家族


「……」

「……」


 いつの間にか時間が過ぎていたようで、今日はもう帰れという先輩の声に従って僕らは帰宅の途についていた。僕も斗真もひたすら無言で道を歩く。先輩たちに、ちゃんと挨拶をして帰ってきたかどうかさえ、覚えていない。


 途中、通りかかった公園ではいつまでも遊んでいる子どもたちを母親が呼びに来ている光景が見られた。まだ暗くなるのが遅いから、つい時間を忘れて遊んじゃうんだよな。僕にも覚えがある。僕の親と斗真の親が交代で様子を見に来るものだから、もはや時間を気にすることはなく、迎えが来るそのギリギリまで遊んで毎回二人して怒られてたっけな。


「……懐かしい。俺らよくゲンコツ食らってたよなー」

「そうだな。お前の母さんのゲンコツはマジで容赦なかったし」

「まぁ、俺の母さん元ヤンだから……」


 でも、誰よりも愛情に溢れていた。ゲンコツは痛かったし、毎度この野郎! とか思ってたけど、今にして思えば愛の鞭以外の何物でもないと思う。というか、よくもめげずに毎回怒ってくれたなぁと感謝したいくらいだ。


「でもお前んちの母さんは別の意味で怖かったぞ。俺はむしろそっちのが怖かった」

「ああ……うちの母さんは静かに怒るタイプだからな……」


 一方、僕の母親は声を荒げることも、いつまでも帰らないことをグチグチ言うこともなかった。というかずっと変わらない笑顔で「帰りましょうか」と言いつつ、有無を言わさず僕らを家まで先導した。反抗しなかったのかって? いや、言うことを聞かなきゃヤバイことが起こる予感、みたいなのが子ども心に働いて、ついていかないという選択肢はなかったんだよ。

 それで、最後まで無言を貫き、その笑顔も全く変わらない様子が本当に怖かった。いつも僕らは自分からごめんなさい、と謝ったんだ。


『自分で謝れたんなら、良しとしましょうか』


 それで、毎回その言葉で締めくくる。謝ってなかったらどうなってたのだろうか、と思うと軽く身震いさる。

 思えば母さんは僕らに危険がないかいつも必ず遠くから見ていてくれてた。安全であることを知っていたからこその対応だった気がする。

 そんな母さんのおかげで僕らは謝るという行為がかなりうまくなったと思うんだ。だって、謝るのって結構難しいだろ? それが出来るというのは案外すごいことだったりするから。


 親の愛情というのも形は様々だ。けど、ちゃんとそれが愛情だって、成長した今きちんと理解できているし、受け止められている。それが愛情なのかもしれない。

 本当は血の繋がりがないってわかった今も、僕が両親に感謝する気持ちは変わらない。彼らの口から聞いたとしても、変わらない自信があった。


「……今日、両親に話を聞いてみようと思う」

「……そっか。ま、気楽にな」

「ん。……ありがとな」


 だから、ちゃんと聞いてみようと思うんだ。




「……ただいま」


 いつものように家に帰り、リビングを通り過ぎると、キッチンで夕飯の支度をしている母親の後ろ姿に声をかける。包丁を使っているから母は振り返らずにおかえり、と返事をしてきた。これも割といつものことだ。

 普通、だな。これが僕の日常だ。けど、今日はいつもと違って見えるのは、僕が真実を知ってしまったからなのかもしれない。


「? あら、どうしたの?」


 母親が振り返った時、僕がまだカバンも持ったままそこに立ち尽くしていたからだろう、母は不思議そうに首を傾げて聞いてくる。えっと、と僕は言葉に詰まる。聞いてみようと決意はしたけど、いざその場面になるとうまく言葉が出てこない。


「……まずは着替えてらっしゃい。先にお風呂にも入ってきたら?」

「え……」

「今日はね、お父さんももうすぐ帰ってくるから。一緒にご飯を食べましょう? ……なにか相談があるなら、お父さんもいた方がいいでしょ?」


 母にはなんでもお見通しなんだな、と思った。ちょっと口ごもっただけなのに、僕がなにか悩んでいることを察しての提案だということはすぐにわかった。……うん、母はそういう人だ。些細なことで、すぐに察して、僕が一番欲しいと思う言葉をくれる。母が僕に考える時間をくれるというのなら、僕も母に時間をあげなきゃいけないな、と思った。


「……わかった。母さんも父さんも……僕の両親だってことに変わりはないんだね」

「!」


 この人なら、僕が何を聞きたがっているのか、これだけでわかってくれると思う。できるだけ穏やかに笑って、じゃあお言葉に甘えてお風呂に入ってくる、と言えば、僕が反抗する気がないというのもわかってくれるだろう。ちゃんと、全てを話してくれる。そう信じられた。


 あの一言をスッと言えたおかげで、その後の僕は心穏やかにお風呂に入ることが出来た。夕飯の配膳も手伝えたし、何も知らない父親が帰ってきてもいつも通りおかえり、と出迎えられた。母も母で、いつもと変わらない態度を示してくれている。僕が言った言葉で多少なりとも動揺させてしまっただろうに、それを感じさせないのはやっぱりすごい。


「……ふぅ。食後のお茶も出したことだし、さっそくお話しましょうか」

「ん? 何かあるのか?」


 コトリとテーブルにお茶を並べ、自分も椅子に座ると、母はようやくのんびりと口を開いた。やはり父は何もわかっていない。でもまぁ、この父も大丈夫だろう。おっとりしているけど一家の大黒柱なんだ。いざという時に頼りになる良き父だと思ってる。


