逢瀬にしてデート

 ゴールデンウィークに入った。


 恵当けいとはバドミントン部に正式入部し、瞬発力と持久力の両方が要求されるハードスポーツのためのハードなトレーニングをこなしている。


 わたしはというと受験生であるとの自覚を持ちつつも土曜日午後の恵当のピアノのレッスンも続けつつWEB小説コンテストのための執筆も続けつつの自転車操業だ。


 しかも恵当のために、武士の短編も相変わらず投稿してる。


「おまたせー」

「こんにちは」

「いいよ、こんにちはは。わたしの彼なんだから」

「じゃあなんて」

「んと。いきなり会話でいいんじゃない?」

「そっか」


 今日は2人で市の図書館へ。

 まあ、わたしが受験生であることを考慮しての『デート』だね。

 あ、ちなみに恵当とはコンビニのイートインやらスーパーのイートインやらで彼が小学生の頃から散々落ち会ってるのをカウントすれば、一体どれが初デートだったのかなんてわかんないから。


「新しくなってから初めて来たよ」

「え。ダメだよ、嶺紗。小説投稿者として失格だよ」

「読まなくても書けるから」


 強がりを言って、リニューアルしたばかりの美しい館内を2人で歩く。

 学習室に入ろうとしたら図書館の男性スタッフに呼び止められた。


「あ、すみません。ここ、中学生以上なんで。弟さんはあっちの小学生以下の席へお願いします」


 う・・・と少し落ち込んでいる様子の恵当。わたしはスタッフに胸を張って伝えた。


「彼は中学生です」


 スタッフは、あ、しまった、という顔をしてすぐに謝罪した。


「すみません。大変失礼しました」

「それから彼は弟じゃありません」

「え」

です」


 反応しようのないスタッフの横を通り過ぎて窓際のテーブルに2人並んで座る。


「恵当はなにやるの?」

「数学。あと、国語の課題図書」

「へえ。そんなのあるんだ」

「うん。でもさ、人に本を強制的に読ませるのって罪じゃないかな」

「難しいこと言わないの」


 恵当は30分ほどかけて数学の問題集を終え、課題図書を読み始めた。文庫本でジャンルはエッセイのようだ。


「え。もう読んだの?」

「うん」


 恵当がパタン、と本を閉じた。読み始めてからまだ5分と経ってないのに。


「早すぎない?」

「だってさ。こんなステレオタイプの議論しかしてないエッセイ、予測ついちゃうもん。案の定、『我々はどうするのがベストなんでしょうか?』で終わっちゃった」


 末恐ろしい・・・でも、当たってるか。


 恵当は開架では満足できず、閉架書庫からも借りてきてテーブルに積み上げた。それを片端から読破していく。


 実はこういう能力は恵当がピアノを弾く時にも発揮される。

 結論から言うと恵当のピアノの上達スピードは異常とも言えるほど早い。

 理由はわたしにも理解できて、彼の指の動きは、理詰めなのだ。

 つまり、脳が瞬時に楽譜を記号として理解し何番目の指をどういうタイミングで連動させれば鍵盤上を最適なタッチで動かせるかという判断力に長けているのだ。


 すごい。


 すごいんだけれども、いわゆる『芸術』としての幅を表現するとなるとどうなのかなあ、と少し心配はしている。


 もっとも、ラ・カンパネラは、音符としての楽譜を鍵盤上に再現するだけでもとてつもない作業なんだけれども。


 その恵当は読書のスピードも半端ない。誘惑に駆られ、彼の本の山に手を伸ばす。


「わたしも・・・」

「嶺紗はダメ。勉強勉強」

「うう・・・」


 ああ。早く文学部に入って研究の名の下に自部屋を小説で埋め尽くし、三冊ぐらい同時に読み進められるぐらいの境地に至りたい。あるいはカフェに執筆用資料と称して大量の書籍を持ち込み、コーヒーカップを片手にノートPCで小説を叩き込みたい。


 至高の日々よ。待っててね。


 あれ?

