第18話

 あれから何年たっただろうか。

 無条件降伏を受け入れた日本はGHQの傘下に入り、明治のころより栄えていた大日本帝国は歴史から姿を消す。そして一九五一年。日本は再び独立国家として、新たなスタートを切った。

 白銀に輝く夜空の下。青く輝く海を見つめながら、咲夜はこれまでの日々に想いを馳せる。

 海が蒼いのは夜光虫のせいだ。夜間に発光する性質を持つ植物性プランクトンの夜光虫は、この島ではあの世の使いともいわれている。

 光る海は、亡き人々の魂の輝きなのだそうだ。その輝きの中に、咲夜は戦いで死んでいった多くの戦友たちを見出していた。

 あの世界で自分が殺した陽介。そして、愛機であるレイのことを様々と咲夜は思い出していく。

 レイと別れたあの後、咲夜は故郷の浜辺に打ち上げられているところを幼馴染の茜に助けられた。今では彼女と所帯を持ち、この島で細々と漁をやりながら生計をたてている。島の生活は穏やかで、あの戦いの日々がまるで遠い昔のように感じられた。

 今日は戦いで奪われた尊い命を鎮魂するため、灯篭流しがおこなわれた。その灯篭の橙色の明かりが、蒼い海の光と混じり合っている。

 美しい光の乱舞を見つめながら、咲夜はあの世界で過ごした夜のことを思い出す。青い惑星と十字架の天の川を背景に、竜たちを引き連れて飛んだあの夜を。嬉しそうに異世界の空を飛んでいたレイの笑い声が自分の耳に木霊していた。

 ——咲夜……。

 ふと、懐かしい声が自分を呼ぶ。咲夜は回想から引き戻され、暗い砂浜へと視線を巡らせていた。

 ——咲夜……。

 また、声がする。間違いない。この声はレイのものだ。咲夜は砂浜をかけ、声のした方へと駆けていた。

 そこに信じられないものを見る。

 暗い砂浜に、零戦が打ち上げられていた。橙色の灯篭にその身を浮かび上がらせる零戦の機体は、飴色をしている。その飴色の機体に、美しい桜の撃墜マークが幾重にも描かれていた。

 咲夜の脳裏に飴色の髪を翻す少女の姿が浮かび上がる。間違いない。目の前にある零戦は自分の愛機だ。

「レイ……」

 打ち上げられた灯篭に照らされるレイのもとへと、咲夜は歩み寄る。そっと主翼に手を添えると、優しいレイの声が脳裏に響き渡った。

 ——ただいま。 

 嬉しそうなその声に、涙が出てきそうになる。

「お帰り……」

 咲夜は微笑み、レイに言葉を返していた。




 若葉に覆われたルケンクロの姿が遥か沖合に見える。青い腰布を翻らせながら、シエロは復活した故郷に愛しい眼差しを向けていた。

 ルケンクロは老成した竜だ。大きな損傷を受けても、時間が経てばその傷も癒える。それでも故郷であるルケンクロがもとの姿と力を取り戻すには、気の遠くなるような長い月日が必要だ。

 咲夜がこの世界を去った後、シエロたちと海ノ国のあいだには停戦条約が結ばれた。海ノ国にしてみても、戦力であった陽介を失いこれ以上の痛手を被りたくなかったのだろう。陽介の伴侶だというその人は、深々と頭をさげてシエロたちに謝罪の言葉を述べた。

 そして、瀕死の状態で砂浜に流れ着いていたレイの介護をしてくれた。

 今頃彼女は、ルケンクロたちの導きによって陽介と再会している頃だろう。レイのことを思い出すたび、シエロはたくましい咲夜の腕を思い出す。

 ルケンクロが死に直面したその夜。彼は、心が折れだそうだった自分を必死になって支えてくれた。彼に会いたいと思うこともある。けれど、それは叶えてはいけない望みだ。

 シロエの故郷は、ここにあるのだから。

「かあさま、もうすぐルケンクロにかえれるの?」。

 幼い声に呼ばれ、シロエはそちらへと顔を向ける。手を繋いでいる息子が、こげ茶の眼を輝かせながら自分を見あげていた。シロエの息子は、愛しい人と同じ眼の色をしている。

 赤い眼を細め、シロエは愛しい我が子に語りかける。

「ええ、もうすぐ帰れるわ、サクヤ。だから、ここで私たちは時が過ぎるのを待ちましょう」

「どのくらい?」

「ゆっくり待てばいいわ。私たちは生きているんだから」

 そう言ってシエロは愛しい我が子に微笑んでみせる。彼は愛しい人が授けてくれたシエロの生きる希望だ。そっとそんな我が子の手を強く握りしめて、シエロは沖合に浮かぶルケンクロへと赤い眼を向けていた。

                                      (了)

 

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異世界の零 猫目 青 @namakemono

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