり、飛び出そうとするアキ。しかし、ギルド長がそれに待ったをかける。


「待て」

「だけど、アークが! そうだ、元々それを言いに来たんだ! クソ、早く行かないと!」

「落ち着け。だいたいわかった」

「わかったって、何がだよ!」

「落ち着けって言ってんだろうが」

「がっ!?」


 ごつっ、と頭に衝撃。刀の鞘で額を小突かれた。堪らず目尻に涙を浮かべて踞る。


「何すんだ……!」

「話を開かねえからだボケ」


 そう言ってを手に鞘を持ったままでいる姿は、同じことをすればこちらまた同じ手段に出ると暗に示しているのだろう。痛みで少し冷静さが戻ったこともあって、渋々ではあるがギルド長の言うことを聞きその場に留まる。


「こっちも言い方が悪かったがな。もうじきとは言っても今すぐって話じゃねえ。恐らく数年先の話だ」

「そ、そうなのか? いや、だとしても」

「まあ待て。その反応からして、あいつは今体調崩してんだろう」

「そうだよ。元々それを伝えに来たんだ。なあ、死ぬってなんだよ。あれはヤバい病気なのか?」

「病気ではねえ。が、あれが原因ってのは合ってる。……なあ、あいつの身体能力についてどう思う?」

「どうって……すごいとしか言いようがない、 かな。結構色んな種族に会ったつもりだけど、あんなのは初めて見た」

「だろうな。だが、あれで相当力が落ちてると言ったら?」

「……は?」


 思わず、といった具合に間の抜けた声を漏らす。力が落ちている? あれだけ圧倒的な身体能力を発揮しておいて?


「信じられねえって面してるがな、事実だよ。昔のあいつはあんなもんじゃなかった」

「……冗談みたいな話だ」

「魔族に等しい力ってのはそういうことだ。単一種族で世界と敵対したやつらだぞ」


 つまり実際の魔族というのは、今のアーク以上の力を持っている上に種族単位で数がいるということか。過剰に反応する連中が湧いてくるのも納得しかねない話だ。認める気などさらさらないが。


「実際、あいつは昔に比べて相当力が落ちてる。今でも十分高いせいでわかりにくいがな。理由は実験の失敗だ」

「失敗って、成功したんじゃなかったのか」

「不完全だったんだよ。さっき言った通り、身体能力はともかく、魔族最大の売りである魔術は一切使えねえ。それは実験が中途半端に成功しちまったからだ。とんでもねえ量の魔力を身に着けたのはいいが、元は神とかいう、文字通り別次元の存在から無理矢理引っ張ってきた物だ。こぼれないよう器に注ぐのが精一杯で、そこから魔術っていう器に移し変えることができない」

「なんとなくわかったけど……それだけ聞くと魔術が使えないってこと以外、特に問題がないように思えるんだが」

「普通なら入らない所に無理矢理注いだ物だ。当時の馬鹿共が何を考えてたかは知らんが、いじったとは言え人間の身体に、土地からパスを通じて常に合わない魔力を送り込まれてる状態だ。何の不具合も起きないわけがねえ。しかも身体が変質しちまってるから、パスを切るとむしろ魔力不足で悪化する。そのせいでこの街に縛りつけられて外に出ることもできない上、体質を改善しようにも奇跡的に築かれたバランスの結果が今の状態だ。変にバランス崩れると更に悲惨なことになる」


 まとめると、だ。アークの身体の中にある魔力は、元は自分の物ではないから扱いにくく、身体能力は強化されたが魔術は使えない。しかも、なまじ成功に似た失敗を得てしまったせいで、常に負荷が掛かった状態になっている。


 例えるなら、ガラスのコップに絶えず熱湯を流し込み続けているようなものだろうか。今のままでは永く保つわけがないが、かと言って熱湯を注ぐことをやめれば急激な冷却でコップが割れる。コップ自体を強化しようにも、手を出せばその僅かな衝撃ですら致命的な結果を引き起こしかねない。

 まさに八方塞がり。神にすがりかねない状況だ。


「……ひどい話だ」


 アキがそう一人ごちるのも無理のない話だ。ただでさえ人体実験などと言う胸糞悪い話を聞いた直後に、その後遺症にさえ縛られている少女がいるというのだから。


「それでも、今までの状態を考えるとあと一〇年は保つはずだった。今も何もしてないわ けじゃねえ。信慣できるメンバーで改善の手段は探ってる……だが、状況が変わっちまった」

「例の襲撃か」

「そうだ。数ヶ月前からあいつを狙った襲撃犯が急に増えた。今までも魔族に似てるってだけで来る連中はいなくはなかったが、今の数は異常だ。そしてそいつらを撒くなり撃退するなりで普段以上の力を使えば、その分だけ魔力の供給量が増えてあいつ自身の首を絞める」


 その話を開いて思い出したのは、アークが襲撃された直後。つまり、盛大に暴れたアー クを叱りつけるギルド長の姿。

 少しばかり怒りすぎではないかと思っていたが、あの時の反動でアークの寿命が削られているのだとしたら、ギルド長の態度にも頷ける。 それよりも、襲撃された場にいたのに何も知らず、ただ流されていただけの自分の姿を思い出して唇を噛んだ。


