第4話(6):『種』と悲壮
痛い。
痛い――痛い!
頭が、割れるように痛い。いや、額は割れているんだ。
だけれど、それでいい。その痛みで一瞬で我に返る。
そして動ける、痛いけれど身体は動かせる!
立ちあがる。少し視界がぐらぐらするが――やはり動ける。
ククルを拾い上げる。「まっ、マルカさんっ!」ククルがマルカの顔を見て顔を白くする。きっと顔は血まみれなのだろう、血が目に入って前が見づらいし。だけれど、今そんなことを気にしている場合じゃないだろう!
ジダも拾い上げて地面を蹴って走り出す。倒れたばかりのマルカが立ち上がったことで狙撃手も驚いているだろう。
流れる血が勢いを増す。ぼたぼたと手の中のククルが血で汚れている。ごめん、でもしょうがない!
マルカが目指したのはムスティフの合流だ。サイクロプスは突然急変した事態に対応できていないし、狙撃手も新たな支持を出せていない。今しかない――抜け出すなら今しかない。
「こっち!」
声が聞こえた。モーランのものだ。随分懐かしく感じた。
木々の隙間からツルの束が伸びてきて、マルカはそれに手を伸ばした。ツルはマルカの身体を伝ってマルカとククルの身体に巻き付いて、それを難なく持ち上げて引き寄せた。
空中で持ち上げられながら、これは鉄糸草だな、と考えていた。マルカの頭はぼんやりしている、しかしこれ以上なく覚醒もしている。
「マルカ、大丈夫ッ!?」
自分の傍にマルカを降ろすと、モーランは血相を変えて叫んだ。そんなにわたしの傷は酷いのだろうか、と額に手を当てた。痛みはなかったので傷口を指で撫でてみた。固い。これは頭蓋骨かもしれなかった。
それは酷いけがだ。傷跡は残ってしまうだろうか。しかし死ぬより、ずっとましだろう。
どおんと音が聞こえた。サイクロプス達の攻撃が再開したのかと思ったが、違かった。ムスティフが殺したサイクロプスの巨体が倒れ込む音だった。
「…………無事だったか」
マルカの目を睨むように見つめながら、ムスティフが言った。鋭い目つきだがこれは安どの表情だ、ということはマルカは知っていた。
一体どこが無事に見えるのだろう、と思ったが命はとりあえず無事だった。
「とりあえず黙祷だ」
マルカの血まみれの顔を見てぎょっとしたムスティフだったが、それよりも彼には大事なことが会った。ムスティフはサイクロプスの傍で手を合わせると黙とうをささげる。モーランも、小さくそれに合わせた。
「ムスティフさん、もうサイクロプスは殺しちゃだめです」
「……はっ?」
「詳しい説明は省きますが、彼らは『種』によって感情を植え付けられています」
「――――ッ! そうか、それでか…………!!」
「ですから、もう殺しは駄目です。彼らには人間の心が宿っています」
「だが奴らは俺らを殺そうとしてる! 殺さなきゃ殺されるぞ!」
「それはサイクロプスを悪用しようとしているやつのせいです。心があるなら話せば分かってくれるはずです」
「それは――綺麗ごとで希望論だ」
「分かってます、それくらい」
ククルもモーランもジダも、マルカとムスティフの会話に口を挟むことはしなかった。二人の雰囲気から言葉を挟めなかったというのもあるだろうけれど、サイクロプスの現状は伝わっていたからだった。
「皆さん――サイクロプスは現在、無理矢理人間の心を植え付けられて感情を持たせられています。首謀者は一体どうしてそんなことをしているのか、その先に何があるのか、それは分かりません。ですが利用されているのは確かです。だから、わたしはサイクロプスと話をして来ようと思います」
「いいと思うよ」
即答したのはククルだった。
「マルカさんがそれがいいって思うなら、それでいいんじゃないかな」
腕を組んだモーランが、理解の追い付かない表情をしながらも口を開いた。
「……あたしは反対。今もこうして殺されそうになってる訳だし、それにあたしたちは既に二匹サイクロプスを殺してる。その状態で会話は愚作としか思えない」
「そんなことよりとにかく逃げようよ!」
泣き出しながら言ったのはジダだった。
「マルカ、凄い血の量だよ!? 死んじゃうよ! そうじゃなくとも出血多量で倒れる! 今こうして包囲網から逃れられたんだ、とりあえず逃げようよ!!」
モーランの言葉も、ジダの意見も、どちらも正しかった。
正しかったけれど――気にくわなかったというか、なんというか、正しいのは分かるけれど間違っているような気がしたのだ。
マルカの意見は、それを聞いてこれっぽちも変わることは無かった。逆の意見を受けたことでむしろ強調されていた。
「逃げる? 逃げる? 逃げる? いいや、もう遅い、遅すぎる」
