君のゆりかごが墓場を過ぎても

鯖田邦吉

君のゆりかごが墓場を過ぎても


 老婆が1人、住んでいた。

 死の床にある老婆が1人、住んでいた。

 今となっては彼女しか住んでいない、雪深い廃村に、死の床にある老婆が1人、住んでいた。


 老婆は1人であったが、孤独ではなかった。

 彼女の側には二頭身のマスコット・ロボットがついていたからだ。

 大人の腰の高さほどあるそいつの名前は『マシュマロ』という。老婆の命名だ。

 老婆がまだ童女だった頃、父親から買い与えられた子守ロボットは今、介護ロボットとして彼女の側にいた。


「なんであたしが息子のところに行かなかったか、わかるかいマシュー」


 老婆が言った。

 これで通算571回目になるが、マシュマロは初めて聞いたように「イイエ」と答えた。


「金がないのはわかってるからさ。だいいち、住む部屋だってない」


 同居を固辞したとき、息子夫婦があからさまにほっとしたような表情を浮かべたのが老婆には忘れられない。

 だが仕方のないことだ。彼女の息子だけではない――老いた親の面倒を見る経済力を持つ家庭など、今ではほんの一握りだ。

 親の臓器を勝手に売り払ったり、子供を遠い異国に出稼ぎさせたりせずにすんでいるだけ、まだマシな方といえよう。


「ご主人さまは息子さん家族のことを思って、1人で暮らすことを選ばれたのデスネ。立派デス」


 少しガタのきはじめたスピーカーを震わせ、マシュマロは老婆を賛美する。

 これも571回目だ。


「なに……歳食って、故郷にしがみつきたくなっただけさ」


 そう言いながらも老婆は少し嬉しそうだ。

 我が身を責め苛む孤独を、わずかばかりの見栄と賞賛で誤魔化す。

 それでも、雪国の冬の寒さは如何ともしがたい。


「寒くなってきたね。ストーブの温度、上げてくれない?」

「ハイ、ご主人さま」


 老婆の父は技術者だった。偏屈者の彼によって、マシュマロは多くの改造を施されていた。

 耐熱防水はもちろん防弾まで考慮された丈夫なボディ。

 安全重視で設定されたパワーリミッターは全て解除されており、両脚の車輪は最大時速120キロを誇る。

 高次元AI、自己修復機能付ナノスキンなど、現在ではロストテクノロジーとなった機能も持っていた。


 白かった表面装甲は黄ばんできたが、人件費どころか材料費までケチり始めた最新家電など歯牙にもかけぬ。

 むしろ最新家電が低性能過ぎた。

 技術者の知識と、技術水準維持コストが軽視されてきた結果だ。

 購入して2ヶ月の電気ストーブはもう誤作動を起こしはじめていた。


 修理――いやいっそ改造の方がいいだろうか――を施すためにはパーツが必要だ。

 付近の廃墟を回れば何か見つかるかもしれない。

 だが出かけようとすると、老婆は悲痛な声でマシュマロを呼び止めるのだった。


「あんまり遠くに行かないで。1人で逝くのだけは、あたしは厭だよ」


 誰にも看取られぬ孤独な最期、それが老婆には怖ろしい。

 起きている間、見える範囲にマシュマロがいないと何度も呼び寄せようとした。

 おかげでパーツの探索どころか、家事にさえ支障をきたす日々だ。


 それでもマシュマロは、老婆が孤独な最期を恐れるなら、あらゆる不都合を抱え込もうとその願いを叶えるつもりだった。

 彼はそのために造られ、生きてきたのだから。


 家の中は静かだ。

 テレビはつけない。

 気の滅入る内容ばかりだからだ。


 ドラマも、ニュースもアニメも、「みんなのために自分が犠牲になる」ことを賛美するような内容が増えた。

 政府が、いや社会全体が人々にそうあることを望んでいるようだ。


『老いたり働けなくなったりして、みんなに迷惑をかけるくらいなら死にましょう。もちろん自殺は道徳的に悪なので容赦なく袋叩きにしますが、みんなのためなら自分が悪者になるくらい平気で当然ですよね?』と言われているかのようだった。