「そのせいであいつの身体には今、悪影響が出てる。お前が見たようにな。もう身体の芯からガタが来てんだ」

「具体的に、どんな症状なんだ。あいつの身体に今、何が起きてるんだよ」


 そう聞いたのは、自分に何かできることはないかという考えがあったからだ。目の前のギルド長ほどでなくとも、アキにも商人としての伝手はある。問題を根っこから解決できる物ではなくとも、アークの身体を少しでも癒すことのできる薬や器具を提供できるかもしれないという思い。


 ……もっとも、本人は気付いていないが、今までの話に心が折れかけ、少しでも希望を見出さないと今にでも潰れてしまうという自己防衛の発露でもあるのだが。


 そして、そんな希望は虚しくも潰される。




「五感が喪われていく。元の能力が高いから分かりにくいが、昔と比べて相当に感覚は落ちている。特に症状が進んでいたのは恐らく味覚……あいつは今、ほとんど味を感じていないはずだ」




 味覚の喪失。



 そう言われて思い出した、地下港での一幕。 吐き出すほどに不味い飴を、美味しそうに頬張っていた少女。


 あの時は味音痴か、さもなくば悪食かと思っていたが、そうではなかったとしたら。

 それだけではない。いつもアキに食事を勧めて、一緒に食べる癖にあっという間に食べ尽 くしてしまう。それが、単なる早食いではなかったとしたら。少年に気を遣わせず、食事中に違和感を感じられないよう、味のしない食事を必死に呑み込んでいたのだとしたら。


 急に倒れたのは地面を踏みしめる触覚が弱っているから。


 こちらの姿を掴みそこねていたのは視覚が弱っているから。


 聴覚についてはわからないが、今の話を聞いた後では自分の声が正しく彼女に伝わっていたのかすらわからない。


 嗅覚だって、匂いを判別しているような口ぶりだったがそれはアキの持つ魔力についてのことだ。味覚が機能していないのだとしたら、それはもはや魔力を感知するだけの器官にすぎないのではないか。


 つまりは、二人は並んで歩いていたが、見ている世界はまるで違ったということ。


 もちろん、その僅かな兆候からそんな状態だと察することなどできなかっただろう。だが、そんなことは関係ない。

 満開の花に満ちた場所が、表面上の美しさに隠され、敷き詰められた死体を餌にした悪趣味な食人花が咲く誰かの墓場だったことに気付いたかのような悪寒。


 吐き気が込み上げた。この街での生活を楽しんでいた、昨日までの自分を殴り倒したかった。

 アキは血と臓物を、それも笑顔で隣を歩く人の身体から零れたモノを踏みつけにして、そんなことにすら気付かず平和を享受していたのだ。


「あいつは、自分がそんな状態だってことを誰にも悟らせないように振舞ってる。だとか考えてる馬鹿だからな。気付いてるのもアタシくらいのもんだろう」


 そう言うギルド長の声はいつになく優しげで、気遣いが感じられる。だが、それがむしろアキの心に突き刺さる。今の自分にそんな言葉をかけてもらう資格などないと、自分自身が感情を掻き回す。


「一〇年あった猶予は残り数年になってる。体質と襲撃についても対策を取り続けちゃいるが、どっちもうまくいってない。最悪のケースを考えるくらいには切羽詰まってる」

「……だからこのタイミングで俺を呼んだのか。最後に、少しでもあいつの未練を晴らすために」

「そうだ」


 反射的に怒鳴りそうになるが、すぐに怒りは喉奥へと引っ込んだ。

 ギルド長は明らかに怒りの矛先を誘導している。それに乗っていては今まで何も知らずにいた時と同じままだ。

 何より、八〇年、八〇年だ。

 人間にとっては一生を終えるに十分な時間だし、クォーターエルフの女傑にとっても、決して軽い時間ではないだろう。

 それだけの時間を共に過ごした相手が、もうじきいなくなろうかという時に何もできない。ならばせめて未練を軽くしてやりたい。その立場を思うと文句の言いようがなかった。


 そして、今何もできないのはアキの方だった。まだ病気の方が対処のしようがあったかもしれない。しかし、五感の喪失……それもこんな特殊な症状とあっては打てる手はないだろう。


 黙り込んだアキに対し、ギルド長はそれ以上説明を続けようとはしなかった。ただ、懐から小さな袋を取り出す。


「事情はこれで全部話した……アタシはこれからアークの家に向かう。こいつは約束してた報酬だ。この後は街を出てもいいし、残ってもいい。あいつに会う会わないもお前の勝手だ」


 努めて悪役ぶるかのような口調を取るギルド長が差し出す小袋を、しかしアキは受け取らなかった。

 何も言わずに踵を返して、元来た道を歩き始める。


 ただ、最後に一つだけ聞きたいことがあって、目だけで振り返って問いを投げた。


「なあ、アークがいつも着てるコート。あれは爺さんの物だったんじゃないか?」


 なんとなくあのコートの正体に目星がついたので聞いてみた。それだけの問いに、ギルド長は黙って頷く。


 そうか、と。千々に乱れた思考を引きずって扉を潜る時、最後にギルド長の声がした。


「……悪かったな」


 ならば何も言わないでくれと、亡霊レイスの遺品に抱きしめられた少女を思いながら扉を閉めた。








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