十一話 理由が知りたい

 店員さんがチーズトーストを運んでくる。湯気がチーズの香りを乗せ、鼻腔に絡んで食欲を誘う。

 そうだよ。わたし、普通の食べ物にだってお腹を空かせられるじゃん。わたしはただの食人鬼とは違う。奈緒ちゃんだから食べたいって思ったんだ。

 トーストの端に噛みつく。チーズのなめらかさとトーストのぱりぱりした触感が同時に舌を満足させる。ほら、美味しい。わたしにも普通の味覚が備わっている証拠だ。


「食事時にこんな話をして大丈夫だったかなと思ったけど、よかった。こっちのお腹が空いてくるくらい良い食べっぷりだ」

 意識せず、わたしは顔をあげて吉村さんを睨んでいた。

 皮肉に聞こえてしまったのだ。普通の人なら、食人の話のあとでのご飯なんか、気持ち悪くて喉を通らないだろうって。わたしが人間と他の食物を同等に見ているんだろうって、そう揶揄されているように聞こえた。


「なんで今、そんな話を」

「例の事件の被害者、枝野奈緒子。彼女の腕の一部に人の歯形があった。僕にはどう考えても、それがカニバリズムによるものとしか考えられない」

「彼女の両腕は見つかってないんですよね。どうして吉村さんがそのことを知ってるんですか?」

 わたしは彼の隣のクーラーバッグを気にした。それを見抜くように、吉村さんがこう切り返す。

「お察しの通り、このバッグは拾いものだ。例の事件の証拠品らしきものが入っていたよ。うちの連れが偶然見つけて、見かねた僕が拾ってきた」

 連れとは、つまり咲子さんのことだろう。わたしはあえてそのことに触れず反駁した。

「どうして警察に届けなかったんですか?」

 吉村さんはバッグの上に手を置き、微笑を浮かべた。その飄々とした態度にいらつき、わたしは声を荒げる。

「わたしを疑ってるんですよね。はっきり言ってください」

「疑ってるよ。確信してると言ってもいいくらい」

「なら、どうして警察に……」

 周囲の視線を感じて言葉尻を切る。代わりに息を深く吐き出し、吉村さんと目を合わせた。


「警察なんかには届けないよ。僕は、きみを理解してあげたいと思っている。なんせこれナンパだからね」

 この後に及んでこの人は、なんて意味の分からないことを。

「何が言いたいのか本当に分からないんですけど」

「何がもなにも、額面通りに受け取ればいい。僕はただ、君が人を食べようとした訳を知りたい」

 呆れてものも言えない。だけどわたしはまだ冷静を解いてはならない。ここで犯人と認めてしまえば、また咲子さんのときみたいに嵌められかねないのだ。

「まさか、あのバッグがあった場所に、たまたまわたしが居たからって、それだけの理由で犯人扱いですか? わたしが奈緒ちゃんを殺した証拠には……」

「奈緒ちゃんね」

 ぎくりとして口をつぐむ。冷静にと自分に言い聞かせておきながら、さっそく彼女を愛称で呼んでしまった。


 吉村さんの手元に置かれたグラスの氷が溶け、からんと音を立てた。彼はあれから一切アイスティーに手をつけておらず、なのに、やけに涼しげな顔で舌を回した。

「きみはあの日、咲子さんと会ったね。そして、彼女に自宅まで送ってもらった」

 これは肯定しても問題ないだろうと思い、わたしは正直にうなずく。

「わたしがあの日あの時間に森林公園に居たこと、さっきも言った通り、認めます。そのバッグがわたしの居た辺りに落ちていたことも信じます。だけど、それだけでこういう扱いを受けるのは納得がいかないんです」

「このバッグに入っていたものがどうにも引っかかった」

 吉村さんはわたしの反論を受け流した。

「まず、凶器と思われる血の付着した包丁。その柄の部分に貼られた、店舗名を示すシールがね」

 シールなんて貼ってあったかな。よく覚えていない。焦ったけど、わたしは出来るだけ表情を変えないように努めた。

「真白ヶ丘駅から十駅以上も離れたN駅。調べてみるとね、この包丁はそのN駅前のホームセンターで買われたものらしいんだ。だから、犯人は遠方に住む者だという可能性も払拭できない」

 そうだろう、とわたしは勝ち誇る。そう思ってもらうためにわざわざ遠くのお店まで出向いたんだ。

「それを差し置いても余りある、近隣住民への疑いだ」

 吉村さんの顔つきが厳しくなる。


「まず、枝野奈緒子の腕を包んでいた数個のドライアイスの小袋。無地透明の袋に、もとは固形状だったと思われるドライアイスの残骸。あれはどうやら、この近所のスーパーで入手した物のようだ」