 人間は1人では生きていけないが、1人分しかパイがない――そんな時代だ。


 老婆が寝付いたのを見計らって、マシュマロはそっと部屋を出た。

 何はなくとも、まずはストーブを修理せねばならない。

 老婆だけでなくマシュマロまで凍りついてしまう。


 そのとき――マシュマロは、夜の闇の中、1台の車が近づいてくるのを見た。



* * * * *



 黒いワゴンに、5人の男たち。

 人口減少によって廃墟となった村や町を巡っては、使えそうなものを奪うコソ泥である。


「あんなところにロボットがいるのかよ」

「本当だよ」


 男たちの1人は、以前、買い出しに行くマシュマロを見かけたことがあった。


「すごいスピードで走ってたんだ。市販品じゃありえねえ、きっと魔改造されてるぜ。そのままでも、分解しても、きっと高く売れる」

「持ち主がいるだろ」

「いたとしても、こんなボロ屋に住んでるんだ。問題ないだろ」


 ロボットを奪われたことで持ち主が苦しむことなど、男たちはまったく意に介していない。

 彼らが心配するのは、持ち主が権力者や、あるいはマフィアの関係者で、自分たちにひどい報復をするのではないか、ということだけだ。

 

「行くぜ」


 老婆の家にゆっくり近づいていくワゴン。

 ひゅるひゅると唸る吹雪が、その接近音をかき消す。


「おい」


 男の1人が前方を指差した。


 これから向かう小さな民家の前、ヘッドライトを浴びて立つものがいる。

 男たちの腰までの高さすらない小型ロボット――マシュマロだ。


「本当にあったぜ」

「客だとでも思ったのか。ちょうどいい」


 男たちは、マシュマロのそばにワゴンを停めた。

 会話をするつもりなどない。手を伸ばし、ワゴンに引き込もうとする。

 しかしマシュマロは車輪機動とは思えない滑らかな動きで男たちの手をすり抜けた。


「RCA-176系列のチップか、温感センサーをお持ちではありまセンカ」

「なに?」

「RCA-176系列のチップか、温感センサーをお持ちではありまセンカ」

「何に使うんだ、そんなもん」

「電気ストーブの修理をしたいのデス」

「あー、電気ストーブね。いいよ。今は持ってないけど、あるところ知ってるから、連れて行ってやるよ」


 男たちの1人は猫なで声でマシュマロに手を伸ばしたが、マシュマロは1歩分後退して逃れた。


「ここを離れることはできマセン。ご主人さまを1人にはできませんノデ」

「おい」


 リーダー格が声を荒げた。


「なにが悲しくてロボット相手に交渉なんざしてやがる。さっさと連れて行けばいいだろうがよ」

「連れて行かれるわけにはまいりマセン。私には、ご主人さまの最期に付き添うという使命がアリマス」

「だったらよぉ」


 男たちのうち、最も粗暴そうな1人がバールを手に車から飛びだした。


「そのご主人さまに、さっさとになっていただきゃ文句ねえんだろ?」

「おいおい、人殺しかよ」

「こんなヘンピなとこに来る奴なんていねえって。完全犯罪だぜ」


 安全に人が殺せるという状況に、男は興奮していた。


「警告スル。ご主人さまに危害を加える者に危害を加えることに、私は躊躇しナイ」

「は? 何言ってんだ、ロボットに何ができるんだよ」

「おまえたちの息の根を止めることがデキル」


 マシュマロの、ガラパゴス式携帯電話のように折り畳まれていた手足が伸び、腰関節がスライド。

 胴体が前後に開き、内部に折り畳まれていた頭部が起き上がる。

 瞬時にして、二頭身のマシュマロは八頭身のロボットに姿を変えた。

 鼻や口が省略された無機質なマスク。感情の読めない2つのメインカメラがフォーカス。


 老婆さえ知らない、マシュマロの隠された機能――戦闘モードである。


 人間の手そのままのマニピュレーターがバールを持った男の腕を掴み上げた。

 一気に握り潰す。

 マシュマロは理解していなかったが、主の殺害を示唆されて、彼は怒っていた。


「野郎!」


 色めき立つ男たち。

