第4話(7):ダメ

「ダメだよ!!」

 

 ククルは同じ言葉を続けた。目元が、頬が、その苦痛からぴくぴくと痙攣するように動く。叫んだ拍子に槍の刺さった部分から血がどろりと流れ落ちる。

 それでも、そんなことまるで意に介していないとばかりに、マルカは叫ぶのを辞めない。


「ダメ、あなたもムスティフさんも!」

「ク、ククル――お前――――」

「ダメ! 怒っても殺すのは、ダメ!!」


 ――サイクロプスは。

 困惑したように、目の前の少女を見つめて。


「ムスティフさん、殺しちゃだめって、さっき言ったばっかり!」

「だが――そうじゃなきゃ――――殺さなきゃ俺たちが殺される!」

「でも、それでも殺しちゃダメ!」


 ククルがこのリザードマンに対して怒っているというのは、理解できたようだった。

 何故――何故――――?

 この少女は自分たちを庇ったのか――――?


「ククルたちを守ってくれようとしてるのは分かるけど、サイクロプスは守らないの!?」

「こいつらは――――怪物だ!」

「でも心はあるの!」


 ――マルカに殴りかかろうとしていたサイクロプスは。

 彼女の存在なんて関係ないとばかりに拳を握りしめて、しかし振り降ろすことは出来ずに拳を緩めて。

 大きく拳を振りかぶったかと思うと、そのまま腕を力なく下げたりして。

 そんな動作を何回も繰り返してから、ゆっくりと、ゆっくりとだが、うなだれるようにしてその場に膝から座り込んだ。「ウオオオオオォォォォ!」と一層強く叫ぶ。


 他のサイクロプスも同様だった。

 同胞を殺された怒りと強い殺意、だけれどそれは目の前の異常な光景を見て行き場を失ってしまった。自らの命を賭して、その幼い肉体に傷を付けて、仲裁に入った少女の姿――殺意の怪物を庇おうとする彼女の姿を!


「ククル、痛くないですか?」


 みな動揺していたが――その中でマルカだけは、きわめて冷静だった。「痛い」とククルは頬をぴくぴく動かした。「だけど、こういうと変だけど――気持ちいい」


「気持ちいい……ですか?」

「うん……。旅の後って、疲れてるけどでも何だかいい気持ちでしょ。そんなかんじ――」

「……あはは、そうですか。そんな傷を負いながら凄いことを言いますね。……あはは」

「傷って言うなら、多分マルカさんの方がひどい傷だと思うのだけれど。ああ、ククルの背中の傷はどんななのかな、ちょっと気になる」

「直ぐに抜いてあげますから、ちょっと待ってくださいね」


 マルカは背嚢から消毒液と清潔な布をいくつか取り出した。そして未だに心ここに有らずという風のムスティフの肩を叩く。「ムスティフさん」と名前を呼ぶと、「あ、ああ……」と彼は唇を震わせながら頷いた。


「後悔も反省もあるだろうしわたしからも色々言いたいことはありますが、それは今ではないです。まずは槍を抜きましょう」


 マルカは傷口に消毒液をかける。「う、うう.……」とククルはうめき声を上げるが、しかしそれだけだった。


 ククルの額にはを脂汗が浮かんでいた。血は槍が刺さったままなのであまり流れてはいないし、槍も臓器を傷つけるほど深くは刺さっていないだろう。

しかし、だから痛い。命の危険があるほどの致命傷ではないから、身体がしっかりと正常に痛みを感じてしまっている。

 だのに、ククルは言葉を紡ぐ。


「あなた達は、頭がいいから分かるはずよ。ムスティフさんはあなた達の同胞を殺してしまったけど、でもそれは仕方のない事だった――仕方のないで済まして良いことじゃないけど、でも身を守る為だった」


「ちょっと痛みますよ」マルカはそう言ってから、槍を一気に引き抜いた。ぶわあっと血が流れ出てくる。「ああああ――!」ククルが悲鳴をあげるがこればかりはどうしようもないのだ、槍を投げ捨て傷口を布で押さえる。

