迷子の王子を保護していました

選択肢


 しばらくの間、誰も声を出せなかった。僕もだ。この感情を、何と呼べばいいのかよくわからない。理解出来たような、出来ていないような。話自体はよくわかったけど、それが現実味を帯びていないというか……要するに、今自分の置かれている状況があまりにも突拍子もなさ過ぎて、理解がおいつかないのだ。

 そんな中、沈黙を破ったのは王女、エリカであった。


「対価は……? 世界を渡るための対価は何を差し出したのです!? 私はもともと出来ていた道を辿っただけですから、魔力だけが吸い取られましたけれど……新たに開くのは、とんでもない対価が必要なはずです。いくら貴女の魔力が異常だとしても、魔力だけでは足りないでしょう!?」


 対価。先輩が迷子を元の世界に返すのは、元々は自分が原因であるから本当は対価がいらないらしいことはわかった。でも、基本的に対価というのは必要なんだったよな? そうじゃないと、世界の均衡が崩れるとか何とか。貰いすぎも払いすぎも良くないって話だったはず。エリカの言うことが事実なら、先輩は一体何を……?


「……時間だよ」

「時間……?」


 先輩は困ったように微笑みながら、あっさりと答えた。でも、僕にはそれがどんな意味を持つかわからなくて、思わず聞き返してしまった。


「なん、てことを……!」


 けど、エリカにはわかったみたいだ。驚きに目を見開き、口を震わせて絶句している。それほどのことなんだろうか?


「時間が対価って……どういうことですか。教えてください……チカ先輩!!」


 聞くのが怖いような気もしたけど、僕のことで先輩が支払った対価ということだろ? これは聞かなきゃいけないと思った。自分の声が震えているのがわかる。きっと、あまり良くないことなんだって、それだけはわかったから。


「そのままの意味だよ。私は、私の時間を差し出したんだ」

「……それだけじゃわかりません」


 誤魔化そうとしているのだろうか。でも、僕は誤魔化されてやらないぞ。こればっかりは、ちゃんと聞く権利が僕にはあると思うのだ。


「……はぁ、降参。わかった言うよ。……この世界に来る時、私はたぶん神のような存在に対価を渡した。神ってのがいるのかは正直わからない。この世界そのものに対価を渡したのかもしれないけど、ま、それはどっちでもいいね」


 正直、規模が大き過ぎてついていけなくなりそうだ。なんだよ神とか世界そのものとか。そんな強大な存在相手に取引できることにビビるから。


「期間は、君の死の運命が断ち切れるまで。あの世界から引き継いだ運命っていう意味だから、新たに引き寄せることはあるかもしれない。けど、ここまで強力な運命ではなくなるはずだから。そしてその期間、私の中の時間は……止まる」


 だから、年を取らないのか。じゃあ、じゃあ、その期間が終わったら……? 僕の疑問が顔に出ていたのか心を読んだのか。チカ先輩はフッと笑って言葉を続けた。


「期間が終われば……私の役目はおしまいってことさ。神、この世界にとって私が有益な存在なら消えることはないだろうけど……ここに留まることは出来ないだろうね」

「ちょ、え、待って? チカ先輩が、いなくなるんすか……?」


 同じように混乱しているのだろう、斗真がここでようやく声を出した。僕以上に状況についていけてなさそうだ。


「そうだね。私の予想としては、時空の狭間を漂い続けるんじゃないかって思ってる。死ぬことも消えることもせず、ね。私は自分で言うのもなんだけど、かなり便利な存在だから。この世界が私を消すのをもったいないと思って、使ってやろうとする気がする。時空の管理人みたいなことをやり続けるんじゃないかな」

「……それは、永遠にってことですわ……永遠に、滅多に誰も来ない孤独な空間で……貴女はただ一人、時を過ごすというのですか!?」

「時という概念もなくなるだろうし……それ以上の目標もないから別に構わないよ。どのみち私のような強者はそう簡単に死ねないって、魔法使いになった時点でわかっていたことだしね」


 なんてことはないとでも言うように、先輩はのんびりと紅茶を飲む。この場で唯一、冷静なのがチカ先輩本人だけってどういうことだよ……?


「……じゃあ、僕のその、死の運命とやらは、いつになったら消えるんですか」


 それが消えれば、先輩もここからいなくなってしまう、ってことであってるんだよな? そう思って聞いたんだけど……先輩は話題を突然変えてしまう。


「……エリカ。君の目的は? 私は全てを話したよ。今度は貴女がここへ来た理由を話すべきじゃないか?」

「え? あ、ああ、そう、ですわよね……」


 問われたエリカも、僕の質問に答えない先輩を気にしながら僕の方にもチラチラと目を向ける。先輩が今答えないというのには、きっと理由があるんだ。意図的に話題を変えた。それは、話したくないから、とかそんな理由じゃないように思えたから、僕はエリカに向かって軽く頷く。話してくれていい、という意味を込めて。きっと、先輩はここぞというタイミングで答えてくれると思ったから。


「……わかりましたわ。お話いたします。以前、ここに迷子のドラゴンの子どもが来たと思うのです。チカ様、貴女のことはあの子から聞いたのです。自分は時空の魔女に助けられたんだって」

「あの子か……まったく、仲間以外には言うなと言ったのに」


 そういえば、ドラゴンが帰る前に何か耳打ちしていたっけ。あの時、たぶん時空の魔女にもらったと言え、みたいなことを言ったのかもしれないな。自分で魔女というのが嫌だったから口止めしたのかもしれない。うん、あり得る。