ずん、ずんと、辺りの木々を揺らしながら、そのくぐもった声は近づいてきた。
「遅い、遅いよ、本当に遅い。すぐに逃げ出していれば何とかなったかもしれないのに、そんな所で悠長してるからもう手遅れだ」
サイクロプスだった。横に並んで三匹、そしてその反対方向から――つまりマルカたちを囲むようにしてもう三匹だ。
その内の一匹は胸の前に掌を差し出していて、その上に男が座っていた。森だというのに暑くて野暮ったい白いローブを羽織った男が胡坐をかいていた。その顔には不気味さを感じさせる無表情なマスクを装着している。
そのローブにマルカは心当たりがあった。確認を求めるようにムスティフの顔を見ると、彼は小さく頷いた。間違いない――あのカルトのローブだ、あれは。
「この子たちに『種』を使ったのはあなたですか?」
「……どこでその名前を知った?」仮面の奥で彼の瞳がぎらりと鋭くなったのを感じた。「それはあまり表に出ていないはずなのだがね――まあいい、それは大した問題じゃない。そうだ、その通りだ、その通り私が彼らに感情を『与えてあげた』。他に何か質問は?」
「目的はなんですか?」
ムスティフはククルの前に立ちながら、腰を低く構えている。ジダはどこから持って来たのか木の枝を震える手で持って、ククルの頭の上で全身の毛を逆立てていた。
「復讐だよ、復讐、最も愚かで無益と言われているあの復讐を、私は成し遂げようとしているのだ」
「誰に対しての?」
「…………私をこんな目に会わせた国軍のやつらと、嵌めやがったコーネリア――コーネリアの野郎、あの野郎がァ! 数年前だが未だにはっきり思い出せる、後から思い直せばあいつの態度はあまりにもおかしかった!! その言い方も仕草も自分は付いて行かないと言い出したことも!!」
「そのコーネリアという人に何かされたんですか?」
男はマルカの言葉にハッと冷静を取り戻したようだった。大きく深呼吸を繰り返すと体の姿勢を少し崩して、そして自分のマスクを手で覆った。
「これを見て欲しい、この醜悪な顔を見て欲しい。本当は顔だけでは無くて身体を覆っているのだが、それでも顔だけで十分だろう。これが私のされたことだ」
男の外したマスクの下にあったのは――マルカは一瞬、それが顔だと判別できなかった。それ程までに酷い顔だった。目、鼻、口。人の顔を顔たらしめるのはそれらのパーツがあるからこそだが、彼の顔はそれらの輪郭が無かった。
それらしきものは存在しているのだが輪郭はハッキリとしていなくて、それぞれが溶けて混ざり合ったような『面』をしていたのだ。
「ひでぇな、そりゃ……」
ムスティフには、一体どれだけのことをされればそれほどまでに顔が溶けてしまうのかが分かっていたようだった。
ククルの目を掻くしていたモーランが、「それをコーネリアって人にやられたの?」と尋ねる。
「いや違う、違う、違う、あいつは俺の顔を、身体を焼いた訳ではない。だがあいつはこれの原因だ、直接の原因でありきっかけだ。。私たちをあえて危険な場所に送り出した、あえて全滅するであろう場所に向かわせた。結果私たちは国軍と遭遇して、私を残して全員死んだよ。死んだのだ、死んだんだ」
彼はもう取り乱すことは無かった。仮面を付けなおすとサイクロプスの手の上に立ち上がって、続けた。
「愚かだと笑うがいい、無益だと呆れるがいい、それでも私はやり遂げなければならない。私の同士の無念と怒りを晴らさなければならない!」
「でも、利用するのは駄目だよ」
「はっ?」
「自分の野望に人を巻き込んじゃダメ」
ククルだった。目を隠されながら、ククルが唐突に口を開いた。
「やらなきゃいけないことがあるのは、うん、分かるよ。でもだからって、サイクロプスを巻き込んじゃダメだよ。勝手にヘンなことをして言うことを聞かせてるんでしょ?」
「…………変なことを言うが、私は彼らに命令をしている訳ではない。操ったり恐怖で支配している訳ではない。ただ私がしたのは――例外なく人間を殺すサイクロプスに対して私が唯一の例外となっているのは――彼らに知恵を与えて、そして契約したのだ」
「契約?」
「ああ。私はその知恵と思考を活用してより効率よくより多く、人を殺す手段と作戦を教えたのだ。衝動のままに私一人を殺すより、理性を持って私を利用する方が得策だと、知恵を持った彼らはそう判断したのだ」
「ああ、なるほど。じゃあ、悪くは無いのかな?」
あっさりと引き下がるククルだった。「何よそれ」と、絶体絶命の状況にも関わらずモーランがおかしそうに笑った。
「ウオオオオォォォォ!!」
