恋人にして創作者

 普通の人だ。容姿以外は。


 話し始める前にそれ以上の感想はなかった。

『サブリミ・シアター』という、美形キャラで男の子のハートを掴み、シュールなギャグで女の子のサブカル慾求を満たす、大ヒット漫画の作者にしてこの芸術大学の教授。


 近田ケル人。


 沙里さんは彼のことを『教授』と呼んだ。だからわたしたちもそうする。


「ええと。嶺紗れいささん。あなたは小説家になりたいんですね」

「はい、教授」

「どんなのを書いてるんですか?」

「見たほうが早いわ」


 沙里ささとさんはそう言ってスマホでわたしの投稿サイトのページを開き、戦国の世のバトルシーンを切り取った、3,000文字の短編を教授に示した。


 教授の眼球の動きがものすごい。

 おそらくREM睡眠時の瞼を無理やり開いたほどの高速運動だろうと思う。



 わたしは、カチン、と来た。

 敵ですらない、そう認識した舐めた反応に、わたしは噛み付いた。


「できれば、本当のことを」


 射抜くように教授の目を見ると、彼の語調が激変した。


「では。まず、作法がなってない。これは他人様ひとさまにお読みいただく文章ですよね?」

「は、はい」

「無礼な文章だ。相手のことをまるで考えてない。構成の手順もスキルもない」

「あ・・・う・・・」

「それから、単語」

「単語?」

「そう。自分はということを強調したいんだろうが、だからと言ってを選べばいいってもんじゃない。ムカつく語彙の羅列だ。それから、キャラ」

「う・・・はい・・・」

「死んでる」


 ガン! と後頭部を鈍器で殴られた気分だ。実際に鈍器で殴られたことはないので、逆上がりの練習の最中に気を抜いて立ち上がった時に後頭部を鉄棒にぶつけた時のような衝撃だ。

 でも、『死んでる』という描写でもまだ教授は足りなかったようだ。


「生きてたとしても、腐ってる」


 沙里さんが静かに言葉を挟んでくれた。


「教授。教授こそ無礼では?」

「無礼? わたしが?」

「嶺紗ちゃんは初対面の相手よ。言い方、ってもんがあるでしょう?」

「何をいう」


 教授の語調だけでなく、表情も激変した。


「キミとのように相手であろうと初対面であろうと、創作に関しては同じ地平だ。現に嶺紗さんはそれを望んでわたしに挑みかけたじゃないか」


 その通りだ。

 反論の余地もないし、反論する意思もわたしにはなかった。


 むしろ、沙里さんに対しても彼女の漫画のキャラを否定し、「キミはプロにはなれない」と言い切るを評価すべきなのだろう。


「教授。あなたは自分を棚上げせずにそれを言えるんですね?」


 沙里さんもわたしも、はっ、とした。


 恵当けいとの抑揚のない冷静な声に。


 そして教授の声も冷静さを増す。


「言えない」


 そして、ほんの12歳の恵当の目を対等な大人の目で見つめている。


「わたしの代表作は『サブリミ・シアター』です。だが、あれはわたしが本当に描きたいものではない」


 ああ・・・


「わたしも明け方に狂ったようにペンを走らせることがある。自分の野生の本能のままに、粗野なタッチで。けれども、それでは生活の糧を得られない」

「それを発表しないんですか?」

「わたしの既出の作品への評価に影響してしまう。出せない」

「卑怯です」

「恵当くんの言う通りかもしれない。恵当くん、キミは創作は?」

「読み専です。ただ、ラ・カンパネラを弾くことが望みです」

「なら、キミはピアノの練習をしていてと思ったことはありますか?」

「え? ・・・・・・・ありません」

「嶺紗さん、あなたは?小説を書いていて死にたくなることは?」

「ありません・・・」

「沙里は?」

「・・・・・・・・ないわ」

「わたしは毎日、描いた瞬間にこれでいいのかと悩み抜く。死にたくなることもしばしばだ。それを打ち消すために、また描く。そして、創作者であると同時にわたしは教授だ。教育者、いや、同志として『キミは描くべきでない』と言わざるを得ない立場にある」


 ああ、間違いない。

 サブリミ・シアターは大勢の読者へ向けたものだけれども、間違いなく読む人間一人一人の精神を撃ち抜いている。

 密室性を併せ持つ。


 素直に、勝てない、と刷り込まれた。


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