第16話

 シエロと一夜を共にした。震える彼女の体を抱き寄せて、何度も二人で高みに昇る。まるで、戦場にいるのが嘘のように咲夜は幸福の中にいた。そんな幸福な時間も、時と共に過ぎ去っていく。

 眼を開けるとそこにシロエの姿はかった。咲夜はだるい体を起こし、周囲を見つめる。

「おはようございます。サクヤ」

 甘い彼女の声がする。そちらへと顔を向けると、シロエが微笑みを向けてくれる。彼女はいつも来ている蒼い布に身を包み、咲夜のもとへと歩んできた。なんだか恥ずかしくなって、咲夜は慌てて着替えを引き寄せてみせる。

「恥ずかしいですか?」

「君こそ、恥ずかしくないのか?」

 岩陰に隠れながら、咲夜はそこから顔を覗かせシエロに声をかけてみせる。シエロは苦笑しながら、咲夜の隠れる岩陰へと近づいてくる。

「ちょ、シエロ」

「どうして恥ずかしがる必要があるのですか? 私たちは夫婦同士。裸を見せることに抵抗などありません」

 ずいっと岩陰を覗き込みシエロは笑ってみせた。着物の隙間から素肌が覗くだけで恥ずかしがっていた茜とは大違いだ。この世界の女性はこうも恥じらいがないものなのだろうか。

 シエロから視線を逸らしながら咲夜はふんどしを絞め、飛行服に身を包んでいく。そんな咲夜をシエロは笑顔で見つめていた。

「君は、後悔していないのか?」

 そっと彼女に向き直り咲夜は問いかける。彼女は驚いた様子で軽く眼を見開き、言葉を続けた。

「後悔するなと言ったのはあなたですよ。私はルケンクロの巫女であることに誇りを持っています。あなたと結ばれたことに、なんの抵抗がありましょうか」

 そっと胸元に手を当て、シロエは力強く答えてみせた。

「たとえあなたがお役目を終えてこの世界からいなくなっても、私は強く生きていける。あなたが私を認めてくれたから。それだけで十分です。それだけで私は、生きていける」

 幸せそうに眼を細め、彼女は言葉を紡ぐ。着替えを終えた咲夜は、そんなに近づいていた。そっと彼女の腰に手をあて、彼女を抱き寄せる。

「俺は君を守るよ。たとえこの世界から俺がいなくなっても、俺は君を忘れない」

「私も、あなたを忘れない。覚悟をくれたあなたを」

 そっと腹部をなで、シエロは優しいまなざしをそこへと向けてみせる。まるでそこに新たな命が宿っているように。両手で腹部を抱きしめながら、シエロは言葉を続ける。

「たとえ姿かたちが変わっても、ルケンクロは私たちと共にあります。だから、それを邪魔するものを私は許せない」

 シエロの眼が海へと向けられる。蒼い空の下でルケンクロはいまだに燃え続けている。そのルケンクロのはるか上空に光り輝く機影があるのを、咲夜は認めていた。

「君は、眼がいいな。俺より飛行機乗りになる素養がある」

「私が乗れるのは竜だけです」

 シロエの笑い声が耳朶に響く。

「咲夜っ」

 そんな彼女の笑い声をかき消す、レイの慌てた声が周囲に響く。そちらへと顔を向けると、肩で息をするレイがそこにはいた。

「あの子が来る。決着をつけるつもりよ」

 大きく息を吐いて、レイは凛とした声で告げる。その言葉を聞き、咲夜はシロエを力強く抱きしめていた。

「君をここに残すことになるかもしれない……」

 腕の中のシロエに語り掛ける。シエロは困った様子で眉根を寄せて、微笑みを自分に送ってくれた。

「分かっています。出会ったときから覚悟していました」

 微笑む彼女の声が寂しそうなのは気のせいだろうか。シエロは自分を抱きしめる咲夜の腕をそっと引き離し、その手を強く握りしめてきた。

「いってらっしゃい。サクヤ」

 そっと手を離してシエロが笑う。今にも泣きそうなその眼を見て、咲夜は顔を歪めていた。それでも笑顔を浮かべ、彼女に言葉を伝える。

「いってくる。シエロ」

 踵を返し、咲夜はこちらを見つめるレイのもとへと歩んでいく。レイは困惑の眼差しを自分たちへと送っていた。レイの肩に手を置き、咲夜は彼女に言葉をかけていた。

「行こう、レイ」

「いいの?」

「もう、決めたんだ」

 振り返ることなく、咲夜はレイに答える。レイは静かに頷き、眼を瞑る。彼女の体が銀の粒子に包まれる。レイの体は飴色の零戦へと姿を変えていき、咲夜はその操縦席に乗っていた。

 零戦の操縦席に乗る咲夜は、そっと操縦桿を握り風防の周囲の光景を眺める。滑走路代わりに仕えそうな崖の頂は、昨晩ルケンクロへと旅立っていった竜と人々を見送っていた場所だ。

 そして、シエロと一晩を過ごした場所でもある。彼女の決意をこの身に引き受けた今、後戻りすることはできない。自分は、陽介を倒さなくてはいけないのだ。

 誰のためでもない、自分自身のために。

 エターシャーが回る。コンタクトと声を張り上げ、咲夜はメインスイッチを入れていた。プロペラの回転と共にスロットルレバーを開き、各種計器を確認して浮いた機体にあて舵をしながら、崖を滑るように走っていく。操縦桿を引く。

 咲夜を乗せた零戦は眩い空へと飛び立っていった。

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