「私も仲間だから、と」

「あー、あーあー、なるほどね。ま、仕方ない、か。それで、君はドラゴンの魔力を辿ってここにこられたってわけか」


 一つ疑問が解消したよ、とチカ先輩はフッと笑った。それまでも、母親の日記から存在を知った時空の魔女のことを調べ、空間の魔法を試していたエリカは、ドラゴンのおかげで手がかりが掴めたのだ、と言った。ここ最近、迷子の頻度が多かったのは、エリカが空間の魔法を行使していたからだと先輩はいう。これで謎が明かされたというわけだ。


「そして、私がここへ来た理由ですが。簡単に申し上げますと、私は国の第一王位継承者である王子……エージ様を迎えに来たのです」

「迎えに……? それって……」


 僕に、異世界へ行けと言っているのだろうか。そんな僕の心の声に答えるようにエリカは頷く。


「貴方に、次期国王になっていただきたいのです。……貴方さえいれば、叔父様が次期国王になることはありませんから」

「国、王……って」


 現国王の実子であり、男子、しかも長男である僕がいれば全て丸くおさまるのだとエリカは言った。自分は女で、女王という存在は前例がないから王位に就くことは難しい。叔父である国王の弟もそこをついてきており、同じように懸念している者たちを味方につけて今、勢力を拡大しているのだそうだ。

 このままでは弟が王位に就いてしまい、それすなわち、人間以外の人型種族は、人として認められなくなってしまう時代がやってくることを意味するとエリカは深刻な表情で語った。


「な、何、言ってんだよ……エージが国王? ふ、ざけんなよ?」


 そこで苛立ちを抑えることなく口を挟んだのは斗真だ。お、おい、なんでそんなにキレ……?


「死の運命がどうとか……よくわかんねーけど、勝手にここに連れてきて、ここで何も知らずに育ってきたんだぞ? 今更そんな……わけもなかんない国の王になれって……無茶振りにもほどがあんだろ! エージの気持ち、考えたことあんのかよ……!?」

「ちょ……トーマ、落ち着け……!」


 流石に殴ったりはしないだろうけど、掴みかからんばかりの勢いですごむ斗真をどうにか抑える。でも、言ってくれたことはほぼ僕の本心でもあった。理解してもらえる人が一人でもいるっていうことに、僕の方は逆に冷静になれる。


「私は……! ただ、真実を伝えただけですわ。決定権はエージ様にあります。こちらの都合で勝手なことを言っているってことは……わかっていますわ。本当に、申し訳ないとも……でも、私たちにはもう、縋れる人がいなかったのです。希望に……わずかな希望に縋ることは、そんなに悪いことですか……!? 何十万人の命を、背負っているのですもの!!」


 目に力を込めて、決して涙をこぼすまいという強い意志をエリカからは感じる。何十万人の命……まだ僕よりも年下の女の子の背に、そんなにも重たいものがのしかかっているのか。世界と常識が違うとはいえ、あまりにも酷な運命というものに、僕の眉も自然と寄ってしまう。


「それに……エージ様が私たちの世界へと戻り、国王となれば……チカ様も消えずにすむのですよ……? こんな言い方は、卑怯だと思いますけど」

「え……?」


 それはどういうことだろう、とチカ先輩の方に目を向ける。先輩はそっと目を伏せて、静かに語った。


「……異世界に行けば、君の死の運命は再び纏わりつく。世界を渡ろうと、私の契約は継続されるから私の存在は世界から消えることはないだろう。そして、国も……平和への道を辿るだろうね。でも」


 そこまで一息に言った先輩は、今度は僕の目を真っ直ぐに見つめて続けた。


「君は、常に命の危険と隣り合わせで生き続けることになる。もちろん、私が君を死なせはしないけれど。今の家族や友達とも、別れることになる。その際、君についての記憶は抹消される」


 それは、両親や斗真から……僕に関する記憶や思い出が消えるってこと? ……でもそうであれば、残された両親は悲しむことはない。これまでのことがなかったことになるだけだから。


「希望するのであれば、君の記憶も消すことは出来る」


 思い出を、消す? 今まで生きてきた記憶が消えるというのは、どんな気持ちなんだろう。いや、忘れてしまうんだから、何も感じることはないだろうけど。


 何も感じない。僕のこれまでの存在がなかったことになる。それは、とても恐ろしいことだと思えた。


「い、いやだぞ。俺は絶対に! エージのこと忘れたくないからな!?」

「トーマ……」


 思わぬところで斗真の熱い友情を確認できてしまった。僕だって、忘れるのは嫌だし、忘れられるのも嫌だ。両親との思い出だって、どれもこれもいい思い出ばかりだ。ここまで僕を育ててくれて、いつか恩返しだってしたいのに。


「君は選ばなければならない」


 でも、ここに残ることを決めれば、チカ先輩が……消える。


「元の世界へと戻り、国王となるか。このままこの世界に残るか。意地悪な言い方をするならば、見知らぬ何十万人の命と血の繋がりのある家族の命、そして私の存在を取るか、自分の命と家族や友達との思い出、平穏な生活を取るか……だ」


 どちらを選んでも、後悔するだろう選択肢だ。よく回らない頭で、僕はぼんやりとそんな風に思った。

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