 それでも、ククルは口を閉じない。毅然としたように、もう痛みを忘れたように、はきはきと、明瞭な言葉で。


「あなた達は、ククルたちを殺そうとした。だからククルたちも同じことをしちゃったの。最初は分からない。最初はどっちから手を出したのかは分からない。でも、それであなた達が同じことをしちゃったら、ずっとそれが続いちゃう。……うん、これはきれいごとだよね。ククルもわかってる、ごめんね」


「あたしに任せて」とモーランがマルカに声をかける。モーランのポーチからは鉄糸草が一本だけ伸びていた。髪の毛よりちょっと太いくらいの、鉄の固さを持ったツル。

 ギュギュギュッ、グクッ。モーランが植物語を口にすると鉄糸草がククルの傷口に伸びて、なんとそこを縫合し始めた。更なる痛みにククルはうめき声を上げる、モーランはそれに顔を歪めつつも淡々と指示を出し続ける。


「でも、マルカさんが死んだらククルは悲しい。それであなた達が死んでも、ククルは悲しい。悲しいことはダメだし嫌なの、ククルに関係ない事でも嫌なの。ねえ、どうか――お願い。これ以上無意味に殺すことをしないで。エサとかそういうの関係なく、殺すことを目的に人を殺すのは辞めて頂戴――」


「それはありえない、ありえないのだ、絶対にありえないのだ!」


 ローブの男が嘲笑うように言った。随分と長い間沈黙していたような感覚があったけれど――違う、そこでようやっとマルカの中の時間の流れが正常になった。


「サイクロプスは人を殺す為に生まれた魔女の殺戮人形なのだ! 人を殺し嬲り叩き潰し肉塊に変えるためだけに生まれた存在なのだ。こいつらが人への憎悪と殺意を抱いているのは本能なのだ、そのために生まれてきた! 人が呼吸をするようにこいつらは人を殺す、殺す、殺しまくる! 復讐は辞めても殺戮を止めることは、決してない!!」


「そう――いたっ! そうなの……?」


 縫合の終わったククルは、ふらふらとおぼつかない足取りで、座り込んだサイクロプスへと近寄った。「何を――」とククルを引き戻そうとするムスティフを、マルカが遮る。


 膝をついたサイクロプスの隣に立ち、巨木の様な太ももに手を付いて一つ目の顔を見上げた。サイクロプスは一瞬、傍に近寄った人間に対して本能的な殺意が湧きあがり全身の筋肉が膨張する――が、理性を持ってそれを抑え込む。


「本当に人を殺すようにできてるの? それは――――辛かったね。ずっと何かに怒りを持って生きるのは、すごい苦しかったよね」


 ククルは太ももに背中をつけて、そのままずるりと力なく地面に座り込んだ。


「楽しいことはないの? 好きな相手はいないの? おいしいご飯は? 好きな場所は? 好きなことは? 欲しいものは? ……それも、何にもなかったの?」


 いつの間にか他のサイクロプス達もククルの傍に近寄っていた。勿論カルトの男を乗せたサイクロプスもだ。「何をしている、何をやっている?」とサイクロプスに怒鳴りつけるが、それの命令を聞く素振りすら見せなかった」

 やがて彼らはククルを囲むように座り込み、涙や嗚咽と共に、その言葉に耳を傾けている。


「それは苦しいよ。それは辛い。……でもしょうがないのかもしれない、だってあなた達には心が無かったから。でもね、そういうものが感情なんだよ。好きなことをして幸せてーって楽しいなーって思うことが感情なの。嫌いなことを嫌々したりしなかったりするのが感情なの。ククル、それに関してはすっごい詳しいんだから」


「おい、離れろ、離れろよ! せめてこいつを叩き潰せ、殺せ、全員殺せ!」


 喚く男を耳障りだと感じたのか、サイクロプスは彼を地面に払い落としてしまった。殺意があった訳ではないだろうが、少し乱雑に頬り出すようにして。「ぐぬあっ」という情けない声を上げて顔面から着陸した。


