断章

 咲子は携帯を取り出し、吉村の番号にかけた。彼に証拠品とおぼしきバッグの居所を教え、電話を切る。

 振り返ると、道の先から三崎小夜の視線を感じた。小夜は獣のように血走った目でこちらを見ていたが、咲子が振り返ったと分かると、すぐに柔らかい笑みを作って手を振った。

 携帯をポケットに入れながら、咲子は小さく手をあげた。




 やっと家に帰ってこれた。兄はもう寝静まっているようで、生活音は一切聞こえてこない。咲子は自室に入る。小物入れから出したペコちゃんの飴をくわえながら、ベッドに寝転がって天井を見上げる。

 やがて吉村から着信が来た。うんざりしつつも咲子は携帯を引ったくる。


「よくやった咲子さん。明日、ご飯でもおごるよ」

 吉村は興奮したように言った。

「ぱっと見、普通のスポーツバッグにしか見えなかったけどね、開けてみたらびっくり」

「なにが入ってたの?」

「雨合羽にごっつい包丁、ビニール紐の残骸に木の板とか。もろもろ血痕付き」

「あらま」

「極めつきは、バッグの底で大切そうにドライアイスで包まれていたものだよ」

「なにさ」


 吉村はもったいぶるように間を置き、腕だ、と言った。

「女性か子供のものらしき腕が左右一セット。どちらも肘から切り落とされてる」


 溶けかけたキャンディの先端が歯と歯茎の間をつついた。細くなった箇所を噛み砕きながら、咲子は押し黙る。

「腕だけ持ち帰ろうだなんて、おかしな話だと思わない? 普通バラバラ殺人って、怨恨か証拠隠滅のためにやるものだろ。どちらにしても中途半端だ」

「そういう性癖だったんじゃないの? 腕フェチみたいな。あたしにはよく分かんないけどね」

 世の中変態ばっかりだ、と咲子は辟易する。当の吉村も大概に変質者である。

「ただの腕フェチならまだかわいい」

 吉村が意味深に示唆する。

「右手の親指の付け根あたり、肉を噛み千切られた跡があるんだ。小さな歯形だよ。これ、どういうことだろう」

「取っ組み合いでもして、思わず噛みついちゃったんじゃないの?」

「だったらいいんだけどね」


 検討なんかとっくについてるくせに、と気怠い頭で倦む。ここから先は全て吉村に任せてもいいところだったが、少しくらい興味のある振りをしておかなければ彼の機嫌を損ねてしまいそうだった。


「で、どうするの。そのきしょいバッグ」

「もちろん、これをネタに犯人と接触するよ。えっと、なんて子だっけ」

「三崎小夜」

「小夜ちゃんね」

 これから起きることを想像してみる。咲子の口からはため息が止まらなかった。いつまでこの男の道楽に付き合わなければいけないのか。

「とりあえず、明日はマックでいいっすよ。シェイク三本頼むからよろしく」

「ちゃんと奢るからご心配なく。そのあと僕の家に集合ね。咲子さんにもバッグの中を見せてあげる」

「ご遠慮します」咲子はきっぱりと断った。「そんなもの見たら今後の飯がまずくなる」

「大丈夫だって、これくらい」

 自分の感覚を押しつけないでほしい。咲子はもう一つの理由を述べた。

「あとさ、そろそろ吉村くんのとこ危険だと思うよ。そのうち、小夜ちゃんがあんたのところ来るかもしれない」

「なんで?」

「一つだけ、あの子に嘘ついたんだよね。あたしが住んでるっつって、吉村くんのマンション教えた」

 吉村が絶句した。いい気味だ、と咲子はせせら笑う。


「やってくれるね、咲子さん」

 悔しそうに漏らす彼の声は、しかしどこか楽しげに聞こえた。




 翌日、放課後になると、咲子は真っ先に教室を出た。

 奢ってもらうと約束したものの、本心ではそれをすっぽかして速攻で帰ってやるつもりだった。これ以上面倒事に巻き込まれたくないし、第一、こんなことにかまけていたら八時からのドラマに間に合わなくなってしまう。そのドラマは、咲子が愛読していた小説が原作となっており、主演もお気に入りの俳優だったので、もし見逃したら死んでも死にきれない。


 校門を出て、すぐに腕を掴まれた。冷や汗をかきながらその主を見返す。『ぎりぎりで美男子』と咲子の中で称される絶妙なイケメン男が、怖いくらいにこやかな笑みで立っていた。吉村浩介だ。


「待ちくたびれたよ、咲子さん」


 いつからここに居たんだろう。しかも待ちくたびれたって、こっちがどれだけ必死こいて学校飛び出したと思ってるんだ。吉村は持ち前の細目をさらに細かくし、握力を一段と強めて咲子の腕を引いた。

「さて、早速行きますか」

「あー、やっぱあたし帰っていいかなぁ。今日さ、新番組のドラマが始まるんだよね」

「僕の家で観ればいいじゃん」

「家でゆっくり観たいんです」

「僕の家でゆっくり観ればいいじゃん」

 釈迦に説法だ。為すすべもなく吉村に引かれていく。

 十メートルほど引きずられたところで、突然、吉村の手が離れる。咲子は訝りながらも赤くなった腕をさすり、彼の微動だにしない後頭部を見つめた。


「ビンビンきてる」と彼はつぶやく。

 意味が分からず、本気でなにかの隠語ではないかと疑いながら吉村の横顔をのぞき込む。その顔面に表情らしきものはなかった。なんだか嫌な予感。

「ビンビンて。あたしを部屋に連れ込んでどうするつもりでしょうね」

「咲子さんの頭の中はそればっかりだね」

 吉村の尻を蹴りつける。犬みたいな声があがった。

 尻をさすりながら、吉村がぽつぽつと歩を進める。咲子も黙ってそれに続いた。


「見られてるよ、僕たち」

「誰に?」


 吉村は答えなかった。歩きながら、咲子はあたりを見回す。後方には徐々に小さくなっていく高校の校門。そこから続々と出てくる我が校の生徒たち。左を見れば国道があり、その先には店が立ち並んでいる。コンビニ、屋台のクレープ販売、レンタルDVD店、家電製品の小型量販店など。これから寄り道するマックも、国道のはす向かいの先にある。人通りが激しく、不審な影などは見当たらない。


「たしか、この近くに公立中学があったはずだ」

 吉村が前を見据えたまま口ずさんだ。

「小夜ちゃん、もしかしたらそこに通ってるのかもね」

 吉村と視線を絡める。咲子は鬱陶しそうな顔をして、吉村は瞳の奥から愉悦を覗かせる。

 すると、吉村が必要以上に顔を近づけてくる。たじろぐ暇もなく、咲子に軽く口づけすると、彼はうっすらと微笑んだ。

 背後から見知らぬ女生徒の冷やかすような声が聞こえた。咲子は肩をすくめ、微妙な距離を置いて吉村の背中を追いかける。

「なに考えてんの」

 唇に残るおぞましい感触を払拭するように訊く。吉村は首を傾け、あざとく笑った。

「今は咲子さんのことしか頭にないよ」

「見え透いた嘘だこと」

「まぁね」

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