第10話 おとら狐

「あ…?お前ら、何を見て驚いているんだ?」

私達が驚いているのを見たはじめが、閉じていた瞳をうっすらと開けて問いかける。

「すみません、小川様。今は少し黙って戴けませんか?」

「あぁ?」

「小川!!」

それに対してテンマが黙らせようとすると、彼は少し不機嫌な表情を浮かべる。

それを背後にいる「何か」と一緒に観察していた健次郎が、少しだけ声を荒げる。

「悪いが、付喪神そいつの言った通り…。今は、おとなしくしていた方がいいかもしれねぇ…」

一点に視線を搾った状態の健次郎が、はじめに告げる。

私も目を凝らしてよく見ると、はじめが少し動こうとすることで、背後にいる狐が機嫌悪そうにしている節が見られた。

「ちょっと、テンマ…!“これ”が何かを知っているなら、早く教えて!!」

「…畏まりました、美沙様」

その場で突っ立っているテンマを見かねた私は、早く対処するよう彼を促す。

テンマは、はじめの後ろにいる存在を正面から見つめ、口を開く。

「おとら狐殿。貴殿は何でまた、この青年に憑いたのでしょうか?」

テンマが問いかけると、その狐は彼の声に気が付く。

「うん…?おや、己の声を聞き取れる者がおるとは、珍しい」

すると、その狐はテンマの声に反応する。

「おとら狐って…?」

「愛知県に伝わる、狐の妖怪です。憑かれた者は目やにを出し、左足が痛くなるそうですよ」

「妖怪!!?」

その単語ことばを聞いた私と健次郎が、目を丸くして驚く。

一方、瞳を閉じているはじめも、身体を震わせて反応していたようだ。

 まぁ、神社巡りで本来ならありえない事ばかり目にしているから…。この平成の世に妖怪がいても、何ら不思議ではない…?

しかし、冷静になって考えると、この不可解ともいえる現象も現在自分が体験している事を思えば、そう驚く事実ものではないかもしれないという認識も同時に持ち合わせていた。

「特に深き所以はない。昔は病に臥せっている人間ものをからかってやろうと憑いておったが、近年には憑きやすい人間が減ってきておったからな…」

「…あぁ、医学の進歩によって近年の日本は、健康で長寿の人間かたが多くなってきていますからね。それは確かに、相手を選んでいる場合ではない…と」

一方、おとら狐の話を聞くテンマは、感心しながらその場で頷いていた。

「そもそも己は、かつてこの国で起きた長篠の合戦の際、長篠城の稲荷社におった遣いでな。合戦を終えた後、戦で傷ついた社を放置された際は、真に怒り狂ったわ…」

おとら狐は、気が付くと自身の生い立ちについて語り始める。

しかも、憑いているはじめの口を借りて話し出したため、周りにいた観光客が驚いていたのである。

「おとら狐殿。お話をしっかりと伺いたいので、場所を少し移動しましょうか」

「…うむ。確かにこの場だと、人間共が多くてかなわんからな」

テンマが周囲の状況に気が付いたのか、おとら狐に場所移動の提案をする。

 はじめも気の毒に…

そう考えていた矢先、健次郎に声をかけられる。

「場所を移動するにせよ、俺達も一緒に行った方が良くねぇか?」

「え…どうして?」

「…本来、テンマは俺ら以外の人間には視えないだろ?このままだと、小川あいつ。一人でブツクサ語る変人に見られちまうぜ」

「あ…」

最初は健次郎の提案の理由が判らなかったが、その理由を理解した私は、少し低い声を出しながら、はじめ達を横目で見る。

また、テンマも歩きながら私達の方にも視線を向けてきたため、「自分達も一緒に移動した方が良い」と判断した私と健次郎は、休憩所を離れて彼らの元へ向かう事となる。


その後、はじめに憑いたおとら狐の身の上話は、30分近くに及んだ。

おとら狐自身は元気そうだったが、口を使われたはじめはかなり疲れた表情をしていたのである。

「…では、おとら狐殿。十分に話を伺った事ですし、そろそろ青年の身体より出て戴けませんかね?」

ポーカーフェイスの状態を崩さぬまま、テンマは狐に尋ねる。

「何?付喪神の分際で、己に指図をすると…?」

「私からも、お願いします!」

テンマから言われた事で、おとら狐は不服そうな表情かおを浮かべる。

それを見た私は、その場で頭を下げて狐に頼み込む。

 話聞くのに飽きたというのもあるけど…何より、これ以上話されてははじめが倒れちゃいそう…!

私は、色んな感情が脳裏で駆け巡る中、その場でお辞儀をしていた。

そして、それを見つめていたテンマは一瞬驚いていたが、すぐに薄い笑みを浮かべて口を開く。

「…おとら狐殿。我々とて、無理強いはしたくありません。ただ、その青年が酸欠で倒れられても困りますので、ご自身から出てほしいのですよ。それと…」

「それと…?」

テンマの台詞ことばを聞いていたおとら狐が、首を傾げながら問い返す。

「わたしも、本気を出せば犬神を呼び寄せる事も可能ですし…。何より、この娘は穢れを浄化する霊力に長けております。貴殿とて、無理やり祓われるのは、好まないのでは…?」

