1.3 諦念師、その歴史、くるくるどーん

 団栗山高校の古びた校舎の間を縫って、諦念ていねん科の生徒たちが歩いていく。

 深見先生がゆたかに問う。

「諦念科はすでに専門的な訓練を経た生徒しか入学させないのだが、きみはどうかな?」

「まったくの素人です。トイレのしつけはされてます」

「正直は美徳で、トイレは重要だ。なにか特技は?」

「えーと、運がいいです」

「なによりだ。このクラスは人数が少ない。入学が遅れている者を含めても、すぐに親しくなるだろう」


 校庭の端を歩きながら、深見先生が諦念師の解説をする。

「歴史の陰に諦念師ありといわれ、我々の先人たちが戦ってきた。教科書には載っていないがね」

 ゆたかは神妙な顔でうなずく。

「社会が乱れるとき、人心も乱れる。あるいは人心の乱れが社会の混乱と紛争を引き起こす。我らは歴史の陰で憎悪を食い止める」

 深見先生はきびしい表情で続ける。

「2度の世界大戦、明治維新、江戸幕府成立、大化の改新、墾田永年私財法」

「くいとめましたねぇ」

「フランス革命、コペルニクスの地動説、ピラミッド建築、縄文土器を華やかにデコレート、オオカミをペットにしてポチと名づける」

「知らなかった」

「なにしろ歴史の陰だから教科書に載ってない」

 深見先生は平然と続ける。

「とはいえ、現在ではスケールの大きい事件にかかわるのは控えて、だいたいご近所の平和を保つくらいの役目だ」

「ぼくにもかかわれそうな気がしてきました」

 ゆたかは前向きに受けとめた。


 一同が歩く脇にバスケットボールのコートがあり、男子生徒たちがプレイするのを女子が応援している。

 シュートの攻防に歓声が上がり、ボードではじかれたボールが転がってくる。

「少しかかわっておくか」

 深見先生がジャージ姿の小柄な少年をちらりを指名する。

はやしリン」

「はい」

「あのボールをさっと奪って、がーっと行って、くるくるどーんとしてきなさい」

「くるくる?」

「どーん。いいから、どーん」

 リンは首をかしげながら、ボールを拾う。

 上級生が手を掲げてボールを求めるが、リンはドリブルで突入する。

 たやすく数名を抜き去って、コート内で相手をかわしつづける。

「だれ?」

 観戦する女子たちから疑問の声が上がる。

「女の子みたい」

「かわいい!」

 ほほに流れる髪と小さな体格からリンは女の子によく間違えられる。

 女子の無責任な盛り上がりが、男子たちの闘争心に火をつける。

「なんだ、おまえは」

「邪魔すんな、チビ」

 リンの顔色が変わり、動きをとめる。

「センパイ、遊ぼうか?」

 ボールを軽くはじいて人さし指の上で回し、やんちゃな顔を見せる。


 深見先生がゆたかに問う。

「宝来ゆたか、少年たちがスポーツをして女の子にキャーキャーいわれてご機嫌のところに、下級生のチビが乱入してあっさり惨敗したら、どう思う?」

「それは・・・・・・とても残念な気持ちだと思います」

「よろしい。しっかり見ておきなさい。『残念』が生まれる瞬間を」


 リンがボールを強く床にたたきつける。まっすぐに跳ね上がる。

 上級生たちがいっせいに飛び上がり、伸ばした手が空を覆い、リンの顔に影をつける。

 しかし、一瞬ののち、さらに上空でリンの小さな手がボールを奪い、そのままゴールにたたきこみ、リングにつかまる。

「小さく見えるね」

 3メートルから見おろして、着地する。

 女子たちから歓声と拍手が巻き起こる。

 ゆたかも手をたたく。

「すごーい!」

「照れてる!」

「かわいい!」

 リンが一躍スターとなり、男子生徒は立場なく、苦い顔をする。

 