 マシュマロは手を離す。

 腕を押さえてうずくまるバールの男。

 その背骨を踏み折ると同時に、振り向くこともなく後ろに手を突き出せば、鉄パイプを振り上げた男の腹に赤い血の花が咲く。

 そのまま指を立て、マシュマロは服ごと男の腹を引き裂いた。


 ブルルルルル、とワゴンが勢いよく後退。

 逃げるのかと思いきや、車は猛スピードでマシュマロに突っ込んできた。

 後ろには老婆の家がある。マシュマロは正面から迎え撃つ。

 激突音がして、積もった雪を抉りながらマシュマロの身体が数センチ後ろに押し出された。


 しかしそれだけだ。


 マシュマロはワゴンの鼻先を両手で抱え込む。

 ぐにゃりと曲がるバンパー。

 フロントガラスにヒビが入る。

 タイヤが宙に浮く。


 ワゴンを持ち上げたマシュマロは、防風林に向かって軽々と放り投げた。

 吹雪の音さえかき消すような衝撃音とともにワゴンは落下。

 運転席の男が不自然な角度に首を垂らす。

 だがマシュマロが懸念するのはただ1つ、さっきの騒音で主が目を覚まさないかということだけだ。


「ひいいい」


 男が1人、ワゴンから這い出てきた。

 腰が抜けたか、それとも折れたか、雪の上を這いずる。

 追いつくのは簡単だ。

 マシュマロは男の足首をつかんで持ち上げた。

 後ろから襲いかかろうとしていた最後の1人に叩きつける。

 ぱん、と2人の男の頭蓋が卵のように割れた。



* * * * *



 あの男たちと自分に、善悪の差があるとマシュマロは思っていない。

 たとえやってきたのが通りすがりの人畜無害な親子でも、同じことをしただろうから。


 車に内蔵されているエアコン、それを手に入れるためならマシュマロは何だってやる。


 事前の予想通り、車内の空気には煙草とアルコールとドラッグの成分が多く含まれていて、ひどいものだった。

 駄目だ、いくら暖房が生きてるからって、こんなところにあの人を入れるわけにはいかない。

 やはりエアコン部分だけ取り外すしかないようだった。


 周囲は真っ暗だが、暗視機能を備えたマシュマロには関係ない。

 指のレーザートーチを使えば作業は簡単だ。


 問題は時間だ。そろそろ老婆が目を覚ます。

 マシュマロは作業を一旦中断し、家の中に戻った。

 だが1歩足を踏み入れて、マシュマロは気づいた。


 室内気温は、外界とほぼ同じになっている。

 思考プログラムに不快なノイズが走った。

 人間風に『嫌な予感がした』とでもいおうか。


 戦闘モードのまま、老婆の部屋に飛び込む。

 ポンコツのストーブは完全に機能を停止していた。


 老婆の心臓も、また。


 悲しげな死に顔。

 命を失う直前老婆は目覚めたに違いない。

 当然、マシュマロがいないことを知っただろう。

 きっと何度も呼んだはずだ。

 なのに、殺戮に酔っていたマシュマロは気づきもしなかった。


『1人で逝くのだけは、あたしは厭だよ』



 1人で――独りで逝かせてしまった。


 最後の最後で、彼女を裏切ってしまった。


「――――ア」


 人間であれば、涙を流していただろう。声を限りに叫んでいただろう。

 けれどマシュマロにそんな機能はなかったので、彼は別の方法で溢れ出る『激情』を発散させねばならなかった。


 マシュマロは自身の頭部を殴りつける。

 指関節が砕け、マニピュレーターが崩壊する。

 それでもなお叩きつけているうちに頭部がへしゃげた。

 メインカメラを覆っていた防弾ガラスが小さな破片になって、月光を反射しながら床に散らばる。


 それだけでは収まらなかった。

 床を殴って穴を開け、壁を蹴り崩す。


 やがてマシュマロは、動くのをやめた。



* * * * *



 老婆の息子は、定期的に様子を見に来ていた。

 そして彼は、母親の家の前で逆立ちになったワゴンと、周囲に散らばる男たちの無惨な肉塊、そして荒らされた家の中で静かに眠っているような母親の死体を発見し、悲鳴をあげた。


