3.2 笑いは世界のパスポートさ

 白銀の魂を持つ乙女の口に下ネタを連呼させたにもかかわらず、休日のお誘いを受けてしまった。

 ゆたかは緊張の面持ちで約束の場所に歩む。

 対抗戦後の下ネタ裁判で、「タマ×ンがアウトならキン×マはセーフか」とゆたかが問うたところ、清らはまた衣の奥に隠れてしまったが、書物の呼び手・古本文彦が言論の自由の観点から説得したこともあり、場所と状況を考慮しての下ネタは許可され、清らも承認した。

 これで円満解決のはずであった。


「このあたりかな」

 約束の場所が見えてきた。古い洋館の前に庭がある。

「キーック!」

 前ぶれもなく、スネに衝撃を受ける。

 わらわらと幼児が集まってくる。

「清らちゃんが呼んだ人?」

「はいつくばってる」

「すっぱい顔してる」

 ゆたかはスネをおさえながら、酢を飲まされたような表情をする。


「いけません」

 清らの声が子供たちをしかる。

 制服ではなく濃い色のワンピース状の服を着て、肩から白い衣をつけている。

「わたしがおつとめしている修道院が開いている保育園の子供たちです」

 子供たちがゆたかの周囲をとりまく。

「かっこわるーい」

「出世しなそう」

「にがい顔してる」

 口々にゆたかに厳しい評価を下す。

「すみません。見慣れない方に興味があるようです」

「ぼくはいつまでも見慣れない新鮮な男だからね」

 ようやく起き上がり、キックを防ぎながらいう。

「今日お呼びしたのは、ひとつお願いがあります」

「なんでも、よろこんで」

 清らはゆたかを保育園の室内に案内する。

「子供たちが元気なのはごらんのとおりです」

「そうだね。見えない角度から正確に蹴りこんできたしね」

「ところが、ひとり、そうでない子がいるんです」

 ドアを開き、ゆたかを招き入れようとする。

「はぅ!」

 またしてもスネに衝撃が走る。

「いけません、スリンギギヨデマ」

 男児がゆたかを見上げて、すねた顔をしている。

「すらんぎよだほ? はうあ!」

 また蹴られる。

「すみません。この子は自分の名前を間違えられると怒るんです」

「簡単なニックネームとかないのかな」

 ゆたかが顔をしかめる。

「ご両親が仕事の関係で来日して、彼は日中はこの園ですごしていますが、言葉がわからず、習慣にもなじめないようなのです」

「どこの国から?」

「スデポンボワモ共和国です」

「どのあたり?」

「レレロンナナガ王国の東側です」

「西じゃない雰囲気はあった」

 ゆたかがとりあえず納得する。

「短い期間の滞在ですが、楽しい思い出を持ち帰ってほしいのです」

「東にね」

 ゆたかは男児を見る。

 自分たちとは肌の色も顔の形も違うようにも見えるし、あんがい同じようにも見える。

「ちなみにフルネームは?」

「ギギレ・ヨ・スリンドミマ・イイダバシ・マです。スリンギギヨデマは現地の言葉で「晴れとくもりの中間の日に生まれた元気な5歳半の男児」を意味するニックネームだそうです」

「名前を知らなくても友達になれるよ」

 清らは安心したように笑顔を見せる。

「ゆたかくんは笑いの専門家なので、この子を楽しませてくれるでしょうか?」

 約24時間前に自分をはずかしめた首謀者を信頼して依頼している。

「笑いは世界のパスポートさ」

 胸を張り、ポケットをさぐるがハンカチが入っていない。ハンバーガーシリーズは使えない。

 スリンギギヨデマは小刻みなフットワークでキックのタイミングをはかっている。

 言葉を使うギャグは理解されない。体の動きで楽しませるしかない。


 ゆたかは右膝を床につき、左足を立てて、スネを右手の横でこする。

「みよーん、みよーん、みよよよよーん」

 スリンギギヨデマは攻撃姿勢をやめ、困惑の表情になる。

「それはいったい?」

 清らが小声で聞く。

「スネバイオリン」

「はい?」

「スネバイオリン」

「バイオリン?」

「みよーん」

「音がチェロに似ていますが」

「ミヨーン」

 半音上げる。

「ミヨヨヨーオオォォ、ミヨンミミミヨーン」

 頭をふり、さながら世界的バイオリニストのように没頭しながら熱演する。手が加速し、スネが加熱する。

「ミヨオオオォォォーン、ヨン!」

 即興の協奏曲を弾ききって、手を宙にふり、ゆっくりと顔を上げる。スリンギギヨデマはどうしていいかわからないような顔をしている。

 横を見る。清らもどうしていいかわからないような顔をしている。

 ゆたかは演奏を終えたバイオリニストのように清らに目で訴える。

 清らはためらいながらも声を発する。

「・・・・・・ぶらぼー」

「ブラボー、はい、ブラボー!」

 ゆたかは立ち上がり、手をたたく。スネは赤い。

 清らはほほを赤くしながら、控えめに手をたたく。

 スリンギギヨデマはどうしていいかわからないような顔をしている。

「近づいた。近づいたよ。虹の橋をわたろう」

 肩に手をかける。拒否されない。

「宝来家秘術その43」

 ゆたかは左手を伸ばし、男児のわき腹をくすぐる。

 「うひゃ」と世界共通の声をもらす。

 そのまま両手の指先でわき腹を往復させる。ふれるかふれないかギリギリのところですばやく指を動かす。

 スリンギギヨデマが口を開く。

 そこで、ゆたかの肩が背後からたたかれる。

 ふりかえると、清らがゆっくりと首をふっている。

「それは違う気がします」

 強い意志を感じさせる否定の姿勢を見せている。


「これも技術がいるんだけどね」

 ゆたかは顔を軽くたたく。

「技術で笑わせようとしちゃいけないな」

 おなかもたたく。

「笑おうか」

 息を大きく吸って、笑う。


「はははははははははははははは!」


 突然、笑う。

 大きく口を開き、大きな声で笑う。

「はーーははははははははははははーーーーー!」

 体を折り曲げ、おなかをおさえて、笑い声を発しつづける。

 緊張なくゆるんだ顔で、口を開け、目を細め、軽くとびはねながら、笑う。

 なんの悩みもなく、苦労もなく、声高く、楽しそうに笑う。

「ははは、あーははは!」

 ころがりそうな勢いで、おだやかな表情で、だれよりも幸せそうに笑う。

「あーはははは、わーあははははは!!」

 世界一ゆかいな人のような顔をして笑いながら清らを見上げる。

 清らが口元を手でおさえている。

 ゆたかがその手を取ると、笑っている。

 抵抗するのをやめたように、清らも笑う。

 性格も信条も違う相手に笑いがうつっていく。

 もう片手をスリンギギヨデマに伸ばす。

 手を握り返して、笑う。

 国も文化も違う相手にも笑いがうつる。

 理由もなく、必要もなく、ただ笑う。

 ただ、おたがいが笑う姿を見て、自分も笑う。

 笑うことで楽しくなり、また笑う。他の人たちの笑顔で自分も楽しくなる。

 腹筋をはずませ、胸の鼓動が高まり、体が熱くなる。

 そのまま笑い続けて、全力疾走したように息が切れ、3人で座りこむ。

 息を整えながら、笑顔が残る。

 ゆたかがスリンギギヨデマのスネを手でこする。

「ミヨ~ン」

 ギギレ・ヨ・スリンドミマ・イイダバシ・マは、笑いすぎてふるえる声で応えた。

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