音にして楽し(幼馴染じゃない)

 さて、きっぱりと表明しておかないといけないことがある。


 わたしと恵当けいとは幼馴染ではない。


 わたしもWEB小説サイト投稿者の端くれ、幼馴染という属性が最強にして万能、ありとある状況を強い説得力を持ってことごとく収束させるキーワードであることなど百も承知。


 でも、事実と違うんだから、しょうがない。


 では、わたしと恵当がどのような関係でいかにファーストネームで呼び捨て合う間柄となったのか、告げておこう。


 ・・・・・・・・・・・・


「おばあちゃん、なに?」


 わたしは駅裏の雑居ビル2Fにある『町東まちとうピアノ教室』のドアを開けた。


 町東はわたしの苗字。ピアノ教室の先生はわたしの同居する祖母。

 祖母はかつて中学校の音楽教師で引退してからは日中このテナント借りしてる小さな教室でピアノの先生をやってる。


 そのおばあちゃんから土曜日の午後に、ちょっと、と呼び出されてやってきたのだ。


嶺紗れいさちゃん。ちょっとこの子見てやってくれるかな」


 わたしがグランドピアノの正面に立つと、ひょこっ、と男の子が立ち上がっていきなり視界に現れた。


「こんにちは。有塚ありつか 恵当けいとです」

「こんにちは。町東まちとう 嶺紗れいさです」


 おお、自分から挨拶するとは感心感心。

 でも、ピアノに隠れて見えなくなるぐらいちっこいかわいらしい男の子だから・・・


「何年生?」

「・・・6年生」


 どうやら身長のことを気にしてるらしい。だからわたしはすぐに本題に入った。


「で? わたしはキミの何を見ればいいの?」

「嶺紗ちゃん。そう急かさないで。ほれ、恵当くん。何が弾きたいか言ってご覧」

「ラ・カンパネラ」

「へえ・・・」


 リストの素晴らしくドラマティックな曲。

 ただし、とてつもない難曲だ。


「今までにどんな曲弾いてたの?」

「何も弾いてません」

「弾いてない?」

「これこれ、嶺紗ちゃんよ」


 極めて詰問的でストレートな話調のわたしを諌めておばあちゃんが少し解説してくれた。


「恵当くんはね、ピアノを弾くのは初めてなのさ。それでいてただただラ・カンパネラが弾いてみたいんだと」

「どうして?」

「かっこいいから」


 ふう、とわたしはひとつ息を吐いてから事実を告げた。


「恵当くん。無理とは言わないけれども、ピアノを習うとしたら6年生はとても遅いタイミングだわ。他の曲が目標じゃダメなの?」

「ダメです」

「なあに。なにか特別な熱意とか理由とかあるの?」

「あります」

「なに」

小倉おぐら 一斉いっせいが弾いてるから」


 なるほど。

 この子はハートで生きるタイプなのね。


 小倉 一斉は生まれついての難聴で補聴器をつけたピアニストとしてコンサート活動を続けている。

 補聴器をつけたとしても十分に音を聞き分けられるわけではなく、本人曰く、『音を想像する』という離れ業を脳と身体と、そして心の中で行うアーティストだ。


「そうね。ハンディを抱える小倉さんは覚えられる曲に限りがある。その小倉さんの代表演奏曲とも言えるものね」

「小倉さんは、武士みたいだ」

「?」


 その時は変な例えをするな、ぐらいに流してた。

 とにもかくにも6年生という遅いタイミングでおばあちゃんのピアノ教室に入門した恵当。おばあちゃんは他の小さな子のレッスンで忙しいので、このいきなり思春期真っ盛りから生徒となった恵当は、土曜日の午後にわたしが受け持つこととなったわけだ。


 ちなみに、わたしは1歳の頃からおばあちゃんにピアノの前に座らされてる。白いベビー服を着て、ちょこん、とピアノの前に座り、鍵盤に人差し指1本を乗せてカメラ目線で笑うわたしが証拠写真として残ってる。


「恵当くん、まずはこれからね」


 わたしは彼の尊厳を0の地平に戻す楽譜を渡す。


「・・・『おつかいありさん』?」

「そう。幼稚園の子が弾く曲よ」

「・・・・・・」

「あら。リストだっていきなり神業みたいな曲を弾いたわけないと思うけど。それともアナタはリストよりも天才?」

「う・・・く・・・」

「言ってもダメみたいね。なら、見せたげるわ」


 わたしは彼に代わってピアノの前に座る。

 そして、指に力を込めて弾き始めた。

 弾きながら、声を張り上げて歌った。


『あんまりいそいで こっつんこ

 ありさんと ありさんで こっつんこ

 あっちいって ちょん ちょん

 こっちきて ちょん』

 作詞:関根栄一、作曲:團伊玖磨

「おつかいありさん」


 弾き終わると、彼の方が赤面していた。わたしは彼に促した。


「ほら、恵当くん」

「・・・はい」


 見よう見まねで鍵盤を叩き、歌う彼。

 ただ、声が小さい。


「男でしょっ!」


 どうやら『男』というのが彼のスイッチらしい。

 顔を真っ赤にしたまま大声を出し始めた。


 そんなこんなで彼が小6の一年間、高校二年生のわたしが毎土曜日にレッスンに付き合った。


 途中でこんなことがあった。


 いつも通りレッスンを終えた彼が生徒用に備え付けてあるお菓子を食べている間、わたしは何気なく文庫本を開いて読んでいた。

 わたしが読んでいたのは長いこと読破しようと思って取り組めていなかった吉川英治の「宮本武蔵」。

 恵当が表紙をじろじろ見ている。


「なに?」

「高校生そんなの読むんだ」

?」

「僕は三年生の時に読んだけどね」

「なっ!?」


 小学校三年生が吉川英治の「宮本武蔵」を?

 このワナビでラブコメから戦国モノまで書ける小説家を目指しているこのわたしですらようやく本腰を入れて読み始めたこの歯ごたえある王道小説を、こんなちっこい子が?


「ちょちょちょ。恵当くん、あなたって・・・」

「三国志フリークだよ」


 彼曰く、小学校入学と共に学校の図書館にあった横山光輝の漫画から入り、ありとあらゆる作家の書いた三国志の小説を読み漁ったという。

 吉川英治の三国志など、二年生の時に読破しているという。


「北方謙三の三国志も読んだ」

「え、ええっ!? わたしは読んだことないけど、ものすごいハードボイルドの味付けがされた内容だって聞いてるわよ! それを小学生のクセに・・・」

「三国志から派生して、吉川英治、山岡荘八の戦国武将小説は大体読んでるよ」

「あ。それで小倉一斉さんのことを武士みたいだ、って・・・」

「高2で宮本武蔵じゃ、可愛いもんだね」

「・・・し、師匠!」


 そんなわけでわたしはピアノのレッスンを、恵当は戦国小説の解説を、お互いに教え合う関係となった。

 そのうちにわたしはワナビで小説の投稿をしていることを恵当に打ち明け、ペンネームも教えた。


 最初はわたしの読書量の少なさをバカにしていた恵当だったけれども、


「すごいね」


 と、褒めてくれた。

 何を褒めてくれたかというと、わたしが勢いに任せて投稿していた武士の白兵戦を描いた短編をだ。


「ごめんね。読むのと書くのとはやっぱり違うんだね」


 気がつくと、高2のわたしと小6の恵当は、恵当、嶺紗、と呼び捨てあう同志のような間柄になっていた。


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