巧みな話術に囚われて。

タッチャン

巧みな話術に囚われて。

突然で申し訳ないが、想像して欲しい。

あなたは行きつけのバーで一人、いつもの酒を飲んでいるとしよう。

あなたは座り慣れた椅子に腰掛け、薄暗い雰囲気と酒の力を借りて、充分にリラックス出来ている。

1日の疲れが取れていき体も心もほぐれていく感覚を感じている。

何杯か酒を煽った後に空席だったあなたの隣に異性が座る。あなたはその人に声をかけられ一瞬で恋に落ちる。あなたが思い描く理想の人だったからだ。

相手も同じ事を想っている。

互いが互いに一目惚れをしたのだ。

どちらとも驚異的なアルコールの力で思考回路は三大欲求の内、一つに収まるのだ。


私が思うに大抵の人はこの後、本や映画などで見たお決まりの行動を実際に取る事になるだろう。

どちらかの部屋かホテルで共に朝を迎えるのだ。


だがこの物語の主役、坂元鉄也は例外であった。

彼を一言で言うならば、完璧な男………いや、違う、

完璧に近からず、遠くない男。これでいい。


綺麗にスーツを着こなす彼の姿はモデルの様にスマートであった。

内面的にも彼は素晴らしい若者であった。

年寄りを敬い、見知らぬ子供にも丁寧に接する事を当たり前の様に行うその姿は、紳士的に思える。

「優しさ」を具現化したらそれは彼本人だろう。


保険会社で勤める彼は、常に営業成績がトップであった。自身の社会的地位を他者に誇示する事も見栄を張る事もなく、常に謙虚であった。

だがそんな彼も出社し、タイムカードを押すと仕事モードのスイッチが入り、人が変わるのだ。

巧みな話術を武器に、訪問する家々の住人から、保険に加入する事を大いに賛同した証に、サインを書類に書かせ、その書類を自信ありげに抱えて自社に戻ってくる。彼が常にトップに君臨する理由はそのずば抜けた話術にあった。

テレビで活躍する、喋ることを生業にしている者達より彼の方が何倍も口達者なのであった。


仕事を終えて、いつものバーで座り慣れた椅子に腰掛けて、酒を飲むのが坂元の習慣だった。

彼の心と体はほぐれてリラックスしていて至福の一時を充分に味わっていたのだ。

だが突然、彼の心は乱されてしまった。

空席だった彼の隣に突然座ったのは、密かに想いを寄せる会社の後輩だった。

彼女は坂元と同じ酒を注文して、彼のグラスに押し当て「今日もお疲れ様です、乾杯。」と優しさと愛情が籠った声色で言うと、一気に飲み干した。

30分後、坂元は逃げる様に一人で店を出た。

これで3回目だ。

彼が彼女との会話で発した言葉は「は…はい。」と、

「そ…そうなんですか。」と「はぁ。」だけだった。


彼は女性を前にすると途端に喋れなくなってしまう程の上がり性だった。

想いを寄せる相手なら尚更の事だ。


店を出た彼は駅までの長い道のりをうらぶれた気持ちで歩いていた。


「お兄さん、また会ったね。買ってかないかい?」


彼に声をかけた者は、パーカーについてるフードを深く被り口から上が見えない様になっていた。

薄暗い通りに小さな机を置いて、その上には小瓶が3つ置いてあった。ありふれたインチキ商売人だ。


「また会いましたね。今日で4回目でしたっけ?

 申し訳ないけど買いませんよ。その小瓶1つ、

 7万円もするんでしょ?高すぎますよ。

 それにあなたの格好はとても怪しいですよ。

 警察が来たら面倒な事になると思いますけど。」


インチキ商売人は不敵な笑みを浮かべて言った。

「そんな事、気にせんでいい。それよりほら、

 お兄さんの話をしようじゃないか。この前言って

 た女の子との距離は縮まったかい?」


坂元は首を横に振った。


「何してんだい!他の男に盗られちまうよ?

 それでもいいのかい?」


また首を横に振った。


「会社の後輩さんだっけ?素敵な子なんだろ?

 外見だけじゃなくて中身もいいとこの前言ってた

 ね?理想の人なんだろ?」


今度は首を大きく縦に振った。何度も。


「だったら酒の力を借りてでも口説き落とさなきゃ

 駄目だよ。他の男に盗られる前に。」


彼は弱々しく答えた。

「ダメなんです。彼女を目の前にすると緊張してしま

 って。今日だって一緒にお酒を飲んだけど、

 口説くどころかまともに会話も出来ないし、

 目を見る事も出来なかったんです。

 本当にどうしたらいいのか。」


「ならこれを買いな。」とインチキ商売人は坂元の手に無理やり小瓶を渡した。

「それを飲めば心の奥底から自信がみなぎるように

 なるんだ。お兄さんにはもってこいの物だよ。

 実を言うと私もお兄さんと同じで異性と話す事が

 出来なかったんだ。だけどそれを飲んだ瞬間、

 今まで話せなかった人達と堂々と話す事が出来る

 様になったんだよ。さぁ買った買った。」


薄く濁った小瓶の中身を見ながら長いこと沈黙していた彼は口を開いた。

「でも、やっぱり7万円は高いかな。

 すみません。止めときますよ…」

「4万5千円でいいよ。」とインチキ商売人は食い込み気味で言った。

「お兄さんには上手くいって貰いたいからね。

 他の男に盗られちまう前にバーに戻って彼女に想

 いを告げるんだよ。いいね?さぁ買った!」


彼は小瓶を買った。芋焼酎の様な匂いだった。

彼は飲んだ。


来た道を戻り、バーに入ると彼女の姿はなかった。

だが店を出ると少しだけ息が上がった彼女と鉢合わせた。

「あなたの事が好きです!」と突然坂元は愛の告白をした。4万5千円の小瓶の効果が出たのである。


「えっ、焼酎に色つけただけなのに…素直な人なんで

 すね……」と彼女は小声でいった。

「私もずっと坂元先輩の事が好きでした。」


勢い良く彼に抱きつく彼女の鞄から2つの小瓶がぶつかり、小さく響くのを聞こえた者はいなかった。

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巧みな話術に囚われて。 タッチャン @djp753

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