「エイジのことについて、よ」

「! ……そうか、そういうタイミングというものは、ある日突然くるものだなぁ」


 予想はしていたけど、本当におっとりしているよな、この夫婦。慌てるところをみたことがないというか。


「もう、高校生だもんな。自分で気付いたのか?」

「えっと……うん」


 どうして知ったのか、とか言われたらちょっと困る。学校の書類で、とかで誤魔化せるだろうか。どんな書類だ? 一人脳内で慌てていたんだけど、


「そうか。なら、俺たちからはきちんと説明するのが筋ってもんだな」


 父も母も、追求することはなく、穏やかにそう言ったのだ。敵わないな、と。そう思わされた。


「エイジがどこまで知っているのかはわからないからね。最初からきちんと話そう」

「そうね……もし、貴方が知っている話と違う部分があったら、それはきっと間違いだから。間違いを本当だと信じ続けられてしまっても悲しいもの」


 違う部分、か。でも、必ずしも両親の言うことが真実ってわけじゃないだろうな。さすがに先輩のこととか魔法のこととかは知らないだろうし。でも、両親が僕を育てることになった経緯というか、両親にとっての「真実」は知っておきたい。僕は黙って頷いた。


「まず……私たち夫婦はね、子どもが出来ないことが最初からわかっていたの。結婚する前からね」

「え……」

「仕方ないのよ。私の身体の問題。この件については吹っ切れているし、貴方という息子がいるのだもの。私、幸せよ?」


 ズキリ、と胸が痛んだ。僕がいて、幸せだと語る母の嬉しそうな顔を見て、どうしようもなく胸が痛い。だって、そうだろ? これでもし僕が、異世界に帰る道を選んでしまったら……この幸せがなくなってしまう。僕という記憶がなくなるから、いないのが当たり前として過ごすのだろうけど……それでも、この幸せという感情まで失われてしまうんだ、と気付いたのだ。


「当時、俺たちは一生二人で生きていこうと決めていたんだよ。子どもがいなくても、幸せに過ごしていけるってね。でも、周囲の同世代夫婦の元に、次々と子どもが生まれていくのを見るのは……少し、いや正直に言うととてもだな。心苦しい思いもしたんだ」

「自分たちで決めたのに、ね。人間っていうのは欲張りなのよ。私だって子どもが産めたらどれだけ幸せかって……何度思ったかしれないわ」


 その度に、母は父に、離婚して貴方は子どもの産める誰かと結婚したっていいのだと告げたという。それに対して父は怒り、何があっても別れるつもりはないと母を叱ったらしい。結局のところ二人の仲の良さがわかったわけだけど、当時は同じことを何度も話し合うことで、精神的にもボロボロだったそうだ。父の母への愛の深さが今となってはよくわかる話だけど、そりゃあその悩みを抱えた真っ最中は苦しかっただろうな。僕には想像しかできないけど。


「そんな時……どちらが言い出したのかまでは覚えていないんだが。養子という選択肢について考え始めたんだ」

「不思議なくらいタイミング良く、まだ赤ん坊だった貴方を引き取らないかという話がうちに来たのよ。なんだか、運命を感じてね? 私たちはすぐに貴方を引き取ることにしたの」


 不思議なくらいタイミング良く、か。そこからは先輩の介入がありそうだ。でも、それによって両親が運命を感じて、僕は今ここにいる。なんだ、結局チカ先輩のおかげじゃないか。今、この幸せがあるのは。


「名前が決まっていないというから、二人してものすごく悩んだの。私たちの小さな王子様。でも、それがそのまま名前になるのはかわいそうかしらねって思って……」

「だから央時と書いて、エイジにしたんだよ」


 もはや名前の由来が王子だったことに驚きを隠せない。でも良く思いとどまってくれた、と感謝するよ。結局、王子呼びが定着してるけどな!


「引き取ってから今まで……色んな苦労があったけれど。子育ての苦労を味わうことができてとても嬉しいわ。貴方は素直に真っ直ぐ育ってくれたし、本当に……幸せよ」

「ああ、エイジ。俺たちの元へ来てくれてありがとうな。確かに血の繋がりはないけれど……家族ってのは、血の繋がりが全てじゃないって、伝わっていたらと思う」


 ああ。うん。そうだよな。


 血の繋がりが全てじゃない。僕もそう思う。けど、血の繋がりを完全に無視することも出来ない。でも今は、僕の方こそ感謝をするべきだ。僕が平和ボケしてのほほんと過ごせているのは──


 実の母親が涙ながらに別れを決意してくれたからで。

 それを引き受けて、無茶をして先輩がここへ連れてきてくれたからで。

 そして、両親が僕を息子として受け入れてくれたからで。


 僕は、ちゃんと考えなきゃいけないんだ。話を聞いた時は、勝手なことを、なんて思いもしたけど、今の僕があるのはそういうたくさんの人たちの助けがあったからだってよく理解したから。


 その上で、僕は僕なりの結論を出さなきゃいけないんだ。


「……伝わってるよ。話してくれて、ありがとう。それと、僕を家族にしてくれて、ありがとう。僕は、幸せ者だ」


 本心からそう言った僕を見て、ホゥっと安堵の息を吐く両親を見た時、彼らが本当は緊張していたのだということを知った。

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