第19話 フライレスト・エンデルグルグ

 エンデルグルグ家において、その女性は異質であり最後の希望であった。

 メイティア・エンデルグルグ夫人は実力を重んじ、血縁関係であっても時に蹴落とし合いをさせるのもいとわないエンデルグルグ家において異端であった。

 美しいだけでなく、穏やかで優しく、強い魔力を持ちながらも決して驕らなかった。

 そんなメイティア夫人の存在に夫である侯爵は氷のような心を溶かし、生まれてきた子供たちも皆母親を慕った。彼女の教えに従って家族や周りを大切にした。

 彼女が六人目の子を身ごもるまでは。


『わたしは、この子を諦めたくはないのです』


 その時メイティアは病に侵されていた。周りの皆が出産を反対した。夫も子供たちも、悲しいけれど生まれてきていない子よりも、今目の前で生きている母であり妻である彼女が大切だった。

 でも、彼女は譲らなかった。強い意思と幸せになってほしいという願いを込めて命をかけて――フライレストという子供は生まれた。

 しかし、彼女の命を懸けた願いは呪いとなって彼に降りかかる。


『お前さえいなければ母様は死ななかった!』


 彼らの怒りは最もだと、少年も思った。

 兄たちが自分を殴り、罵り、虐待を繰り返すのも。それを父が見て見ぬふりをすることも。使用人たちが保身のために目を逸らすのも。

 当たり前でしょうがないことだ。だって自分は人殺しなのだから。

 フライレストはそう受け入れていた。そうしなければ、きっと心は壊れていただろう。

 己が災厄だとでも思わなければ、あの地獄でまともな精神ではいられなかった。

 けれどそれも結局暗示でしかなかった。どれだけ罪悪感に苛まれようと、結局のところ自分も身勝手な人間の一人でしなかったのだ。

『生きたいと、思ってしまいました』

 その時の記憶はほとんどない。ただ生贄として選ばれ、魔法陣の中に立つよう言われた。兄や父たちが去って行き、術者と自分だけが残された地下室で行われた儀式。

 その最中に、フライレストは死を目の前にして初めて自分が生きているのだと自覚した。普通の人間なら思って当たり前の、死への恐怖を知った。

 自らの胸を貫けと差し出された短剣を取り落とし、既に儀式で呼び出した何かに喰われた右目を押さえて絶叫した。


『しにたくない』


 もがいた。あがいた。泣いて逃げた。

 生まれてから暴力も憎悪も当たり前に受け入れてきた筈だったのに、死を前に少年は初めて己の運命に抗った。でもその生きたいという叫びと実際に助けられた事実もまた、母を犠牲に生まれたくせに家族を裏切ってまで浅ましくも生き続ける自分のことしか考えていない罪人という意識をフライレストに植え付けた。

 そんな少年を生まれ変わらせたいと手を差し伸べたのが、王家と親交が深かったクレディント家だった。

 傷だらけの身体の自分を夫人は抱きしめ、公爵はもう大丈夫だと笑って新しい名前もくれた。

 フライレストという哀れなこどもは、新しくフィレトという名を得た。


『はじめまして、フィレト』


 既にそこには同じ養子の少年がいた。自分より数年前に引き取られたという兄……アレシス。彼もまた自分と同じような複雑な事情を抱えていた。

 寧ろ、自分より大変かもしれない。それだけのことだった。

 なのに、彼は笑っていた。ざっくりとぼかして聞いた話ですら凄まじかったのにそんな過去などないように振る舞い、フィレトの手を引いてまた弟ができたと喜んでいた。

 兄となったひとは文字通り完璧な人だった。生まれを思えば当たり前なのかもしれないが、それでも学も武も人一倍に優れていた。

 尊敬と親愛、それが焦りによって歪んでしまったのはいつだろう。

 クレディントの父母はそんな人では無いのに、いつか兄と比較され自分がいらなくなったらどうしたらいいだろうなんて考えてしまった。

 兄と同じようにではなく、兄よりも強くなりたかった。本来の自分の特性を無視してでも、誰よりも武を極めようと思った。血のにじむような努力と反比例して、人との接し方が上手くいかないようになっても、今更どうしたらいいかもわからなかった。

 本当はわかっている。今の家族はフィレトを見捨てたりしない。

 でも記憶にこびりついた黒いものが消えてくれない。

 罪人。役立たず。生き汚い母殺し。エンデルグルグ唯一の異端。

 浴びせられた言葉の全てが呪いとなって未だ自分に絡みついている。足掻いてもがいて、結果的に棘を纏ってしか生きられなくなった。

 本当は兄として慕っている人間にすら、向き合えない無様な自分。

 図々しくて能天気なくせに人の心をほだす聖女だという男にも、そんな男を自分と違って真っすぐに素直に慕う妹にもいらついて、八つ当たりをした。

 傷つけられて苦しんだくせに、結局あの兄たちと同じことをして生きている。それを自覚すればするほど、認めたくない事実に気付いてしまう。

 名を変えても努力の末に銀の騎士の称号を得ても、結局自分はいつまでも【存在してはいけないこども】なのだという意識が消えない。


 そう、いつまでもその青年は――本当の意味でフィレト・クレディントとして生きれてはいないのだ。

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妹と異世界召喚されたら何故か俺が聖女だったようです 酢甘 浅葱 @suamaasagi

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