第五話 カチカチ山連続殺害未遂事件の巻

荒勢 「なお、本件の名称は『カチカチ山連続殺害未遂事件』とします」


一寸 「だっさ……」


中村 「課長ォ!」


一寸 「別になにも言ってないじゃん」



 ツキノワグマの荒勢刑事は一つ咳払いすると、お雪の用意したコピーに目を落としながら説明しはじめた。


「こちらの山中種作氏(68歳)は……」


「おい、個人情報!」


 中村が唸ると、クマがハッと硬直したが、一寸警部は手をヒラヒラ振った。


「もう、いいよ、それ。面倒臭いからもうやめようよ」


「いいんですか。警部」


「いいってば。後で俺が怒られとくから。はい、続けて」

 

 荒勢は嬉しげな笑顔になって続けた。


「はい。*年*日午後三時頃、山中氏は所有する畑で罠にかかったタヌキの糠太郎ぬかたろうを捕獲しました。当時頻繁に畑の作物が食い荒らされていたので罠を仕掛けておいたそうです。山中氏はタヌキを縛り上げて自宅に持ち帰り、奥さんのおかねさんにタヌキ汁にしておくように指示して、再度畑へ戻り午後六時頃まで農作業に従事しました」


「山中さん、ここまで、間違いありませんか」


 中村刑事が確かめると、山中老人はぷいっと顔を背けて「ああ」と答えた。

 するとウサギが横から「おじいさんはあれ以来、タヌキが大嫌いなの。仕方ないわよねえ。おばあさんにあんな酷いことされたんだもの」と口を挟んだ。

 肩をすくめた中村が目顔でうながすと、荒勢が先を続けた。


「山中氏が帰宅してみると、お兼さんは不在で、縛っておいた糠太郎の姿も見えず、囲炉裏で鍋が煮えていたので、お兼さんのこしらえたタヌキ汁だと思ったそうです。お兼さんの帰りを待ちながら、酒の肴に鍋をつついていると、庭先から「流しの下のババアを見ろ」と叫ぶ声が聞こえ、何者かが逃げていく足音が聞こえたということです」


 老人は節くれ立った拳を目にあてて肩を震わせる。

 お雪はその痛々しげな横顔を見つめて、胸が詰まった。


「流しの下には、お兼さんが手足を縛り上げられて転がされており、意識不明の状態でした」


「タヌキがやったんだ!」


 山中老人が、突然椅子から立ち上がった。


「タヌキは狡賢いから、うちの人の好いばあさんを騙くらかして、酷い目に遭わせたんだ!」


 老人は地団駄を踏んで叫んだ。


「お気の毒ですが、山中さん。落ちついてください。まだ取り調べの途中です」


 中村が興奮する老人の肩を抑えて椅子にすわらせようとすると、山中はその前足を汚いもののようにはね除けた。


「触るな、タヌキ! お前の仲間がやったんだぞ!」


「おい! 失敬じゃないか。うちの長さんにむかって……」


 荒勢が文句を言いかけると、急激に冷え込んだ室内に雪が舞いはじめた。


「え? これは?」


 振り向くと、眼鏡を外し長い髪を風に乱したお雪が、じっと老人を睨んでいる。


「見苦しいですわ。いい年をして見境のない」


 お雪の背後からひゅうひゅうと雪風が吹いてくる。


「真犯人と、うちの中村刑事は何の関係もありませんのよ」


 怒りにおもてを蒼白にしたお雪の視線を浴びると、山中老人はガクガク震えだした。


「謝ってっ! 早く謝ってっ!」


 荒勢と中村が老人の左右から必死にささやいた。

 会議室にはすでに粉雪が渦巻き始めている。一寸警部は中村刑事の胸ポケットに、ウサギは老人の懐に避難した。


「も、申しわけありませんでした!!!」


 山中は床に這いつくばるように白髪の頭を下げる。その体に凍るように冷たい雪片がふりかかった。


「わたくしにではなく、中村巡査部長に――」


 お雪の声は遠い森から聞こえてくるようだった。


「はいっ! 中村さん、大変失礼いたしましたました。謹んでお詫び申し上げます! 申しわけございませんでした!」


「はい! うけたまわりました! ちっとも気にしてません! ……もういいだろ?お雪ちゃん。勘弁してあげてくれよ。人間だもの!」


 中村刑事はお雪の視線から老人を庇うように立った。


「――はい。では中村さんのお言葉に免じて……」


 くるりと背を向けて髪をまとめたお雪だったが、切れ長な横目で老人を睨んだ。


「次はありませんよ」


「はいっ!」


 老人は顔を引きつらせてうなずいた。


「ええーと。はい。10分間休憩入りまーす。全員雪掻きよろしくー」


 一寸警部が朗らかに告げた。 


「心が優しいな……」


 荒い息をついた中村が、荒勢の耳元で囁いた。


「泣けるほど優しいっす」


 スコップをつかんだ荒勢が強張った笑顔を浮かべた。

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