 数時間後――。

 家人が存命中は訪れる者もなかった小さな家の前には、赤色灯を回転させるパトカーが列をなしていた。


「熊の仕業でしょうな」


 ろくに調べもせずに警察官が言う。

 早く帰りたいという気持ちが透けて見えて、老婆の息子は反感を感じたが、彼にしても他の可能性は思い浮かばなかった。


「……母に会っても?」

「どうぞ。お母様の部屋はもう検視が済んでますから」

「どうも。……ほら、お婆ちゃんに挨拶なさい」


 老婆の息子は連れてきていた娘に声をかけた。

 両親の必死の努力の甲斐あって地獄絵図を見ずに済んだ娘は、周囲の慌ただしさを疑問に思いながらも、眠ったままの祖母にぺこりと頭を下げる。


 それで、まだ死を理解できない娘の興味は祖母から離れた。

 代わって彼女の目を惹いたのは、部屋の隅に転がる、硬質なぬいぐるみじみた二頭身のロボットだ。


「これ、なあに?」

「なにって……そうか、前来た時は赤ちゃんだったもんな。『マシュマロ』っていうんだ。お婆ちゃんが子供の頃から大切にしてた、マスコットロボット」


 彼自身もまた、子供の頃は遊んでもらったことを思い出す。

 よう、と声をかけるが、マシュマロは反応しなかった。


「動かない。壊れてるのかな」

「お義母さんと一緒に大きくなって、一緒に逝ったんだわ」


 母親はハンカチを目に当てた。


「つまんない」


 揺さぶっても反応しないマシュマロに、娘は唇を尖らせる。


 だがマシュマロは壊れたわけでも、充電が切れたわけでもなかった。

 動きたくないから、動かない。それだけだった。

 周囲で起きていることは、ぼんやりした影のように彼には見えた。

 もうなにもしたくない。願わくば、このままスクラップとして処分されてしまいたい。


「あ――」


 娘が足を滑らせた。

 その頭が落ちる場所には、破片が鋭い切っ先を立てている。


 反射的に、マシュマロは手を前に出していた。

 マスコットロボ・モードの広い手の平、その中央の『肉球』は少女の後頭部を柔らかく受け止める。

 驚いた少女とロボットの視線が交差。


 それではじめて、マシュマロは少女の顔をまともに見た。

 老婆の幼い頃とよく似た顔。

 マシュマロの思考波形図に大きな波が刻まれた。


「すごい、動いたよ、パパ、ママ!」

「そ、そうだな……ビックリした」

「あなた、マシュマロっていうのよね?」

「ハイ。マシュマロと、呼ばれていマシタ」


 今更死んだふりなど意味がない。


「ねえ、この子、ほしい!」


 父親は、ロボットの充電にかかる光熱費やマンション下階住人との騒音トラブルの可能性に対して思案を巡らせる。


「……あなた」


 母親は、娘と仲の良かった子供が出稼ぎに出たことを夫に伝えた。

 それで娘はひどく落ち込んでいるのだとも。


 娘と同い年の子供が働くとなれば、ろくな仕事ではあるまい。

 父親はその友達の境遇に同情し、娘にはその分幸せになってもらいたいと思った。


「いいよ。連れて帰ろう」

「あ、お婆ちゃん、駄目っていうかな?」

「……大丈夫さ。大丈夫……きっと、その方がお婆ちゃんも喜ぶ」

「やった! 今日からおまえはウチの子よ!」


 ずっと一緒にいてね、と娘は微笑んだ。

 ああ、奇しくもそれは老婆が幼い頃、マシュマロにかけたのと同じ言葉だ。

 マスコットロボ・モードのメインカメラが、驚いたようにフォーカスする。



* * * * *



 夜になっても、小さな家の前でパトカーは赤いランプを光らせていた。


 ――ああ、何故忘れていたのだろう。


 老婆の、彼女の真の願いは、ずっと一緒にいてくれというものだったのに。

 また自分は間違うところだった。

 だがもう過ちは繰り返すまい。


 室内に横たわる親子連れと警官たちの死体を片付けるのは明日に回すことにして、マシュマロは老婆の亡骸の前で休眠モードに入った。

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