「どうして、そんなことが言えるんですか?」

「この町のスーパーで提供されるドライアイスは、そのほとんどが粉末の状態でしか手に入らないらしい。今どき固形状でくれるスーパーなんて県内中探してもあそこくらいだ」

 どこかで聞いたことがある。最近はどこのスーパーも、素手で触ってもすぐに流れる粉末状態で提供するんだって。わたしもあのときドライアイスを一つの袋にまとめようとは考えなかった。固形状のものは、粉末と比べより危険だと知っていたから。

「それがあのスーパーだけだなんて。そんなこと、なんで吉村さんが……」

「固形のドライアイスに気づいたのは残念ながら僕じゃないよ。全部咲子さんからの受け売り。ギャルっぽい顔してるくせに、あのひと意外と家庭的だからね」

 吉村さんは冗談めかしたように笑う。わたしはその笑い声に同調できない。


「犯人が近辺に住む者だと推測できる、もう一つの理由」

 わたしはもう、彼から目を逸らしていた。

「事件現場と、バッグが放置されていた場所の位置関係。およそ百メートルくらいかな。事件発生後、おそらく咲子さんは三十分としないうちに森林公園に向かった。その短期間で、しかも、『多目的広場』にこのバッグは置かれていた」

「公園内の場所が、バッグの位置とどう関係があるんですか」

「この市に住む者ならみんな知っていることだよ。現場からもっとも近い『やすらぎ広場』より、そこから少し歩いた『多目的広場』の方が、一時的にバッグを置くには都合がいい。何故かは、小夜ちゃんにも分かるだろうね」

 吉村さんは嫌らしい質疑だけを提示し、理由をわたしに述べさせようとしていた。幾分諦念し声を小さくして応答する。

「『やすらぎ広場』は、ホームレスの溜まり場だから、でしょうか」

「その通り。それに対して『多目的広場』は公園奥地にあるため、夜になれば人通りはほぼ皆無だ」

 言うまでもない。だからわたしはわざわざ多目的広場まで歩いたのだから。

「でも、そんなの市の住民じゃなくたって知ってる人は沢山います。あの森林公園は県内でも有名な観光名所ですよ」

「まあ、これもあくまで可能性の一つだからね」


 ここでようやく吉村さんはアイスティーに口をつける。小休止を入れるように、ストローなしで深くグラスを傾けていく。まだ何かあるらしい。焦らされることにまた苛立ちを覚えた。

 音もなく、グラスの底がテーブルに着地する。


「ここからがもっとも重要だ。気になる犯人像について」

 息を呑み、吉村さんの話を促す。

「血飛沫の付着した合羽が入っていた。無論、あれは服に血が飛び散らないようにするための配慮だろう」

 件の雨ガッパを思い起こす。あれは以前お父さんが使っていたもので、もちろん大人用だ。直接わたしと関連するようなことがあるのだろうか。

 あることを思い出し、わたしは言葉をなくした。


「不思議なことに、雨合羽の裾が破けていた。成人用の合羽のようだったけど、どうも犯人の身長には合わなかったらしいね」

 奈緒ちゃんの解体作業中、わたしはカッパの裾に足をかけて転んだ。そうだ。あのときはっきりと確認した。裾の部分が破けちゃったけど、作業上では問題ないだろうって。

 それが身長特定にまでつながるとは、考えも及ばなかったけど。

「嫌がる咲子さんに土下座して頼み込んで、やっと着てもらえたよ。咲子さんの身長は160cm程度だけど、合羽の裾はなんとか踏まない程度だった。破れた位置から推し測ると犯人の身長は145~150cm。ちょうど、小夜ちゃんと背比べが出来そうな感じだね。そして決定的なことに……」


 すると、ふいにわたしの手に触れるものがあった。心臓が止まりそうになるほど吃驚し、わたしの手を取る吉村さんを見返す。わたしの手のひらの形を確認するように、彼の手つきは恐ろしく優しい。


「被害者の切断された腕には血痕が付いていた。ちょうどこんなサイズの、小さな人差し指の痕だよ」

 吉村さんの手は、わたしの人差し指を握っている。握られたという感覚がないほどに、わたしの指は根本から先端まで撫で上げられる。背筋が震え上がり、意識せず呼吸が荒くなっていく。


「バッグの中には新品のゴム手袋も入っていた。どうしてこれを使わなかったのかと思ったけど、そこは犯人も人の子だからだろう。どうせ持ち去る腕に血痕が付着しても構わないと楽観したか、それとも、よほど焦っていたのか。何にしても、本当にそそっかしい犯人だ」

