EP43 形勢逆転
ロランはフィラを抱いたまま屋敷の医務室に駆け込んだ。
「レオン!彼女を診てくれ……!」
レオンと呼ばれた男がカップラーメンを頬張りながら振り返った。
ロランの血に染まる執事服と彼の腕の中の血だらけのフィラが目に飛び込んできて、レオンは盛大に麺を吹き、ゴホゴホとむせかえった。
「な、なんだ!?とにかくここへ!おい!みんな来てくれー!」
ロランに診察台を指差して、部屋の奥に叫ぶと数名の看護師が慌てて集まった。
ひと目状況を見ただけで看護師たちはそれぞれにテキパキと作業を始めた。
診察台に寝かされたフィラの服の胸元を看護師がハサミで手際よく切る。
フィラの胸元に素早くタオルが掛けられたが、ロランは咄嗟に目を背けた。
レオンは傷口を観察しながら「何があったんだ」とロランに説明を促した。
「フィラ様に敵が接触してしまったんだ。カディル様がアレクス様と共に屋敷に戻ってこられて事態を把握した」
「マジか……!それまで誰も気づかなかったのか!?あ、君!頼む、この子猫を獣医にすぐ連れていくよう誰かに頼んでくれ!」
「面目もない……!」
悔しそうに顔を歪ませるロランをチラッと見てレオンは看護師に指示を出しながら治療を続ける。
「お前は一般人より勘がいいが、ただの人間だ。カディル様方とは根本的に違う。間に合って良かった、そう思うほかないよな。……かなり深いな、オペの準備してくれる?」
レオンはロランを振り返って慰めるように肩を数回叩いた。
「あとは俺に任せてくれ」
そう言うとカーテンをシャッと閉めてレオンは治療に向かった。
ロランはフィラの血で染まった自身の両手や服を見つめ、やるせない表情で立ち尽くした。
アレクスは熟練された太刀筋でベリアルに斬りかかった。すんでのところで身をかわしたベリアルの胸ぐらをカディルが掴み、壁に叩きつけた。
「ぐっ……ゲホッゲホッ……!」
掴まれた胸ぐらをさらに押し上げられてベリアルはむせた。呼吸ができず息苦しそうにカディルの腕を掴んで引き剥がそうともがいた。カディルは容赦なくさらに腕に力を込めた。その表情は怒りと哀しみが入り混じった複雑なもので、口を開いたカディルの声は震えていた。
「何故なのですか!フィラに、実の妹に、あのような残酷なことをなぜできるのですか」
「は…あ、あ、ーーは……うう……」
「何故ですか!」
ベリアルの目は白目をむきガクガクと全身が痙攣し始めた。アレクスがカディルの腕を掴んで首を横にふる。
「やめろ。このままでは話を聞く前に死んでしまうぞ」
「ーー……ああ……」
カディルは我に返り、手の力を緩めた。
その場に崩れ落ちたベリアルはしばらくの間激しく肩で呼吸をし何度も咳き込んだ。
カディルはその様子を間近で見下ろしていた。自身の両手が微かに震えている。
(アレクスが止めてくれなかったら私はこの男を殺してしまっていた……)
自分の中にここまで憎しみが湧いたのは初めてだ。頭が真っ白になり、怒りに支配された感情。躊躇なく人の首を絞めることができるリミッターが吹き飛んだ怒りだ。
少なからずカディル自身も動揺していた。
「おい。お前には吐いてもらわなきゃいけないことが山ほどあるんだ。下手に逃げようとしないことだ。そのちぐはぐな色の翼をもぐぞ」
床に倒れ込んでいるベリアルの顎を掴んでアレクスが睨みつけた。
ベリアルも空色の瞳で睨み返す。
カディルは改めてベリアルの姿を見つめた。フィラとよく似た絹のような金の髪と、透き通るような美しい空の色の瞳。凛々しく美しい中性的な顔立ち。
どことなくフィラに面影が重なった。
フィラの兄妹。
今目の前にいるのは、天涯孤独になってしまったと思っていたフィラの兄。
本来なら再会を喜び合う存在のはずなのに。
カディルの心は次第に怒りよりも哀しみが広がっていく。
ーーそういえば。
『兄は私が嫌いなんです』
フィラの言葉が脳裏をよぎった。
初めてそれをフィラから聞いたとき、カディルは不思議に思ったものだ。
家族なのにそんなことが本当にあるのだろうかと。
けれど、リッカルド王子とルドラ王子の王位継承問題。そしてベリアルとフィラの皇位継承問題。
兄弟姉妹はライバルであり敵だという悲しい現実ーー。
カディルは深いため息をついた。
「あなたの翼の色はフィラと違うのですね」
ベリアルの背中には。
右に黒い翼。
左に白い翼。
「本当にあなたは堕天使なのですね」
カディルの言葉にベリアルはアレクスの手を払いのけて自嘲した。
「本当に?あーあ、そう。そこまで調べがついているんだ。だから俺があいつの兄だと知っていたわけだ」
「そういうことだな」
アレクスの答えにベリアルはおかしそうに笑い出した。
「何がおかしい?」
「もう少しでフィラを始末できたのに。もうあとほーんの少しあんた達が遅れてくれたら良かったのにね」
「ベリアル!!」
「様くらいつけたら?堕天したとはいっても皇子だよ俺。あんた達がディユとかいう神の使いなんだろう?あんたらよりずっと位が高いんだぞ」
鋭くアレクスとカディルを睨みあげてベリアルは叫んだ。
「妹に皇位継承権を横取りされた俺の気持ちがお前らなんかに分かるわけがない……!!所詮民間人の生まれの卑しいお前らなんかに……!!」
「分かりたくもありません」
「ああ!?」
「分かりたくもありません、と言ったんですよ。私たちはたしかに元は民間人ですし、少なくとも私はディユになどなりたいと思ったことすらありません」
「同感だ」
「あんたらのことなんてどうでもいい。権力こそが全てだ。頂点に立つことこそが俺の野望ーー!」
フラつきながら立ち上がったベリアルは「ククククク……」と笑った。
「よりにもよって、一万年に一人しか生まれない稀な能力を持つ奴が生まれてくるなんてな……おかげで俺の人生は台無しだ」
ベリアルの身体がワナワナと怒りに震えだした。警戒したアレクスは剣を持つ手に力を込めた。
「妹に恨みを持つあまりとうとう俺の翼は黒く染まり始めた。父はそんな俺を魔界に追放した……!!」
「ほぉ。なるほど。あなたは皇帝陛下である父親に見捨てられたわけですね」
急に歯に絹着せぬ発言をしたカディルにアレクスは驚いて制した。
「おい!煽るな!」
しかしカディルは聞く耳を持たずさらに挑発的な態度を示した。
「なんだか私には分かりますよ。稀な力とかそんなことではなく、あなたにはそもそも素質がないんですよ。皇帝はそれを見抜いていたんでしょうね。だってーー」
カディルはニコリと笑った。
「天界の皇帝は誰よりも美しい心を持っていなくては。堕天使になってしまうような方は向いてないに決まってます」
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