無償の愛情。

タッチャン

無償の愛情。

「離婚しよう。」


幼いマサカズは眠たい目を擦って両親の会話を薄く開いたドアから見聞きしていた。

幼い彼には「離婚」と言う言葉は理解出来なかったが、リビングで向かい合って座る両親から発せられる重い雰囲気で察する事が出来た。

家族3人で過ごすのは今夜が最後だと。


次の日、家の中に父親の姿は無く、マサカズは母親に手を引かれマンションを出ていく。

パンパンに詰まったリュックを背負って母親は彼に新しいお家に行くんだよ。お母さんと二人で暮らすんだよ。と言った。

すれ違う人々は彼らを見ては同情に近い表情を晒す。

その様子を見ていたマサカズは母親の顔を見上げて気づいた。

怒りと悔しさと悲しみを含んだ涙を流していた事に。


それから数十年たち、彼は2DKのボロアパートの一室で泣いていた。


「また泣いてるの?呆れた。弱い癖に喧嘩なんかす

 るんじゃないよ。絆創膏持ってくる。」


仕事から帰ってきた母親に見られたくない姿を見られ、彼は恥ずかしさを隠し、喚く。


「うるせえ!いらねえよ!ほっとけよ。」

「誰にうるせえだ?口の聞き方に気をつけな。

 私が本気出したらあんたより強いからな?」

「…ほっといてくれよ。」

「あんたさぁ、明日中学校の卒業式でしょ?

 そんなボコボコの顔で出るの?恥ずかしいよ?」

「出ねえから。そんなもん…タバコ買ってくる。」

「あんた高校は行かないの?もしかして私に気使っ

 てるの?いらないから!そんなの。大丈夫よ。」

「行きたくないだけ。てかタバコ代、早く。」

「タバコ買うお金あったら旨いもん食えるのに。」

「ほっとけよ…」

「高校行かないで就職するの?止めときなよ。

 若いうちは遊ばないと。絶対後悔するよ。」

「就職先、もう決まったから…高校行く余裕なんて無

 いだろ。俺が働かないと生活苦しいじゃん。」

「…あんた見た目の割りにちゃんと考えてんだね。」

「うるせ…ほっとけよ。」

「まぁあんたのやりたい事やんな。

 お母さんは応援してるよ。はい。タバコ代。」


彼に渡した500円玉は優しく輝いていた。


「あっそうだ、もうすぐマキ叔母さんが来るよ。」

「…コンビニ行ってくる。」


彼が帰ってきた時、アパートの中から賑やかな声が聞こえてきた。


「久しぶりだね!マサ!大きくなったねぇ。」

「…久しぶり。叔母さんは老けたね。」

「うるさいよ。それより明日、卒業式でしょ?

 私も行くよ。」

「この子行かないってさぁ。それよりマキ、

 ケーキ、早く開けてよ。食べようよ。早く。」

「姉さん、がっつかないで。

 マサ、ほんとに行かないの?何で?」

「……ほっといてよ。」

「この子さっき、毎日頑張って働くお母さんを楽に

 してあげたい!僕が働いて親孝行するよ!って言っ

 てくれたんだよぉ。このケーキ旨いね。」

「そんな事言ってねえよ!」

「へー、えらいねぇマサ!」

「……寝る。」

「照れてるねぇ。マサ君。かわいいねぇ。」

「ダメだ。食べ過ぎた。お腹いたい。トイレ……」

「姉さんは相変わらずだねぇ。

 ……マサ?今姉さんいないから言うけどさ、来月、

 母の日あるって知ってる?」

「…俺に関係ないから。」

「それが関係あるんだなぁ。何かプレゼントしたら

 喜ぶと思うよ?高校は行かないの?」

「…うん。」

「働くの?」

「うん。」

「いいと思うよ。うん。私も応援するよ。」

「…ありがとう。」

「…それとね、姉さんね、マサのお父さんに離婚しよ

 うって言われた日にマサの事で揉めたんだって。」

「……何でこのタイミングでそんな話なの?」

「まぁ、少しだけ聞いてよ。それでね、

 どっちが育てるかで言い合いになったんだって。

 まぁ、姉さんが一方的に攻撃してたと思うけど。

 お父さんが姉さんに、金銭的に俺が育てた方がい

 いに決まってる。お前が育てるより安定してるって

 言われたみたい。それ言われた姉さんが何て言った

 と思う?」

「…わかんない。」

「姉さんね、あの子に必要なのはお金じゃなくて、

 愛情よ!って言い返したんだって。

 あの子の為なら体だって売るし、汚い仕事だって

 なんだってやるわよ!

 あんたにその覚悟があるの?私にはあるわ。

 って言い負かしたみたい。すごいよねぇ。」

「……初めて聞いた。」

「まぁ、働いてさ、初任給で美味しい物でもご馳走

 してよ!回らないお寿司とか?」

「…考えとく。」

「何の話してんの?」

「あっ、姉さんあのね、マサが初任給でお寿司奢っ

 てくれるってさぁ。」

「お休み。」

「おい、寝るな、起きろ。お母さんは高いワインが

 飲みたいぞ。おい聞いてんのか?ワインだぞ。」

「……姉さん、目赤いね。どうしたの?」

「そ、そう?花粉症だからかなぁ。」


───────────────────────


「クシュン!」

「なぁ、お袋。」

「あぁ鼻水が出る。何?」

「母の日に花束渡すの、これで3回目じゃん?」

「そうだね。毎年ありがとねぇ。クシュン!

 初任給はワインかと思ってたけどまさか花束がくる

 とは思わなかったよ。ハクシュン!

 3年連続続いてるねぇ。いつまで続くかな?」

「…何で毎年母の日からその後の花が枯れるまでの間

 くしゃみしっぱなしなんだよ。」

「あ、あぁ、ほら、お母さんって花粉症じゃん?」

「嘘つけよ、世間がマスクして歩いている中で、

 お袋だけ平気な顔して歩いてるじゃん。」

「うっ、そそそれはねぇ」

「目、おもいっきり泳いでるぞ。」

「…ごめん!これ言ったらあんた怒るかなと思って、

 ずっと黙ってたのよ。クシュン!」

「なんだよ?」

「…いやぁ実はね、私さ、花苦手なんだよね…。」


彼は改めて思った。いつもそうなのだ。

自分の優しさを踏みにじる事はしない母だったと。

自分の事を一番に考えてくれる癖は死んでも直らないと。


母の言葉を聞いた彼の口元は緩む。

彼もまた母親同様、無償の愛情を込めて言った。


「…早く言えよ。来年からワインにするわ。」

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無償の愛情。 タッチャン @djp753

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