 吉村さんの口元が三日月型に緩む。その奥の暗闇に目を離すことができない。指が解放されると、わたしの手は力なくテーブルに落ちた。


「ずっと引っかかっていたんだ。どうして犯人は手間を惜しんでまで公園に立ち寄ったのだろうと。でも、やっとこれで解消した」

 そうだ。そもそもわたしは、血で汚れた手を洗うためにあの公園に赴いたのだ。あのとき落ち着いてゴム手袋さえ着けていれば、あの公園に出向くこともなく、咲子さんと出会うこともなかったし、バッグも奪われなかったはず。そして今、こんな状況に陥ることもなかったかもしれない。


「合羽の破れた裾の位置、被害者の腕に着いた指の血痕から、犯人は極端に背の低い女性か、小中学生の児童・学生だと推測できる。被害者は中学生の女の子だ。すなわち最も彼女と関連性を見いだせるのは、身長的にも納得のいく同世代の女の子だろう。これで犯人の移動手段の偏りにも納得がいく。成人女性なら出来ても中学生なら限られることも多い」


 思考がから回って上手く理解できない。それでも、わたしが追い詰められているのだということは、なんとなく分かった。

「したがって、あの時間に森林公園に居た小夜ちゃんは限りなく疑わしい。どうだろう、状況証拠のこじつけ論だけど、案外的を射ていたんじゃないかな」

「あの、わたし……」


 捕まりたくない、そう言えるだけの権利が自分にないことはよく分かる。でも、嫌なものは嫌なんだ。だってわたし、まだ奈緒ちゃんのこと、ちゃんと味わってない。あんなに頑張って手に入れたのに……。


「勘違いしないでほしいのが、僕たちは別にきみの敵になりたいわけじゃない」

 わたしが嗚咽し始めたことを気遣ってか、吉村さんが優しく声をかける。

「どうして咲子さんがあのとき、君にコーヒーや飴を勧めたのか、分かる?」

 泣き声を上げないよう注意しながらうなずく。吉村さんに追い詰められながら、わたしはあのときの咲子さんを思い出していた。

 咲子さんは、わたしの血の臭いを気にしてくれたんだ。口元どころか、わたしの身体中はきっと奈緒ちゃんの臭いで充満していたのだから。


「もう一度訊くよ」

 吉村さんが丁寧に問う。

「どうして、枝野奈緒子ちゃんを食べようと思ったの?」


 わたしは両膝に手を添え、テーブルクロスの模様に目を落とす。

 奈緒ちゃんの全てを奪ってまで、奈緒ちゃんを食べようとした理由。禁断に足を踏み入れてまで奈緒ちゃんの手を欲した理由。


 彼女に失望したから――それが直接食べたい欲求に繋がったわけじゃない。

 壊したいくらい好きだったから――本当にそうだろうか。

 憧れを手に入れかった――二度と彼女の演奏を聴けなくなるのに?


 どれもピンと来ない。自分のことがここまで分からないなんて、わたしは頭がおかしくなったのだろうか。それとももう、すでにわたしの中に鬼が棲み着いているからなのか。

「ちょっと、お手洗いに行ってきます」

 席を立ち、返事も待たずにトイレへと向かう。斜め下を向き他のお客さんや店員さんと顔を合わせないようにする。

 今のわたしはきっと、誰にも顔向け出来ないくらい醜いやつになってしまっている。



 トイレから出て吉村さんのもとへと戻る。吉村さんは椅子に横向きで座り、窓の外を見ながら携帯で誰かと話していた。さんざん自分は敵じゃないと言っておきながら、やっぱり、警察に通報しているのかな。


 静かに彼の正面に腰掛ける。

 本当なら、このまま逃げることだって出来た。だけどわたしはそうしなかった。

 何故ならわたしはまだ、奈緒ちゃんの手を返してもらっていない。どれだけ自分を嫌悪したところでそれだけは変わらなかった。動機すら判然としないまま、しかし奈緒ちゃんの手に関してだけはどこまでも貪欲に欲する。もしかしたら最初から動機なんてなかったのかもしれない。わたしはただ鬼の食性のままに、奈緒ちゃんを求めただけなのだろうか。

 これだけ自分が嫌なのに、どうしても我慢できない。奈緒ちゃんが諦めきれない。


 そこで吉村さんが通話を終えた。閉じた携帯を片手に、首だけを傾けてわたしを流し見る。

「おめでとう、小夜ちゃん。事件が解決するってさ」

 意味が分からず、唖然として吉村さんの笑みを見つめる。そして彼はさらに理解しがたい事を口走った。

「代わりの犯人が捕まった」

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