第34話 真生(8年後)

 年度末の休養日を利用して実家に帰省していた僕が、同じく帰省していたハルからその話を聞いたのは、僕たちがあの日以来何度か一緒におにぎりを食べた、僕たちの『約束の祠』で、僕たちは相も変わらず、またおにぎりを食べていた。


 おにぎりを食べ終わり、お茶を飲んでひと息ついた頃、ハルが成人式で聞いてきた話をしてくれた。


「そうか、千絵ちゃんの行方がわからなくなっているのか」


「ねえ真生君、千絵ちゃん……まさかこの中にいるってこと、ないよね?」


「えっ?この中に?そりゃあないだろ。千絵ちゃんはここが入ったら危険な場所だって知ってるし、そもそもいなくなったのって、その大学があるところでだろ?ここにいるわけないだろ」 


 そう答えると、僕は水筒の蓋に注いだ残りのお茶を一気に飲み干した。喉が渇いているわけでもないけれど、蓋に新しいお茶を注ぐと、それもひと口飲んだ。


「そうだよね……でも本当にどうしちゃったんだろう……」


「案外さ、好きな人でもいて、追いかけてっちゃったのかもしれないよ?いわゆる、駆け落ちってやつだな」


僕は半分笑いながら冗談交じりに言ってみた。


「え~っ、まさか……いくらなんでも、だったら連絡くらい寄越すでしょ?」


「大学を放り出して行っちゃったから、合わせる顔がなくて、今、本人が一番困ってるのかもよ」


「そうかなぁ……そうだといいけど……」


 この辺りで千絵の話は終わらせたいと思い、僕は話を違う方向へと向けた。


「ねえ、いつもおにぎりだけど、そろそろ違うものも持ってこない?」


「違うもの?うん、サンドイッチとコーヒーなんかもいいかも」


「うん。おにぎりもいつも美味しいけど、ハルが作るサンドイッチも食べてみたいな。今度さ、お弁当持ってハイキングとか……ドライブとか、どう?」


 僕たちは、恋人というほどの密な関係でもなく、だからといって、友達とはまた何か違う近さがあり、僕は誰かと付き合うこともなく、ハルもそういう人がいる素振りもなく、ただ、同じ気持ちであることには互いにわかっているといった風な、そんな間柄をずっと続けていて、ハルが成人した今、そろそろ一歩踏み出してもいいんじゃないかと僕は思っていたし、ハルもそうなんじゃないかと感じていた。


「うん。真生君はもう免許持ってるんでしょ?ドライブいいかも。私も免許は取ったけど、まだ一度も外で運転してないから自信がないんだよね。運転は真生君でいい?」


「もちろんだよ。僕は運転は何度かしているし、こっちに帰ると親に運転手させられるし、大学のみんなとレンタルで借りて出掛けたりもするからね」


「よかった。じゃあ、今度はドライブね」


「うん、じゃあそうしよう。どこか行きたいところはある?一応日帰りできる距離で考えてみてよ。僕も考えてみるし」


「うん。どこがいいかなぁ……海もいいけど、あっ、ディズニーランドにもいつか行きたい!」


「ディズニーランド?それじゃ日帰りはキツイかもな」


「いいじゃん、行こうよ」


ハルがサラッとそう言った。


 それって……と、僕は少しのドキドキ感を感じながらも、自然な流れで話を持って行けたことに安堵していた。そして、千絵の話も自然に終わらせることができたことにも、安堵していた。


 行き先をどこにするかあれこれ案を口にしている楽し気なハルを見て、僕は胸が熱くなり、『約束の祠』の前で、僕たちは初めて唇を重ねた。



 翌日、僕はまた清龍寺神社までくると、掃除をしてくると言って伯父から借りてきた鍵で社務所の中に入った。


 伯父は僕が大学の神道学科に進むと、帰省してきたときなどは社務所などの掃除を頼んでくることがあり、自分から掃除すると言っても不自然ではないだろうと思い、これ幸いとそれを口実にして鍵を借りることにしたのだ。


 押し入れの中にある金庫を、「3、1、8、9、5」と、あの日記憶した数で開けると、紐で綴じられたノートを取り出した。


 それを前にして気が忙ぐのを必死で堪え、まず息を整えようとしたけれど、そうしようとすればするほど、今度は胸の鼓動がどんどん強くなるのを感じ、しばらく目を閉じて、こんなときはハルを思い出せば心が落ち着くんじゃないかと思いそうしてみたけれど、それも効果なく、そのノートの発する『早く見たらどうだ?』という声がどんどんと大きくなってくるのを感じていた。


