第37話 となりの王子は腹黒でした



 (何をのたまう腹黒王子――――!!)


 ショックで気絶しそうになった朱里は、側にいた女性社員のひとりに肩を掴まれ前後に揺さぶられた。


 「今の話、本当!? 雪村さん魂抜けてないで返事して~!!」


 予想外の恋人宣言に衝撃を受けたのは朱里本人だけではなかった。周囲で話を聞いていた同僚達がわっと集まってきて異様な盛り上がりをみせる。


 「雪村さん九条さんと付き合ってるの!? いつから!?」 

 「ていうか雪村さん度胸あるね! 九条さん相手とか、私だったら気後れしちゃって絶対無理~」


 何気なくかけられた言葉に胸が痛んで、朱里は我に返った。確かに九条と自分では釣り合わない。秘密にしたいと九条にお願いしたのはこうなるのが目に見えていたからだ。


 「違っ……!」


 咄嗟に誤魔化そうとした朱里は言葉に詰まった。もし今ここで朱里が二人の関係を否定すれば、九条を傷付ける。


 (自分の保身と蓮さんの気持ち、どちらを優先させるかなんて――そんなの、比べるまでもない)


 朱里は緊張で上手く空気が吸えなかった。胸の内で激しく暴れる心臓。手が小刻みに震える。だけどそれら全てを無視して、ぱっと明るい笑顔を浮かべた。


 「いや~ほんと意外すぎる組み合わせでわたし自身びっくりです! 一生分の運使い果たしたかも。本当、身の程知らずですよね!」

 「いやいや、九条さん相手なら誰だって気後れしちゃうよ~」

 「あはは。確かに。でも……」


 これまで九条と共に過ごした日々が朱里の背中を押してくれる。朱里は九条の上着の裾をキュッと掴み、勇気を振り絞った。


 「九条さんは他の誰かと比べないで、わたしとまっすぐ向き合ってくれるんです。だから『わたしなんか』って卑屈にならず側にいられる。わたしはそんな九条さんを尊敬しますし、感謝してます」


 朱里の真摯な態度に、周囲は水を打ったように静かになった。朱里は視線が集中して落ち着かなかったが、この機会を逃せばなかなか告げられそうにない決意を口にした。


 「今すぐには難しくても、いつか九条さんが自慢できるようなパートナーになりたいと思ってます。だから、えーと、納得できないかもしれませんが長い目で見守って頂けると嬉しいです!」


 テーブルに額がつく勢いで頭を下げた朱里は、ゆっくり、恐る恐る顔を上げた。図々しいのは承知の上だが、それでも九条の隣は誰にも譲りたくない。それなら臆さず前を向くしかない。とはいえ……


 (みんな固まってる――――!!)


 青ざめた朱里は、不意に肩を抱き寄せられて驚いた。


 「九条さん……!? あの、」

 「先ほどから黙って聞いていれば、ずいぶん謙遜しますね。誤解のないよう言っておきますが、雪村さんに夢中なのは僕の方ですよ。いい加減、自覚してもらわないと困ります」


 九条は空いた方の手で朱里の髪を一房すくい上げ、恭しく唇を落とした。


 「もし貴女にちょっかいを出す男が現れたら、相手が誰であろうと手段を選ばず排除します。用心して下さいね?」

 「!!!!」


 (めっちゃいい笑顔だけど目が笑ってない――――!!)


 にっこりと王子スマイルを向けつつ"YES"の返事しか受け付けない九条の瞳が本気で、朱里は身震いした。二人のやり取りをじっと眺めていた同僚達は、積極的な九条とたじたじな朱里の図を見て一斉に沈黙を破った。


 「本当に付き合ってるのか! うぅうう、見直したぞ雪村! ようやく脱干物したんだな。おめでとう!!」

 「条件で彼女選ばないとか九条さんカッコイイ!! 私、応援する!!」


 (若干失礼なエールが混ざってる気がするけど、結果オーライ!?)


