5, 古書店


雑居ビルはコンクリートの打ちっ放しで、一階は植物の蔦が這い巡らされ、入口の横には、文字がようやく読み取れる程古びた木の板が立て掛けてある。


『つかま古書店』


「古書店・・・か…」


後ろからの声に驚き、勢いよく振り返る。

そこにいたのは和一いっちゃんだ。

まさか付いて来るとは思ってもいなかったので、びっくりしすぎて声も出せずにいると、それを察した和一いっちゃんが説明をしてくれた。


「あの2人にはここにいる事を伝えてある。用件が済んだら、駅裏で待ち合わせることにした。」


そう言って、目線を古書店へ向けると


「それにしても…

咲江さきが古書店とは、珍しいな。」


確かにその通りだ。

けれど、道向かいからここが古書店と知って来たのではない。理屈ではなく、自然と吸い寄せられたような感覚だ。


古書店の入口扉は開け放たれ、中の様子が見えるが、人の居る気配は感じられない。

一歩、中へ踏み入れる。少しひんやりとした空気が肌を覆う。幅は狭いが、奥行の長い作りになっていて、壁一面、天井まで本で埋め尽くされている。そのせいか店内は薄暗く、古びた紙の独特の香りが古書店である事を実感させる。


和一いっちゃんは、近くの本を眺めながら「ふうん…」と、どんな本が置いてあるのか確かめているようだが、私はそんな本達には目もくれず、ゆっくりと奥へと歩いていく。

すると一番奥の、カウンターらしき棚の上に一冊だけ、ブックスタンドに立てかけられた本があった。

その本には、五角形を下向きにした形をした錆びた南京錠がつけられている。



「その本が気になるのかな?」


カウンターの影から白い顔が浮かび上がる。


「ぅわー!!」


思わず声を上げて飛びのいてしまった。


「そーんな、お化けが出た!、みたいな顔しないでください。ここの店主ですよ。」


白い顔の男は、カウンターからぬるりと出てきて、やれやれ、といった表情をしている。


「すみません、物音もなかったので・・・」


背が高く、痩せ型で色白。銀色の長髪を後ろで束ね、鋭い目つきには赤みを帯び、口元は笑っている。


咲江さき、どうした?」


私の叫び声は和一いっちゃんにも届いていたらしい。心配そうに近づいてくる和一いっちゃんに「大丈夫、ちょっと驚いただけ。」と言うと、安堵した様子をみせた。

店主は、和一いっちゃんと私を順番に見て、ふふっと笑い、ゆっくりと話し始めた。


「この本はねぇ、古〜い日記と言われているんです。まあ、鍵がないもんですから、開けて確かめることができないんですけどねぇ。

・・・気になるのでしたら、お手に取って、み ま す か ?」


不気味な笑みで首を傾げる店主に促され、再び、その本に目を向ける。

元々は鮮やかな赤色の厚紙に金で模様が描かれていたであろう重厚な表紙は、色褪せ、傷つき、金はほぼ剥げてしまっている。南京錠の鍵はないと店主は言っていたが、見た限り鍵穴も見当たらない。

見つめるほど、この本に出会うためにこの店に入ったのではないかと、不思議な気持ちになってしまう。


「手に取ってみても、良いですか?」


私がそう言うと、店主は一層気味の悪い笑顔をみせ


「えぇ、えぇ、良いんですよぉ。

あなたでしたら。」


と、細長い指をうねうねと動かしながら本の方へ向け嬉しそうに私を促す。


私は、そんな店主の様子を気にしつつ、震える両手をゆっくりと伸ばして本をとる。

そして、南京錠へ手をかけたその時…


「っ痛!!」


棘でもあったのだろうか、指先を切ってしまった。

傷口から血が溢れ出て、南京錠の上に滴り落ちる。


———— キンッ ————


甲高い音を立てて南京錠が砕け、バラバラと床へ転がる。

解放された本が浮くように手から離れ、表紙が開いた。


・・・と、思った瞬間————


開いた本の隙間から黒い霧が拡がり、一瞬にして辺りを包み込んだ。これは一体何なのだろうと考える間もなく、黒い霧は建物をすり抜け消えていった。

そして・・・


空気が変わった


肌に触れる空気、吸い込む空気が、今までと何かが違う。重くるしい、というのが一番近いだろうか。

和一いっちゃんも同じことを感じているのか、目を見開いて何が起きたのか頭の中を整理しているようだ。


「ふふっ。

あらあら、そうねぇ・・・錠が劣化してもろくなっていたのですねぇ。きっと…」


砕けた南京錠をつまみ上げる店主の一言で我に返る。


「あ・・・すみません。壊してしまって……。

あの、どう弁償すれば良いでしょうか・・・」


その言葉を聞いた店主は、高笑いをして


「弁償だなーんて。必要ありませんよぉ。

これは、あなたが持ってお行きなさい。代金もいりませんよ。」


そう言われるが、はいそうですかと帰る訳にもいかない。せめて代金だけでも…と進言するが、店主は受け入れない。すると、和一いっちゃんには聞こえないように、そっと私の耳元に近づいて囁く。


「これは、あなたのもの。気付いているでしょう?

今分からなくても、読んでみれば分かりますよ。」


私が持つ本を、トンっと指でつついた。銀色の髪がサラリと揺れ、店主はウインクをしてみせた。



私のもの・・・?



何故だかその言葉が腑に落ちて言い返せなくなった。

手に触れている本が、どこか懐かしくて。


そしてこの感覚は、あの不思議な夢を思い出させる。

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