EP44 朱雀の涙
「うるさい、黙れ!」
瞬く間にカディルは喉元に短刀が突きつけられていた。燃えるような怒りの色を浮かべて、ベリアルがカディルを見上げている。カディルはただ静かにその目を見下ろした。湖の底のように深い碧の瞳がベリアルの心の奥を見据えるようだ。
「この短刀でフィラに傷を負わせたのですね」
「だから?」
カディルは目を閉じて静かにため息をつくと短刀の刃を素手で握った。
驚いて短刀を引いたベリアルだが、カディルはグッと力を込めて引き寄せた。
短刀を握るカディルの手からは血がポタポタと流れ始める。しかしカディルは眉ひとつ動かさず微かに目を細めた。
「!」
カディルの手に握られた短刀の刃が凍り、バラバラと砕けて床に散らばった。
「な!?」
ベリアルは驚愕し、残った柄の部分を見つめて投げ捨てた。
翼を羽ばたかせ、フワリとカディルから距離を置く。その目は一層憎らしげに歪んでいた。
「お前何者だ」
低く唸るベリアルをカディルは研ぎ澄まされた瞳で静かに見つめ返していた。
「あなたもご存知の通りディユですよ。この国を守護せし東の青龍を宿す者です」
カディルの爪をつたってポタポタと絨毯に血が落ち続ける。
「青龍はおよそ11700度の炎とマイナス273.15度の絶対零度を自在に操ります。もっと試してみますか」
「チッ!」
ベリアルは舌打ちした。
「武器がなくなったなら話は早い。捕らえて王子の前に突き出してやる」
アレクスが剣をかまえて前に進みでる。
カディルは右手を伸ばしてそれを制止した。
「まだです。彼は武器などいくらでも出せますよ」
「なに?」
疑念の視線を向けたアレクスにベリアルはクスクスと笑った。
「ふ、ご名答。そこまで知ってるんだ。結構物知りなんだねぇ」
「あなたは神話に伝わる数多の武器の創造主ですね。少し調べればすぐに予想はつきますよ」
「数多の武器の創造主だと?」
アレクスは目を見開いた。
カディルは頷く。
「天界の皇族は皆それぞれ何かにたけた能力を持っているそうです。彼は武器を創造し力を宿す力に優れているんです」
「ほーお。それは興味深い。俺の剣にも聖なる力を宿してほしいくらいだ」
ベリアルはニヤリと笑った。
「そうだな。俺が天界の皇帝の座に即位したらやってやってもいい」
「堕天使の立場では聖なる剣など作れませんからね。今は邪悪な魔剣でも作っているのですか?」
またしてもカディルが挑発する。
ベリアルは腹立たしげに目を吊り上げた。
「魔剣?馬鹿らしい。俺は必ず天界に返り咲いてみせる。その為にフィラをこの地に追放したのだからな」
「!!」
カディルとアレクスはピクッと反応した。
(フィラを追放した!やはり彼女がこの地に現れたのには理由があった)
「……興味深いですね。堕天使となったあなたが天使に戻る方法があると?それに彼女を追放した理由も知りたいですね」
注意深く質問したカディルにベリアルの目は鋭く輝いた。釣り針に魚が掛かった時のようなチャンス到来だ。
「そうだな。その答えは交渉次第だな。どう考えても今は俺の方が武が悪いし、今日のところはお互いに引くというのでどうだ?」
「ーー……」
アレクスとカディルは目を合わせた。
どうする。
ベリアルを捕らえるには絶好のチャンスだ。捕らえた後にいくらでも内情を聞き出すことができるのではないか。
しかしその一方で正直こちらの武も悪い。
この屋敷にはたくさんの使用人がいる。 フィラの治療も進められているのだ。これ以上ここで大きな戦いをした場合、最悪は屋敷倒壊。膨大な被害者を出す可能性がある。
「……」
二人は頷いた。アレクスが口を開く。
「良いだろう。その条件を飲もう。しかしひとつこちらからも条件がある」
「なんだ」
「お前が嘘を言う可能性がある。偽りのない証言をする証としてこれを飲んでもらおう」
そう言うとアレクスは小さな赤い石をベリアルに差し出した。
ベリアルは眉を寄せた。
「なんだこれは」
「朱雀の涙だ」
「は?なんでそんなものを俺が飲まなきゃならないんだ」
「朱雀は人の心を見透かす力に秀でている。もしもこれを飲んで偽りを言えば、たちまちお前の内蔵を食い破るだろう」
「ーー気味の悪いことを言う。しかしこの条件を飲まねば交渉は成立しないのだな」
パシッとベリアルはアレクスの手から朱雀の涙を奪うとそのまま飲み込んだ。
「交渉成立だ」
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