 祝福ムードに包まれる中、少し離れた席で飲んでいた三好は苦虫を噛み潰したように呻いた。


 「うっわー、大人げなく牽制したよあの人。爽やかな笑顔でやることえげつねぇな。一歩間違えたら雪村の奴、公開処刑じゃん」

 「そうですね。まぁリスクを負っても恋人宣言したのは明らかに虫除け狙いでしょうからベストなタイミングじゃないですか? 九条さんの名前で先輩を守れますし、本社に戻って来る頃にはほとぼりも冷めて居心地悪くないでしょうからね」


 サラッと九条の思考を分析し、ワイングラスを傾ける宇佐美に、三好は目を剥いた。


 「って、全部計算の上かよ!? ついさっきまで完璧な上司面で微塵も恋人感出してなかったくせに、九条、マジであの人――」


 「「腹黒いな!」」


 声が重なった三好と宇佐美は真顔で数秒視線を重ね、どちらともなく吹き出して、笑った。




* * *




 送迎会後、九条と帰宅した朱里は憔悴していた。着替えもせず、鞄を放り出してベッドにダイブする。ふわふわのマットに受け止められ、朱里は大の字で枕に顔を埋めた。


 「あぁああああ、バレた……。ひどいですよ蓮さん! 秘密にしてってお願いしたのに」

 「あんたの希望は認識してた。けど、俺は元々同意してない」

 「どんな屁理屈!? あぁ、さらば心の平穏」


 九条が恋人宣言した直後から、朱里は質問責めに遭う羽目になり大変だった。できれば一人で思う存分ふて寝したいところだがそうもいかない。自宅は海外移転に伴い既に引き払っており、出発までの間、九条の厚意で家に泊めてもらっている。


 HP/MP共に0のまま復活する兆しのない朱里を気遣い、九条はベッドの端に腰を沈めた。


 「周りに知られるのそんなに嫌だった?」

 「嫌というか……。蓮さんの恋人って、グラマラスな美女とか癒し系のお嬢様を想像するじゃないですか。実際、相手がわたしだって知った時、皆すっごい驚いてたでしょ。自他ともに認める格差カップルですよ! 予想してましたけど、反応を目の当たりにすると堪えます」


 格差に関して九条に責任はないのだが、口止めしていたにも関わらずあっさり暴露されたことにモヤっとする。黙り込む朱里に、九条は謝罪した。


 「俺の独断で付き合いを公表したのは悪かった。あんたに嫌な思いをさせたかったわけじゃない。ただ、異動して俺の目が届かない場所へ行く前に周知しておきたかったんだ」

 「なんで――」

 「朱里が俺のだって広まれば、社内で手出してくる男はいなくなるだろ」


 九条の答えに目を見張り、朱里は起き上がって九条に詰め寄った。


 「蓮さんはとにかくわたし全然モテないですよ!? いでっ!」


 不意打ちでデコピンを食らわされ、恨めしげに額をさする。


 「何するんですかぁ!」

 「うるさい、反省しろバカ。あんた三好に言い寄られてたろ。俺が気付いてないとでも思ってたのか?」

 「!! あ、あれは例外というか」

 「例外? そんなの断言できないだろ。これからも朱里の魅力に気付く奴が現れるかもしれない」


 後頭部に九条の手が回り、引き寄せられ、ぽすっと九条の肩口に顎が乗った。


 「あんたは他人から向けられる好意に鈍感だから心配なんだ。少しは警戒しろ。でないと安心して送り出せない」


 九条は真剣だ。珍しく、焦れたような声色には嫉妬が滲んでいる。朱里は心に立ち込めていた靄が晴れ、小さく笑みを零した。


 「ふふっ、蓮さんでもヤキモチ妬いて不安になることあるんですね。不謹慎だけど嬉しいな」

 「余裕だな。人の気も知らないで」


 ムスッと不機嫌な九条が可愛くて、顔が見たい衝動に駆られた。しかし朱里の思考を先読みしたのか、後頭部の手に阻まれてそれが叶わない。


 「あの、蓮さん」

 「ダメだ」

 「まだ何も言ってないですけど!?」

 「あんたの考えはお見通しだ」

 「そうですか……仕方ないですね」


 (渋々諦めたと油断させておいてからの――くすぐり攻撃開始!)


 朱里は素早く九条の両脇腹を掴み、くすぐった。奇襲をかけられた九条は反撃の間もなく、ビクッと体を反らせた。


 「!? お、おい朱里やめ……っ、ふ、くすぐったい!」

 「ふははは! 逃がしませんよ!」


 ここぞとばかりに畳み掛け、勢いのまま九条を仰向けに押し倒し、馬乗りになる。容赦ないくすぐりコンボを受けた九条は「まいった」と珍しく素直に降参した。


 「ふっふっふ~。勝利は頂いた!」


 ドヤ顔で宣言する朱里が子供のようで、九条はふっと笑みを漏らす。 


 「あんた絶対ガキ大将だったろ」

 「分かりますぅ? なーんて、すみません調子にのりました。今退きますね。わわっ!?」


 退こうとした瞬間、腰の後ろに九条の腕が回り、九条に覆い被ってしまった。思い切り体重をかけてしまう体勢に焦った朱里は身じろぎするも、九条はびくともしない。


 「は、離して下さい! 重くて潰れちゃいますよ!」


 (ていうか体勢が恥ずかしい!!) 


