それでもこの冷えた手が

卯月

水晶病

【国は、私たちを見捨てると決めたようだ。】


 かつて水晶の産出で栄えた『水晶谷』、最後の村長の手記には、そう書かれていた。


【原因は全く解らない。だがある日突然、村に奇妙な病が蔓延はびこるようになった。

 ――『水晶病』だ。

 最初は、手や足の指先が、水晶に薄く包まれて動かせなくなる。水晶は次第に手足を侵食し、全身を覆い尽くして、恐ろしい人型の宝石と化してしまうのだ。


 村の異変を知った国は、まだ健康な者がいたにもかかわらず、谷の出入口を封鎖した。強引に脱出しようとした者は、包囲した軍に矢で射殺いころされた。

 全員が病に侵されるよりも、村の食糧が尽きるほうが早かった。せめて食糧の支援を、と願って放った矢文も、読まれずに焼き捨てられる。自分にはもう、できることが何もない。すまない。


 妻と子は、飢えを知る前にった。水晶にはばまれて直接触れることはできないが、それでも手を握っていると、わずかに心が安らぐ。

 ああ、私の――】


 最後は、字が乱れて読みとることができなかった。妻や子の名前でも書かれていたのだろうか。



 『水晶谷』の悲劇は、二百年ほど昔のことだ。当時この村が属していた国は、既に存在しない。

 約三十年前、我が国の別地方で『水晶病』と同じ症状の病が発生した。しかし、医療魔術師たちの尽力で治療法が見つかり、流行は抑えられた。

 驚くべきは、完全に水晶に閉じ込められてしまった患者も手遅れではなく、救出可能だということだ。


 我々調査隊に同行した医療魔術師は、この『水晶谷』の患者たちもかすかながら生命反応があり、適切な治療を施せば水晶の中から息を吹き返すだろう、と述べている。我が国がそれを実行するか否かは、別の話だが。

 だが、この手記を遺した者が甦ることは、ない。


 寝台に腰かける女性と胸に抱く赤子が一体化した水晶の像、冷たくも美しいその手を、最期まで握っていたのであろう。

 女性の膝にもたれかかるようにして、白骨は、永遠の眠りについている。



〈了〉

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それでもこの冷えた手が 卯月 @auduki

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