「何…!?」

その台詞ことばを聞いたおとら狐は、目を丸くして驚く。

一方で、言葉の意味をしっかりと理解できていない健次郎は、茫然としたままその場の成り行きを見守っていた。

「貴様、もしや……」

真剣な表情になったおとら狐は、テンマを睨むように見つめる。

その後、私達の間で沈黙が走ったが、それも長くは続かなかった。

「……よかろう。己もかつて陰陽師に追われた際は、散々だったからな。それに、誠意を以って己に頼む娘の心意気に免じて、この餓鬼より離れてやろう」

「あ…ありがとうございます…!!」

おとら狐の台詞ことばを聞いた私は、安堵の笑みを浮かべる。


それから数分後―――――――――おとら狐から解放されたはじめは、休憩所へ行く前よりも疲れた表情をしていた。

そのため、健次郎の提案によって、どこか軽食が取れる場所にてしっかりと休憩をする事になった。

『“奴”に気を許してはならんぞ』

私はこの時、去り際におとら狐が述べていた台詞ことばを思い返していた。私達の元を去る時、おとら狐は私にしか聴こえない形で語り掛けてきていた。その台詞ことばの中に、今のような内容があったのだ。

 テンマには疑わしい点がいくつかあるのは解っているつもりだけど…。あの台詞ことばの真意は一体…?

私は、おとら狐が自身に対して何を伝えたかったのか、真意が解らぬまま名古屋城を去る事となる。



予定外の事で時間を費やした事や、はじめの体調があまり良い状態ではないため、名古屋城以降の観光はいくつかを省略し、私達はホテルへチェックインをする。

ツインルームを2部屋予約したため、男性陣で一部屋。女性陣で一部屋となる。この段階ではまだ裕美が合流していなかったため、私は一時の一人部屋を堪能していた。

『ググってみたら確かに、おとら狐って元々は病人に憑く事が多かったらしい。気まぐれとはいえ、小川が取り憑かれた原因は何だったんだろうな?』

夕飯で外出するまでの間、それぞれの部屋にいた私と健次郎は、スマートフォンでメッセージのやり取りをしていた。

はじめが、霊媒体質だったからとか?いずれにせよ、これ以上考えすぎないほうがいいかもね』

私は、健次郎へ今のような一文を送信した。

その後、スマートフォンを枕元近くにあるサイドテーブルに置いた私は、ベッドに寝転ぶ。

「美沙様」

「ん?どうしたの?」

すると、ずっと隣のシングルベッドに座っていたテンマが声をかけてくる。

「不意に思ったのですが…。美沙様は、小川様と岡部様。いずれと恋仲になりたいと考えていますかね?」

「はい…!!?」

余りに唐突な質問をされたため、私は声を荒げてしまう。

 何でまた急に…

問いかけられたからには答えなくてはと、私はその場で腕を組んで考える。

ただし、その時に浮かんだのは男性陣の顔ではなく、まだ合流していない裕美の顔が浮かんでいた。

「わからない。ただ、裕美がいつだったか“健次郎が好きかも”と言っていた気がするから、恋仲になるならその辺りじゃないの?」

「……美沙様自身は、そうはならないと?」

「今の所は…考えられない。どうなるんだろうね」

テンマに再び問いかけられ、私は思った事を口にする。

「……小川様、気の毒ですね…」

「テンマ…?」

私の台詞ことばを受けてテンマは何か呟いたようだったが、小声なので聞き取る事ができなかった。

私は不思議そうな表情かおをしながら、テンマを見つめる。

「何もございませんよ。それより…まもなく、東海林しょうじ様を迎えに行く前の夕飯へ行く時間なのでは?」

「あ…そうだった…!!」

腕時計の時間を見ると、確かにその時間が近づいていた。

私はホテルの浴衣に着替えてくつろぎモードへ突入していたため、急いで仕度を始める。

「もし、わたしがこの娘を我が物にしたら、あの青年達はどう思われますかね…」

私が慌てて用意をするさ中、独りベッドに座っていたテンマは、小声でボソッと呟いていた。

無論、その台詞ことばを私が耳にする事はなかったのである。


「あ!皆~!!」

名古屋駅にて、裕美の声が響いてくる。

一旦ホテルを出た私達は、そこから駅へ向かい、夕飯を済ませた後に職場から直接来た裕美と合流した。ここ最近は普通の私服で会っていたため、オフィスカジュアルを匂わせる彼女のパンツ姿がとても新鮮に見える。

「お疲れ!飯はどうした?」

「うん。新幹線の中でお弁当食べたから、大丈夫だよ!」

健次郎が夕飯の話をすると、裕美はもう済ませた旨を伝える。

「って…あれ?小川君。随分疲れた表情かおしているけど…」

「あー…。それには深い理由わけがあるんで、後で説明するわ」

すると、はじめを見た裕美がそう述べる。

彼自身も自分がかなり疲れている自覚があるらしく、少しだるそうにも見えた。

 さっきホテルで少しは仮眠をとったって聞いたけど…。やはり、今日の事でかなり疲れが出たんだな…

私は、苦笑いを浮かべながらその場の成り行きを見守る。

「ひとまず、ホテルへ戻りましょう!女性用の大浴場が、ナンバー式の開錠で面白いみたい♪」

ホテルへ戻る事を私が促し、皆もそれに同意をする。

その後は4人でホテルへ戻り、一泊してから今回の目的地・熱田神宮へ向かう事となる。裕美が仕事終えて直行という事もあり、この夜は大浴場を満喫した後は早めに寝ようという事で割とすぐに就寝するのであった。


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