6-1『相葉優花の記憶』

 薄く開かれたドアから現れたのは、優花の記憶からかけ離れた母の姿だった。

 ドクン――と鼓動が跳ね、動機が激しくなるのがわかる。


「あ……」


 喉が張り付いてしまったように声が出ない。


「小比類巻さん……でした? そちらは?」


 そう、か細い声を出したのは誰だろうか。


 優花同様、髪が多くて梳いても梳いてもまとまらないのよ、と悩んでいたはずの毛髪はありえない程に薄く、白く染まっていて、ふっくらとしていた輪郭は削げ落ち、まるで老婆のように見えるこの人は――誰?


「突然すみません。梢がどうしても優花さんにお線香をあげたいというので。俺は梢の彼氏です」


 言葉をなくし、固まる優花の代わりに理恩がそう答えた。


「そう……どうぞ上がってください。散らかってますけど」

「おじゃまします」


 そう言って玄関へ入ろうとした理恩の袖を、優花が摘んだ。その顔は青く染まり、唇は小さく震えていた。


「理恩……やっぱり私……」

「逃げんな。現実を受け止めろ」

「う……あ……」


 泣き出した優花の肩を抱きながら、理恩は玄関へ入った。


「どうぞ、こちらです」


 散らかっていると言ったのは謙遜ではなかった。リビングには特にインスタント食品のゴミが目立つ。

 だが、通された仏壇のある和室は綺麗に掃除されていた。


「あの子の為にまだこんなに泣いてくれるお友達がいたのね……」


 優花が泣いている理由は、優花の母親が思う理由ではない。自分のせいであまりにも変わり果ててしまった母の姿にショックを受けたからだ。


 この2年、こんな容貌になるまでどれだけ身も心もすり減らしてきたかと思うと察するに余りある。


 無言で仏壇に手を合わせ、涙を流し続ける優花に優花の母親も静かに涙を流した。


「あの……お父さんは……」


 少しだけ落ち着きを取り戻した優花が母にそう問いかけた。


「ああ……主人は半年前から入院してて……そんなに悪い病気じゃないのよ? ただ私も主人も優花がいないとダメみたい」


 ふふふと笑う母の背に、そっと優花は手のひらを当てた。そのことに優花の母親は少し驚いた顔を見せたが、すぐに表情を柔らかくした。


「……暖かい……久しぶりだわ。人の温もりに触れたのは。小比類巻さんは中学の頃のお友達かしら?」

「はい。他校でしたけど、部活の練習試合で仲良くなったんです」

「そう。じゃあソフトテニス部だったのね。アルバム見るかしら」

「見たいです」


 和室から移動すると、リビングの扉を抜けた先の部屋へ通された。

 優花が小学生に上がった頃にあてがわれた部屋だ。

 部屋へ入ると和室同様、とても綺麗に保たれていた。


「小さい頃のも見る? こっちが私で、こっちが優花。笑っちゃうくらい私にそっくりだったのよ、あの子」

「本当ですね」


 赤ん坊の頃の写真をふたり並べてみると違いがわからないほど瓜二つだ。


「小比類巻さんほど美人じゃないけど、愛嬌がある子だったのよ。私に似て」

「女は愛嬌……ってよく言ってました、優花さん」

「そう……。あ、この子が初恋の子よ。イケメンでしょ? 優花は自分のことは棚に上げて面食いでね。理想が高すぎたから彼氏が出来なかったのねえ。小比類巻さんは真面目な彼氏を捕まえたのね」


 そう言って黙っている理恩を見た。


「う、うるさいな」

「え?」

「……って、優花さんなら言いますよ!」

「ふふ、そうね。絶対言われるわ」


 アルバムは、幼少期、小学生、中学生と進む。


「高校生のアルバムはこれだけね……」


 優花が事故死したのは、高校1年生の冬。

 奇しくも野神沙耶香の死亡時期と重なっていた。


「……スマホなんて買うんじゃなかったわ」


 蚊の鳴くような細く震える声で、優花の母親は呟いた。


「……ごめんなさい!」

「どうしてあなたが謝るの」

「優花さんの代わりです。優花さんは謝ってると思います」

「……そうね。あの子なら今の私たちを見たら謝るんだと思うわ。小比類巻さんは優花のことをよく分かってるのね。それほど仲良くしてくれてたのなら、あの子のことも知ってるかしら」

「あの子?」


 優花が首を傾げると優花の母親は「ええと……確か……」と言いながら中学の卒業アルバムを捲った。

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