「だからさ、みんな感情を持ってるんでしょ。だからそうやって生きるべきだよ。どうしてか分からないのに人を殺すことに一生を使うんじゃなくてさ、楽しいことをするために、生きるために生きようよ。どうするかを自分で決めて生きようよ。ちゃんと、生き物として生きよう?」


 そしてククルは、にっこりとほほ笑んで。

 全員の顔を順番に見てから、にっこりとほほ笑んで・


「生きるのは楽しいよ。楽しいってのが生きることだよ。よく分からずに人を殺すんじゃなくて、ちゃんと自分のやりたいことをして、自分の為に生きて。そうじゃなきゃ、せっかくの命がもったいない――――」


 そして、ククルはゆっくりと、眠るようにして目を閉じた。

 サイクロプス達が――マルカ達が驚いて傍に駆け寄る。


 すう、すう。


 静かで、安らかな寝息だった。

 マルカ達はほっと安堵した。だけれどそれも一時。

 本当にやらなければいけないことが、まだ残っていた。


*


「あ。ああああああああああ。くそ、くそくそくそくそくそ。くそくそくそくそくそくそくそくそ――――!!」


 ローブの男は地面にうつぶせになりながら頭をガリガリと掻き毟っていた。その姿はひっくり返った。その様子は哀れというか無様だった。

 しだいに彼の逃避がずるりと崩れて、だらだらと血が流れ落ちてきた。指に絡みついた毛をうっとおしそうに取りながら、今度は足をバタバタと暴れさせた。


「ああくそ、また取れやがった!! 頭皮が外れやがった、取れやがった、痛い、痛い、嫌だ嫌だ」

「感情を持たせるってのはこういうことですよ」


 マルカのその声は、自分でも驚くくらいに冷たいものだった。


「あなたのやっていたことは、善悪の分からない子供を騙していたことと同じです。だけれど彼らは気付くのです。時間はかかるかもしれないけれど、何が善で何が悪かは判断できるようになります」


「悪? 悪かあ、悪、悪、悪――――私が悪だと言いたいのか、俺が悪だと言いたいんだな! でもそれは違う、違う、決して違う、俺には、俺たちには崇高な信念があるんだよお前らには判らない成し遂げなければいけない天命が!!」


「あなたが正義だって、そう言いたいの? なんて趣味の悪い冗談かしら、笑えないわ」


「正義だ、正義に決まってるだろう! 目的を叶えるためには努力をしなければならない、努力というのは時間や金や体力を消費して鍛錬を重ねることだ。それを悪だという人はいない、むしろ褒め称えるはずだ! 俺は世界のために活動している、世界の救済なのだ、だからそのためにこの世界にある命を消耗しているだけなのだ、褒められこそすれ貶される覚えはない!!」


 男は跳ね上がるようにして立ち上がった。地面にぶつかった衝撃か仮面は割れていて、その破片が顔中に突き刺さっていた。

 ぐにゃあと、その破片が位置を動かした。それが笑ったのだということに気が付くのに数秒の間があった。


 男は手に何かを持っていた。それはハンドカノンだった。マルカのものと同じものだった。いつしか放り捨ててしまったものを拾ったらしかった。彼はそれを構え、照準をマルカに向ける。マルカは今から彼の元へ駆けだしても引き金を引くのには間に合わないと瞬間的に理解した。


 ムスティフはどこか呆然としたままで、それに気が付くのに一瞬送れる。その一瞬が命取りだった。モーランは植物語を紡ぎだすが、指示を出すという関係上これもどうしても遅れてしまう。

 マルカにハンドカノンが命中するというのは、もう確定した事実だった。


 だから、マルカにできるのは祈ることだけ。

 火鼠のローブに当れば、骨は砕けるだろうが死にはしないだろう。最良は彼が使い慣れていないハンドカノンを外してくれることだが、もし当たるなら顔じゃなくてそこがいい――そう祈ることだけだった。


 果たして。

 ぱあんと、炸裂する凄まじい音がした。

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