ゼロサムな貨幣と埋蔵金

 国民一人当たり10万円の特別定額給付金が配布されている、あるいは配布されようとしている。……配布されると思いたい。まぁ寄付とかなんとか、使い道はおいといて。その資金源はどこか?という話である。


 そう、国債だ。


 金融における筆者の考え方は『ゼロサム原理主義者』といって差し支えない。誰かの貯金は誰かの借金。この世の資産と負債の総和はゼロに近付く。一万円札の正式名称は日本銀行券、それはすなわち日銀の借用手形[1]。金本位制から信用創造へのシフト、ゴールドからの独立宣言によって、貨幣は物質と反物質のごとく、対生成と対消滅を繰り返すダイナミックな真空のごとき存在となったのだ。国債残高1000兆円、国民の預貯金1000兆円。こういったデータが日銀から出されているのだが、全部合計すると対外純資産とほぼイコールになる[2]。(数値データしかダウンロードできないので別途グラフ化が必要だが。)この整然とした数値の羅列には、美しさすら感じてしまう。さらに世界的に見れば日本とドイツ、中国が資金を保有し、アメリカが多額の負債を抱えている[3]。そしてこれもまた足し合わせるとほぼゼロになったりする。美しい。


 これが意味するところは、国債残高が減ることは国民の純資産(あるいは企業の純資産)が減ることと等価だということだ。増税や債務不履行など、そのシナリオは様々だが、結果としては同じこと。


 ただし、こういった見方はあくまで貨幣に限った話である。資本主義では土地や物への付加価値により豊かになることを目指している。しかしその価値は変化するものだ。絶対的に保存されるものではない。貨幣の価値も物の価値も、相対的に変動していくものだ。私の経済観のベースにはロバート・キヨサキ氏の『金持ち父さん、貧乏父さん』という本がある[4]。この本で興味深かったのは「固定資産税を支払わされるのだから、持ち家は負債だ」という論法だった。乱暴ながら的を得たものだと思う。この視点に立って日銀資金循環データベースを見てみると(やはり数値データしかダウンロードできないので個別にグラフ化が必要だが)、バブル期に企業が積極的に負債を抱え込んでいる理由がわかる。そう、土地バブルである。もっともこの統計には『固定資産税を支払わされるのだから』という観点はなく、株式により得た資金負債無価値な資産にならない土地を購入した、という観点に立ったものだ。そして土地バブルの崩壊により企業の負債が露呈し、銀行が借金不渡りで倒産の憂き目にあい、それを補填するために国が負債を負ったというストーリーが描き出される。いや本当に見事である。グラフを持ち出して解説したい。


(『金持ち父さん、貧乏父さん』は『資産家になる方法』を説いたものだ。だがそれを社会全体に拡張すると、資産家という存在がマクロ経済にいかに悪影響を及ぼすかが浮き彫りになるというのが皮肉でならない。まぁそれも日本的な経済観で見た一つの価値観にすぎないのだろうが。)


 ちなみにウィキペディアでは株式市場は非ゼロサムゲームだと説明されている。曰く株価が上がれば投資家の資産は増え、敗者はいないとのことだ。しかし残念、このシナリオには投資される側が無視されている。企業にとって株式の本質とは借金だ。株価の上昇は企業の潜在的な負債といえる。(もっともそれを返さなければならない会社が潰れるときには株価は下がり、借金は目減りすることになるわけだが。)つまりマクロに見れば株式市場もゼロサムゲームといえる。



 しかし、この対生成と対消滅のバランスを崩す現象がふたつ存在する。ビックバン理論におけるCP対称性の破れのように。


 ひとつは政府貨幣の発行だ。基本的に国家は貨幣発行権を有しており、政府が発行する貨幣は日本銀行の負債に計上されない。硬貨は政府貨幣のひとつだ。10円や500円といった硬貨は日本銀行の管轄から除外される。記念硬貨は無から有を創造する行為といえよう。今回のコロナ・ショックで工場が停止し、金属類の価格が下がっているらしいから、これを使ってコロナ・コインでも鋳造すれば良いんじゃないだろうか。


 そしてもう一つ、それは日本銀行券の消失だ。日本銀行は世に送り出した一万円札借用手形と同等の借金を己に課しているが、津波や火事や過失で、その借用手形が消えてなくなることがある。だが証文が消えた後も、日本銀行は義理堅く己の借金を記憶し続ける。正式なプロセスを経ないまま一方的に貸借関係が解除されたために、日本銀行の負債だけが残され、計上されてしまうのだ。それはひいては日本の国債に計上されている。この消えた紙幣という埋蔵金で国債残高は償却できる……?ダメかな。


 いずれにせよ我々は、お金というものの理解を見直す必要があるのではないだろうか。シンプルでありながら複雑、絶対的な価値を持ちつつ相対的な価値しかなく、磐石でかつ脆い。視点を変えれば性質が変わる。少なくとも生活レベルミクロな視点政治レベルマクロな視点とでは、そのあり方はガラリと変わるのだ。政治家に庶民的経済観を要求するのは構わないが、少なくとも政治は庶民的経済観だけではやっていけないのである。


 

[1]日本銀行 公表資料

https://www.boj.or.jp/announcements/education/oshiete/outline/a23.htm/


[2]日本銀行 資金循環統計

https://www.boj.or.jp/statistics/sj/index.htm/


[3]主要国の対外純資産額をグラフ化してみる

http://www.garbagenews.net/archives/2013421.html


[4]金持ち父さん貧乏父さん(amazon)

https://www.amazon.co.jp/%E6%94%B9%E8%A8%82%E7%89%88-%E9%87%91%E6%8C%81%E3%81%A1%E7%88%B6%E3%81%95%E3%82%93-%E8%B2%A7%E4%B9%8F%E7%88%B6%E3%81%95%E3%82%93-%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E3%81%AE%E9%87%91%E6%8C%81%E3%81%A1%E3%81%8C%E6%95%99%E3%81%88%E3%81%A6%E3%81%8F%E3%82%8C%E3%82%8B%E3%81%8A%E9%87%91%E3%81%AE%E5%93%B2%E5%AD%A6-%E5%8D%98%E8%A1%8C%E6%9C%AC/dp/4480864245

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社会問題あれこれ ヱビス琥珀 @mitsukatohe

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