突然サイクロプスの一匹が雄たけびを上げて走り出した。マルカは咄嗟にハンドカノンを取り出し、ムスティフは足の筋肉を緊張させる。モーランはツルを伸ばしてククルを優しく包み込んだ。
しかしそのサイクロプスはマルカ達に襲い掛かってくることはなくその隣を通り過ぎた。向かったのはサイクロプスの死体だった。
「ウオオオオオォォォォォォォン!!」
そのそばに膝をついて大きな叫び声を上げ始めた。それが慟哭であると、仲間の死に対しての絶叫であることは、その場にいた誰もが分かったことだった。
他のサイクロプスも彼に続いた。結局三匹のサイクロプスがその死体の傍らで雄たけびを上げて、他のサイクロプス達も表情を歪めはじめた。
「…………みんな悲しんでるんだね」
目を細めてククルが言った。マルカは頷いて、彼女の頭を優しく撫でた。
びりびりと、ひしひしと、サイクロプスの感情がマルカ達に伝播する。悲しいし、鳴きそうだし、辛い。モーランは目頭を親指で拭った。
「ははは、そうだ、悲しいだろう!?」その言葉を発したのは、当然カルトの男だった。「悲しい、悲しい、悲しいはずだ! じゃあお前ら、次にどうするべきかは分かるだろう。次にどうしたいかは感じるだろう。復讐、復讐――復讐だ! 同胞を殺した相手を同じ目に合わせてやればいい!!」
サイクロプス達が声を押さえて、彼の言葉に耳を傾け始める。
「知りたくはないか、誰がそいつを殺したのかを!? 教えてやってもいい、私がそれを教えてやってもいい。だが、考えろ、私が与えたその知恵と思考を使って考えてみろ! 同胞の頭に開いた丸い、しかし深く脳を抉った傷跡を。そんな武器限られている、そしてそれを持った者はこの中に一人しかいない――復讐を遂げたくば思考しろ!!」
サイクロプス達は「ウオッ、オオッ」と嗚咽を漏らしながら、涙でぬれた一つしかないまなこでマルカたちを凝視した。太い首が動き、マルカ、ククルたちを順番に視界にとらえて行き、そしてムスティフでそれは止まった。ムスティフの血と油と脳で汚れた槍を見て、そこで首を止めた。
――それは、森中に響くような声だった。
悲痛の叫びであり、憤怒の絶叫であり、言葉に表せない感情の放出だった。
森の生命たちが、その声に怯える。マルカもその一匹だった。
荒々しい、恐ろしい、そしてそれ以上に悲しい声だった。
悲しい、虚しい、寂しい、切ない、辛い、心苦しい、悲壮――そのサイクロプスの叫び声は、マルカの頭に浮かんだそれらの言葉のどれでもあり、またどれでもなかった、
真っ先に同胞の元に駆け寄った一匹が叫び立ち上がると、その衝動のままにムスティフの下へと駆けだした。ムスティフはしかし冷静に、反撃を狙おうと槍を構える。サイクロプスに比べはるかに小さい人間を攻撃するには自然と姿勢を低くせざるを得ない。その瞬間を狙ってサイクロプスに致命傷を与えようというのだ。
だけれど、それより先に――殺意の怪物と歴戦の狩人よりも先に、この現状を予期して先に行動を開始したものが居た。ククルだった。
ククルはサイクロプスとムスティフの間に体をすべり込ませる。顔はサイクロプスに向けて、背中をムスティフに向けて。そこで両手を広げて、「ダメ!!!」と大きく叫んだ。
――ぴたりとサイクロプスの動きが止まった。マルカの登場というイレギュラーによって我に返ったのか、ククルの絶叫に圧倒されたのか――それは分からないが、サイクロプスの動きは止まった。
ぐうううっと。
その瞬間はマルカにはスローに見えた。槍頭が、その先が、殺傷部分が、痛いやつが、危ないところが、ぐううううううっと、ぐさりと、ざくっと、ぶすりと。
槍がククルの背中に突き刺さるのが、マルカにはスローに見えた。
ムスティフは反射的に理性的に緊急的に動きを止めていた。だけれど間に合わなかった。
理由はいくらでもあげられる。サイクロプスは感情的だったけれど、対してムスティフは無感情的だった。殺し慣れていた彼にとっては怪物の命を奪うことは機械的で動作で、つまり無感情で、だから反応が遅れた――とか。
咄嗟に身を二人の間に挟んだククルはサイクロプスの巨大な拳に対して本能的に距離を取ってしまい、ムスティフと接近しすぎていたからムスティフが反応できるほどの余地が無かった――とか。
ともかく、結果としてククルは串刺しにはならなかった。その槍頭がククルの背中を通り抜けて表から飛び出すことはなかった。
だけれど、深々と。
ククルの背中に槍頭が刺さっていることは、まぎれもない事実だった。
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