3-3

 その後何度か登り降りするものの、結局段数は増えていなかった。


「ねえ、これ何やってんの?」


 優花が小声で理恩に話しかけた。


「気にするな」

「めっちゃ気になるんだけど」


 コソコソとふたりが話していると、神楽坂が「これにて調査は終了! 部室に戻りましょう」と声を上げた。


 部室は5階にあるので、そのまま階段を登ろうとした時、突然何かが落ちる音が校舎に響き渡った。


「え、何?」

「教室から?」


 大森と神楽坂は首を傾げて音のした方向へと、ゆっくり歩いて行った。佐野と田中もそれに続いていく。


「ねえ、理恩」

「ああ」


 理恩と優花は顔を音のした方へ向けたまま会話を続けた。


「ちょっとヤバいんじゃない?」

「少し前までいなかったのに……」


 小さく舌打ちを打つと、理恩は小走りで先頭を歩く大森たちに追いついた。


「そっちは何もいませんよ」

「え、でも物音が」

「何にもいないです。なあ? 梢」

「あ、うん! なーんにもいないでーす」


 「ふたりがそう言うなら、いないのか」と納得した大森に「それより柏木先生が心配だから、そろそろ戻った方が」と理恩は言った。


「忘れてた!」


 腕に嵌められたデジタル時計を見て、大森は「もう1時間経ってる!」と焦ってその場から踵を返した。


「梢がトイレいきたいっていうんで、俺待ってます」

「あ、うん。わかった。って私が待ってようか?」


 神楽坂の申し出に理恩は「そうしたいところですけど、女子ふたりより男の俺がついてた方が何かと安心だから」と体良く断った。


「そっか。そうだよね、念の為ってやつね。じゃあ私たちは先に戻ってるから」

「はい」


 ひらひらと手を振って大森たちを見送ると、優花が「別にトイレ行きたくないけど」と文句を言った。


「あの人たちについてこられたら面倒だろが。行くぞ」

「なるほど! オーケー」


 理恩が言うようにほんの少し前までは危険な類の霊はこの校舎にはいなかった。


 だが、今は――明らかに負の感情を撒き散らしているモノがこの階にいる。


「……1組か」


 この階には1年生の教室が1組から8組まである。

 一番端に位置する1組の教室から禍々しい空気が漂うのを、理恩も優花も見逃さなかった。


「悪霊……っぽいけど、この感じ……」

「多分、生き霊の類だろうな」


 生き霊とは、生きている人間が誰かを思うあまり、無意識、又は意識的に魂だけをその人のところへ飛ばし、取り憑くものだ。殆どが恨みや嫉妬などに起因するから悪霊だが、稀に守護霊のように対象の人間を見守るものもある。


「でも、今ここに誰もいないよ?」

「ああ、それなんだよな……」


 1組のすぐそばまで来た理恩は、そこで人差し指を自分の口元へ当てた。それにならい、優花も同じように人差し指を口元に当ててから耳をすませた。


「……なんか言ってるよ……? “……ない”?」


「どうする?」と優花が視線だけで理恩に問いかける。理恩はそっと、教室の扉に嵌められている窓ガラスから中の様子を伺い見た。


 どうやら、スーツ姿の男性が「ない」と呟きながら教室内を彷徨い歩いているようだ。


 何かを探しているのだろうか。それとも取り憑く先の人間を? そんなものを探すなんて生霊は聞いたこともないが、このまま放置して誰かに取り憑かれたら不味い。


 理恩はゆっくりとした所作でメガネのテンプルつるの部分に指をかけた。


「おまえはここにいろ」


 短く言うと、理恩はメガネを外しながら教室の扉へ手をかけた。理恩の素顔が見れたことに優花は思わず歓喜の声を上げそうになり、慌てて自分の両手で口を覆った。


 瓶底メガネを外した理恩は、あろうことか美少年であった。全ての物の美しさというのはそのバランスにある。分厚いレンズによって極端に小さく見える目は、他の均整のとれたパーツのバランスを見事に崩していたのだ。更にその両目にはコンタクトレンズが装着されていたらしく、慣れた手つきで外していった。


 コンタクトレンズを外す前は、くっきりとした黒目であったが、裸眼の虹彩の色は、日本人のほとんどが持つという茶色よりもごく薄い――金色であった。


 メガネを外したことで輪郭をなくした景色。反対にそれまで半透明に見えていた霊体の姿が実在するものと同じようにはっきりと理恩の目には映っていた。

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