「見るぞ」


自分に言い聞かせるようにそう口に出して呟くと、僕はノートを開いた。


1728年 一人 文 殺し


  ・


  ・


1740年 一人 栄介 暴行


  ・


  ・


1755年 一人 なし


1785年 二人 銀一 暴行  なし


1822年 一人 耕助 暴行


  ・


  ・


  ・


1912年 一人 美知 殺人


1926年 二人 内幼子一人 失踪者なし 


1929年 一人 失踪者なし


1933年 一人 失踪者なし


1947年 一人 勝男 暴力


1955年 一人 失踪者なし


  ・


  ・


  ・


1987年 一人 失踪者なし


1988年 二人 泉  失踪者なし


1996年 一人 千絵 殺人 



「あぁ……やっぱりそうか」


このノートに千絵の名と泉の名を見つけて、僕は自分の想像に間違いないことを確信した。


 ハルの口から千絵がここにいるのかなという話が出たとき、まさかと答えたけれど、僕は千絵はここにいるのだろうと思っていたのだった。ハルに僕の考えを言わなかったのは、ハルは知らないほうがいいことだろうと思ったからだ。


 ここに書かれているのは、洞窟の中で見つかった人数と、誰が……なのだ。

 失踪者なしというのは、伯父が話していた富士の樹の海でいなくなった人といわれている人で、僕の想像だけれど、本当はどこからか迷い入って出られなくなった人だったり、自分からここを見つけて入り込んだ人だっていたのかもしれない。


 そして、誰なのかわかっている名前の次には、……これは罪状だろう。

公にはできなかった罪だったのかもしれないし、暴行というのも、家の中でのことだったりで、自分たちではどうすることもできなかった人たちを救うために、ここに入れられたんじゃないだろうか。それと、村から罪人を出すこと、村に住む人の家から罪人を出すことを躊躇ったということもあったのかもしれない。


 千絵の名があり、殺人という記しを見たことで、これを始めて見たときに感じた、伯父の言ってた富士の樹の海で迷った人が辿り着くという説明と書かれていることとの違和感が、ようやく自分の中で繋がった気がしていた。


 僕が引き継ぐものは、いや、引き継ぐことの本当の意味を、僕は知った。


 ここは鎮守の山なのだ。

 ここは、麓に広がる村々の平和と安寧のために存在している山だったのだ。


「何もないことを祈るよ」


僕に後継ぎにならないかと聞いたときに伯父が言ったその言葉の重みに、僕はそこでようやく気づいた。


 僕に後継ぎが務まるだろうか?


 自分の気持ちにそう問うてみて、その答えを探していると、ふと伯父の行動を思い出し、金庫の中に入っているもう一つの巻き紙を開いた。


 その地図は以前伯父に見せてもらったときのままではなく、一つだけ書き足されたと思われる道があった。


 8年前、ハルが千絵から聞いた話を伯父にしたとき、お地蔵さんの下にあるはずの洞窟の入り口を、伯父が塞ぐと言っていた。新しく書き足されたここが、方向からしてその地蔵下の道なんだろう。


 それ以前に、先代が水道山と呼ばれていた方の洞窟の入り口に木を2本植えた。

それは、木が成長したら入れなくなるようにというつもりで植え、つまり、成長の途中では、そこを知る人が見たら、いつかは入れなくなると分かったはずだ。


 地図をよく見てみると、行き止まりになっている場所の、たぶんその木が植えられたのはこの道だろうということも予想できる場所があった。


 伯父が塞いだ地蔵下の入り口も、そこを知る人……千絵の祖父は、もう入れないことに気付いているかもしれない。そこからもわかるように、いつの頃からかはわからないけれど、山の守り人たちは洞窟への入り口を見つけるたび、そこを塞いできたんじゃないか。


 ここに書かれた先のない道のすべてが塞がれた入り口だったのか、それとも伯父が言っていた、まだその先がどうなっているのかわからない場所なのか、それはわからない。


「失踪者なし」と書かれた人の中には、知らずに迷い込んだり、何かのきっかけでそこを見つけて興味本位で入り込んだり、言い伝えか何かで知っていて自分から入り込んだ人がいて、出られなくなってそのままになっている人もいたのだろう。


 そんなことがないようにと、入り口は最終的には一つだけ、神社の本殿裏山の上にある祠だけにしてしまいたいのだろう。


 千絵のように、そこを知って誰かを連れ込んだりということだって、過去にもあったかもしれない。


「何事もないといいな」


 もしかしたら他にも今までの守り人たちに知られないままの入り口があるかもしれないと思い、思わずそんな言葉が口から出た。


 僕は伯父の跡を継ぐ。


 この山の意味を知った今でも、その気持ちに変わりはない。

 伯父の言った、「繋がってきた血が大事なんだ」という言葉の意味も、山の秘密を知り理解できたと思う。


 山の守り人とは、秘密の守り人でもあるのだ。


「何事もないといいな」


 きっと今までの守り人たちの誰もが口にしたであろうその言葉を、僕は再び声に出し、そして目を閉じて、泉と千絵を想い、しばらく祈った。



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