 でも、待てよ。


 わたしの志望校は東京にある。

 そこに進学したならば、普通に考えたら恵当と毎日会うなんてことはできなくなる。


 こんな当たり前のこと、まったく意識もしてなかった。


「嶺紗。お腹すいたね」

「う、うん。じゃあ、食堂行こうか」


 リニューアルしたけれどもメニューまではそうもいかなかったようだ。

 以前と同じカツ丼やラーメンやたぬきそば、それからカツ丼があるにもかかわらずカツ煮定食もある。


 わたしはきつねそば、恵当はカレーにした。


「コーヒーでいい?」

「・・・僕はココアを」

「お子様ー」


 ベンダーの前でわたしは恵当をからかう。自我が強く、プライドも高い彼の膨れた顔を鑑賞するのもわたしの密かな楽しみではある。


「あれ? 嶺紗?」


 後ろから声をかけられて、ちょうど恵当のココアを取り出すところだったので振り返れずにいると、自分から名乗った。


「俺だよ。南条だよ、久しぶりー」

「・・・こんにちは」


 やっぱり振り返らずにわたしは挨拶だけ返した。南条は頓着せずに話しかけ続けてくる。


「なんだよ。中学ん時はあんなに優しかったのにさ」


 くるん、とわたしは振り返る。


「誰が優しかったって?」

「まだ怒ってるのか」

「どういう思考回路で『怒ってない』って思えるのよ」


 横を見ずに恵当にココアを渡した。


「お。弟なんて居たっけ」

「・・・・・・・」


 わたしの様子を見ても南条が何者か分からない恵当はどのように相対すればいいか判断に迷っているだろう。だから礼儀正しい彼が、南条への挨拶も躊躇しているのがよく分かる。


「なあ、仲直りしようぜ」

「誰が」

「キスまでした仲じゃないか」

「あれはアンタが無理矢理・・・!」


 恵当がココアの紙コップを、ぐしゃ、と潰した。高温の液体が彼の手の甲に溢れ出るけれども、彼は声を立てずに少し顔を歪めただけで南条を睨みつけている。


「嶺紗。この人、誰?」

「と。姉貴を呼び捨てかー」

「誰か、って訊いてる」

「おー。最近の小学生はこえーこえー。あのな、弟クンよ。俺は嶺紗の彼氏だった」

「ちがうわ」

「まあ、見解の相違だな。嶺紗は俺にキスまで許してくれた。続きはあともう一息だったんだがな」

「南条、お前がわたしの彼氏だったことなんて一度もない。キスもわたしは。それどころかお前は、わたしの大切な小説をみんなに晒した」

「だって、あれって俺のことだろ? 『同じクラスの彼にわたしはこの熱い胸の内を打ち明ける準備をしてる。もう少しだ。もう少しでこの苦しみから解放される』」

「やめて」

「あのな。俺に投稿サイトのペンネーム教えてくれてよかったら読んでみて、って。それでもってキスしたら嶺紗が『合意じゃない』なんて聴取で言うからさ。俺だって自己弁護の証拠資料として嶺紗の小説、クラスのLINEグループに載せるしかなかったわけさ」


 ああ。

 言うな。

 黙れ。

 消えろ。


「南条」


 恵当が南条を呼び捨てる。


「弟くんよ。いい加減ふざけてると怒るぞ」

「弟じゃない」

「じゃあなんだ」

「嶺紗の彼氏だ!」


 恵当が頭から突っ込んで行った。

 ぐぼっ、と頭頂部を南条の胃の真上からぶつける。


「うえっ」


 南条は瞬間的に腰のあたりで体を折り曲げて痛みを緩和する。南条はそのまま右足を突き出して逆に恵当の腹を蹴った。ぐん、と足をそのまま伸ばし切って、恵当を吹き飛ばした。


「う」


 ずるっ、と床に転がる彼。わたしは思わず叫ぶ。


「恵当!」

「くそおっ!」


 恵当の汚い言葉を初めて聞いた。

 それだけ必死だってことだ。

 

 わたしはなんなんだ。


 小説のために、こんな男らしい男の子を・・・


「やめろ、止まれ!」


 図書館の男性スタッフが3人がかりで2人を取り押さえた。

 押さえられながらも恵当はまだ興奮して南条に飛びかかろうとしている。


「バカが!」


 南条はそう吐き捨ててエントランスの方へ歩いて行った。


 あとはもう読書やら勉強どころじゃなかった。


 ロビーのソファにわたしと恵当と並んで座って、ぼうっ、と午後の時間を過ごした。日が柔らかく斜めの角度でオレンジ色になり始めた頃、ようやく恵当が口をきいてくれた。


「嶺紗」

「ん」

「もう、誰ともキスしないで」

「・・・うん」


 そのまま床に映る夕方の陽光を2人で眺めた。かなり間を置いてからわたしが付け足した。


「恵当ともしなくていいの?」


 冗談で訊いたんじゃない。

 わたしは、本気で声に出した。


 恵当が何か反応しようとしたかどうかは分からないけれども、そのタイミングでピアノの音が滑るようにわたしたちの耳に流れ込んできた。


「あ・・・これって」

「サティのジムノペディね」


 閉館時刻を告げる曲が、エリック・サティのジムノペディに変わっていた。


 わたしたちは静かに、トン、トン、と奏でられる鍵盤のタッチに身を任せて、スタッフさんから声をかけられるまで、窓から夕日を見ていた。

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