 形成逆転。余裕を失い真っ赤になった朱里に、九条は愛おしむような眼差しを向け、手の甲で頰を撫でた。


 「送迎会の時、朱里は俺の自慢になりたいって言ってたけど――それはもう叶ってるよ」

 「え?」


 きょとんとして瞼を瞬かせると、九条の唇に賞賛の笑みが浮かぶ。


 「あんたの送迎会、たくさん人が集まったろ。俺が配属されるまでの時間も含め、朱里のこの二年は充実してたんだなと改めて思った。社交辞令じゃない励ましと感謝の言葉をたくさん貰ってるのを隣で聞いてて、俺はずっと朱里が誇らしかった」

 「……!」

 「ほんと愛されてるよね。ちょっと妬けた。……ま、一番愛してるのは俺だけど」


 台詞の後半は囁きになったが、しっかり朱里の耳に届いた。九条が自分のことをそんな風に思っていてくれたことが嬉しくて、胸がじわっと熱くなる。九条は朱里のことをよく見ている。嬉しいことがあれば、些細なことでも我が身のように喜んでくれる。


 (誇らしい、だなんて、そんなこと言われたら――)


 「ずるいですよ蓮さん」


 掠れた声は震えていた。感極まって涙を零した朱里の瞼に口づけ、九条は微かに笑った。 


 「あんたは意外と泣き虫だよね」


 「おいで」と優しく促され、朱里は九条の胸にしがみついた。心ごと守るように強く抱き締められ、九条の香りと体温に包まれる。九条がくれる、慈しみの込められたキスに心が震える。


 何度か夢中で唇を重ねた後、肩を押され、ぐるんと視界が反転した。朱里の顔の横に手をつき、見下ろす九条の表情に深い色香が滲んでいて、心臓が跳ね上がる。捕食される直前の獲物のような心地だ。


 九条は朱里のブラウスのボタンを器用に外していく。つっと素肌に指を這わせ、人の目に触れないギリギリの場所を選んで唇を寄せた。肌を吸い上げられ、ピリッとした鈍い痛みが走り、朱里は息を詰める。


 「俺のだってしるし、ずっと消えなければいいのに」

 「!! れ、蓮さん酔ってます?」

 「いや。でも酔ってるって言ったら……甘えさせてくれる?」


 コツンと額を合わせられ、唇に吐息がかかる。九条にはこれまで何度も翻弄されてきたが、こんな風に甘えられたことはなかった。切ない顔つきに胸の奥が締め付けられ、鼓動が速まる。


 「酔ってなくても甘えて下さい。わたししか知らない蓮さんの顔が見たい」


 九条の両頬に手を添え、自分から唇を重ねた。その後、ネクタイの結び目に指を入れて解き、シャツから引き抜く。朱里らしからぬ大胆な行動に煽られ、九条の瞳が獰猛な光を宿した。


 「俺が普段どれだけ我慢してるか、想像もできないだろうな。大事にしたいと思ってるけど、さすがに抑えがきかない。今夜は無理させるから、覚悟して」


 ―――朱里の泣きそうな甘い声、たくさん聴かせて。


 低く、艶っぽい声色で囁かれて体が熱くなる。性急でありながら愛情に満ちたキスを合図に、二つの影が重なった。九条の側では不安や焦りから解放され、心地よい温もりが胸に広がっていく。九条に触れられる度、肯定されていると感じて喜びが湧き上がってくる。誰かに恋をして、自分自身も好きになれたのは初めてだった。


 「蓮さんと出会えてよかった」


 広い背中に腕を回すと、九条が息を抜いて笑った。


 「今、同じこと考えてた。愛してる、朱里」


 優しいキスと笑みを交わし、溶けるほど抱き締め合った。明日も明後日も、来年もその先も――あなたを幸せにできるのが、わたしでありますようにと願いを込めて。



 *fin*


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となりの王子は腹黒でした。 水嶋陸 @riku_mizushima

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