第28話 うさみんの事情聴取1


 「三好! 慌ててどうしたの?」

 「雪村が会議室から飛び出してくるのが見えたから、気になって。何かあった?」


 駆けつけた三好の心配そうな顔を見上げ、朱里は押し黙った。異動の件はもちろん、九条への想いを三好に相談することはできない。努めて平静を装い、笑みを浮かべた。


 「大丈夫。何もないよ」

 「ふーん……」


 探るような眼差しを向けられると落ち着かない。早々に退散しようと部室方向へ身を翻した瞬間、肩を掴んで引き戻された。ポン、と三好の胸に背中が当たって心臓が跳ねる。


 「み、三好?」

 「嘘吐くの下手だよね。雪村がそういう顔で笑うのは何か隠してる時だ。それで大丈夫って言われても全然説得力ない」

 「え……」

 「俺じゃ力になれない?」


 耳元で囁く声は静かで、落ち着いていた。だけど肩を掴む手は熱く、力がこもっている。それでも痛くない程度に加減してくれていて、鈍感な朱里でも大切に扱われていることが分かった。


 「プライベートは自由ですが、TPOに留意した方がいいですよ」


 会議室から出て、朱里に追いついた九条が二人の間に割入った。三好から離された朱里の頬が赤く染まる。三好は焦りと苛立ちを覚えたが、リカバーが早かった。穏やかな表情で九条を見据える。


 「すみません。人通りの多い廊下で軽率でした」

 「いえ、僕の方こそ余計なお節介でした。三好さんは雪村さんと同期でしたっけ。仲が良いんですね」

 「そうですね。顔色を読み分ける程度には」


 三好は暗に『あなたには分からない』と牽制した。朱里には分からなかったが、バッチリ宣戦布告を受け取った九条は涼しい笑みで応じる。


 「なるほど。三好さんは感情の機微に敏いんですね。それなら相手の胸中を察するのはお得意でしょう。例えば触れて欲しくないことに踏み込まない、とか」


 二人の間にバチバチと見えない火花が散り、朱里は混乱した。えっ何この空気? 一見和やかに会話してるけど非友好的――――!? 


 あわわわわと青ざめる朱里の前に救世主が現れた。決裁書の束を抱え、回覧中の宇佐美が廊下の奥から歩いてくる。朱里は大きく手を振って呼びかけた。


 「うさ……宇佐美さん! さっきお願いした急ぎの書類、もう届いてるかなぁ?」

 「書類? 一体何の――」


 訝しげにキュッと眉を寄せた宇佐美は、今にも泡を吹きそうな朱里を挟んで向き合う男二人を見てピンときた。


 「あぁ、例の書類ですね。ちょうど今回収してきたんですよ。お渡しする前に確認したいことがあるので一緒に来て頂けますか?」

 「喜んで!! そ、それじゃわたしはこれで失礼しますっ」


 うさみん愛してる……! 抜群に察しのいい彼女のおかげで窮地を脱した朱里は、三好と九条の姿が完全に見えなくなったところでひしっと抱き着いた。


 「うわ~~~~ん、うさみん神! ありがとう!!」

 「誰が無料ただで助けるって言いました?」


 朱里の顔を押し退けた宇佐美は「救出料高くつきますよ」と悪人面になった。


 「う、うさみん? わたし金欠……」

 「問答無用です。今夜は空けといて下さいね? 先輩の奢りで事情聴取させてもらいます」

 「えぇえええ!!」

 「あら? 異議ありでしたらさっきの場所に返品してもいいですよ。なんならラッピングしましょうか」

 「宇佐美様、フォアグラでもキャビアでもご馳走させて頂きますので勘弁して下さい」


 旗色悪しと判断した朱里はすぐさま降伏した。来月のカードの引き落としが怖い……ガクリ。



 * * *



 終業後――


 「ふ―――ん、面白い展開になってますねぇ」

 「ちょ、そんな他人事みたいに……!」

 「実際めちゃめちゃ他人事ですけど?」


 新宿駅付近の居酒屋でビールジョッキを傾ける宇佐美は、呻きながらテーブルに突っ伏した朱里を半眼で見下ろした。今夜はこの世話が焼ける先輩をあてに一杯やろうという魂胆で連れ出したのだが、塩をまかれたナメクジのように縮まれれば少々の仏心が湧く。


 「ま、先輩が九条さんを好きなのはずいぶん前から気付いてましたよ。気持ちだだ漏れ過ぎです」

 「え!!」


 ガバッと顔を上げた朱里の顔面は蒼白だ。


 「安心して下さい。みんなは『上司に認められたくて健気に頑張る部下』もとい『しもべのごとくこき使われて喜んでいるドM』くらいにしか思ってませんから」

 「それフォローになってない……!」


 涙ぐむ朱里を無視し、宇佐美はしれ~っと焼き鶏を頬張った。


 「何を落ち込むのか全然理解できないです。のっぴきならない事情があったとはいえ、一時的にでも九条さんがご自宅に置いて下さるなんて奇跡ですよ? 社内の女子に知られたら間違いなく血祭りですね。ミンチですよミンチ」

 「粗挽き?」

 「細挽き」


 背筋が寒くなり、朱里はチューハイを煽った。その仕草はまるで中年のオッサン。九条の食指が動かなかったのも納得だが、「それにしても……」と宇佐美は首を傾げた。


 「一ヶ月も一つ屋根の下で生活して何もなかったって信じがたいです。大事にされてますね~」

 「色気ないからねわたし。据え膳だろうが何かする気は起きなかったでしょーよ」


 自虐モードで口をへの字に曲げた朱里は、ふと目の前で頬杖をつく宇佐美を見つめた。360℃どこから眺めても完璧な美人である。九条と並べば一枚の絵画のようにお似合いだ。


 「あの……さ。うさみんが先に九条さんのこと好きになったのに、応援できなくてごめん」

 「別にいーですよ。恋愛に後先関係ないし。それに私、水面下でライバルの足引っ張るようなセコい真似しないんで安心して下さい。それに――」



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