王子と過ごす日々にて

 悪魔は白い鳥の姿を模していることのほうが多い。

 王子の傍に寄り添うときは常に鳥の姿をしていた。

 雇っていない人間が存在しては不自然だったし、何より悪目立ちしてしまう。

 そうして傍らに控えた悪魔は王子に特別、何かを与えることはしなかった。

 王子も悪魔に何かを要求することはなかった。

 ただ傍にいてくれることを心から喜んでいた。


 王子の毎日は酷く孤独だ。

 就学時間と、妹たちによるお茶会。

 それから王に求められているとき。

 それ以外には誰ひとりとして彼を構う者など存在しなかった。

 王子は大抵ひとりきりで本を読んで過ごしている。

 それが中庭か自室、または図書室と、場所に違いがあるだけだ。

 常に一人きりであることに変わりはない。

 たまに意味もなく、気紛れに城の中を散歩していることもある。

 家臣たちが出入りできない部屋を見て回ったり、そこで休憩してみたりもする。

 けれどやはり本の世界には敵わないので、散歩はすぐに終わる。

 そして次に散歩に出ようかと思いつくまでの期間がとても長い。

 だから中庭でゆっくりしていることのほうが多い。

 中庭には真っ白いロッキングチェアーがある。

 王子はそこに腰掛けて、金色こんじきの庭をただ静かに眺める。

 または噴水の縁に腰掛けて、流れる水に触れてみたりもする。

 隠れて泣きに来ることもあった。


 王子はとにかく本を読んだ。

 図書室にある本は全て読んでしまった。

 難しい類いの本、例えば歴史書や魔術書、科学書。

 児童向けの童話や女性が好むような恋愛小説。

 冒険譚や伝記など、分野を問わずに読んだ。

 果ては楽譜すら読み始める始末で。

 そんな王子の姿を見た王が、彼に楽器を与えようとしたことがあった。

 だが、王子の手に楽器が渡る前に楽器は一つ残らず返品された。

 王妃が猛反対したからである。

 王妃曰く、視界に映るものを無視することは容易い。

 けれど音楽は別だ。

 どこからともなく流れて来ては、その耳に届く。

 聞かなければ良いという問題ではない。

 何故、私の方が耳を塞がなければならないのか。

 そう主張されてしまえば、王は引き下がるしかなかったのだった。

 この騒動を王子は知らない。

 自室に籠って本を読み続けていたからだ。

 王子は音楽を奏でることにはそこまで興味を覚えていなかった。

 なんせ、楽器は奏でているあいだに自分と向き合うことになる。

 辛いことをより辛く。

 楽しいことをより楽しく認識させられて。

 辛いことのほうが多い王子にとって、それは慰めよりも毒となり得た。

 けれど本は違う。

 読書中はその話で頭がいっぱいになり、自分のことを考える余地が無い。

 そればかりか、ここではない国へ、土地へ、どこにでも出かけられる。

 別な人間、存在になって、ときには誰かから強く愛して貰えた。

 故に王子は本を、読書を何よりも好んだ。

 城中の本を読み尽くしてしまった彼が今も繰り返し読んでいる本がある。

 決して有名ではない作家が残した、ごく平凡な家族生活を題材にした短編集だ。

 少しばかり貧しい家庭。

 父親は木こりで柔和な性格だが、大酒を呑むのが玉にきず

 母親は器量がいいが、少しだけ神経質だ。

 そんな夫婦のあいだに子供は三人。

 一番上の娘は母に似た器量良しだが、お人好しで貧乏くじを引きがちだった。

 二番目の娘は怠け癖があるが、愛嬌がある。

 三番目は一人息子で、いつも騒動の発端だ。

 特に冒険があるわけではない。

 その五人が生活している様子を、四季や行事に沿って綴られているだけである。

 人によっては駄作と一蹴してしまうような本だった。

 だが、王子にとってはその平凡さにこそ惹かれていた。

 そこには当たり前とされる愛情が溢れていた。

 しかし悪魔がやって来てからは、そのお気に入りの本さえ殆ど読まなくなった。

 王子は自分以外の誰かと言葉を交わせるのが酷く嬉しかったのだ。

 そう、それが例え悪魔であっても。

 王子は悪魔が見聞きしてきた遠い日の出来事を聞きたがった。

 悪魔が語る世界はどんな本よりも具体的で、刺激的だった。

 逆に王子が、これまで読んできた本の話を悪魔に聞かせることもあった。

 そして互いに感想を語り合い――それはとても素晴らしい時間だった。

 次第に王子は悪魔の前でだけ、心からの笑みを浮かべるようになっていった。 

 それが彼にとって良いことなのか、かえって辛いことになっているのか。

 悪魔には全く判別がつかなかった。

 ただ、いつからか悪魔のほうにも変化があった。

 王子が笑うと、冷たい身体が温かくなったような気がするようになっていて。

 やがてはこう思うようになっていた。

 もっとその表情かおを見ていたい。

 それは永らく忘れていた感覚だった。

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