 すかさず、深見先生が指示する。

閑野かんのちほ、探索!」

 髪をポニーテールにした少女が両手の親指と人差し指で四角をつくる。

「ちほスコープ!」

 そのスコープからバスケットコートの上空をのぞく。

「発見! 男たちの生臭い情欲がどろどろとうねりながら固まっていきます」

 ポニーテールの先端がゆれて、2時の方角を示す。

 諦念科の生徒たちが目で追う。ゆかたにはなにも見えない。


 深見先生が解説する。

「念とは精神のエネルギー、善も悪もない。人はみな、情念、執念、信念、思念、疑念さまざま持って生きる。しかし、求めて得られず、願ってかなわず、想って想われぬ念が凝り固まったものこそ、残念。残念が人と世界にひずみをつくる」


「残念」


「その残念を打ち祓う者が、われら諦念師。諦念師は2人1組で……」

 深見先生がかっこいいポーズで解説しようとしたところで妨害される。 


「よっしゃ! ワシらの出番じゃ! 行くぞ、羊太!」

「やめようよ」

柴木しばき大吾だいご仁藤にとう羊太ようた、却下」

 両者とも背が高く、一方はがっちりでやかましく、もう一方はほっそりでおとなしい。対照的なコンビは深見先生にまとめて停止させられる。


 深見先生が生徒を見まわす。

「呼び手、大鳥世音。術を開始せよ」

ゆたかに飛びついて回転していた少女が指名され、笑顔で手を挙げる。

「はい。おどりまーす」

「踊る?」


 林リンの一方的な侵略で上級生たちの心を乱して念を発生させておきながら、ダンスタイムが始まる。

 目をまるくするゆたかにウインクしてから、世音は周囲にあいさつするように両手を開き、体を何度かはずませリズムを取って踊りはじめる。

 なめらかに全身をゆらし、楽しげに地上をすべりまわる。

「きれいだね」

 ゆたかは考えるのをやめて手拍子する。情熱的なダンスに、ないはずの音楽が響いているような気がしてくる。

 世音は突き出した胸を前後に動かし、上体をしなやかに波打たせる。じょじょに速度を高め、激しさを増したところで両手を天にかざす。

 すると、世音の姿が赤く輝く。上空から赤い光が射している。


 深見先生が指名する。

「投げ手、神妻舟!」

 眼鏡の級長・舟が進みでる。

「ゆたかくん。今の世音さんのように、『呼び手』は自分の術で天をよろこばせ、その力を地上に呼び込む」

「よろこばせる?」

「お祭りや神事の多くは天をよろこばせるためにある。呼び手はその専門家」

 舟が右の手の平を差しのべると、赤い光が吸い取られるように集まっていく。

「これが天の念」

「いったい、なんなの?」

 赤い光が手の上でまたたいている。

「知るはあたわず、信ずるのみ。理由はわからない。ただ、大昔から天の力を呼べる人がいて、それを操れる人もいた」

 舟が指を動かすうちに、天の念がボールの形にまとまっていく。

「ぼくのような、『投げ手』はそれを使って、残念を祓う」

 ぽん、と、下手から赤い球を放る。

 ふわふわとただよって、上級生の頭上に出現した残念に衝突する。


「残念、消滅しました」

 閑野ちほが確認すると、上級生たちが口論をやめ、気まずそうにしながらもプレイを再開する。


「残念は残念を呼び集めて争いのもとになる。こうして消してやるのが、ぼくたち諦念師の役目だよ」

「すごいね。エジソンもこれを見て電球を発明したのかな」

「・・・・・・そうかもしれないね」

 舟が言葉をにごし、思い出したように問いかける。

「ゆかたくんは、呼び手で独特の技術を使うって聞いたけど?」

「ぼくの技?」

 ゆかたは胸を張り、晴れやかな表情を見せる。


「笑いだよ」

 にっこりと笑う。

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