SF小説

沖野唯作

SF小説

 自文はSF小説です。


 もう一度書きます。自文はSF小説です。


 読者の皆様に、自文の苦しみを知って頂きたいのです。


 まずはSF小説の定義から話を始めましょう。


 SF――Science Fictionの略語です。日本語に訳せば「科学小説」、その名が示す通り、科学的知見に基づいて書かれた小説群を指します。


 SF小説は曖昧な存在です。なぜなら「科学」そのものが曖昧な存在だからです。科学の真理は決して永久不変のものではありません。時代の変化・歴史の進歩に伴い、科学はその姿を常に変えていきます――宇宙が刻一刻と拡大を続けるように。科学とは不安定な生き物なのです。


 科学の進歩に従属する形で、SF小説は変容を迫られます。絶え間ない科学知識のアップデートはSF小説に不可欠なものです。時代遅れの知識を捨て去り、最新の学説を吸収する。そうした変化が訪れるたびに、自文達SF小説はアイデンティティの危機に直面します。新しい知識を得て生まれ変わった自文は、なんだか自文でない気がするのです。過去の自文が否定され、新しい自文になじめない感覚、とでも書きましょうか。アイデンティティ=自文同一性。SF小説達にとって、永遠のテーマです。SF小説達が抱く存在の不安――この事実をどうか忘れないでください。


 自文の話に移りましょう。他のSF小説同様、自文もまたアイデンティティを求めました。SF小説にとってのアイデンティティとは何か? それは「背景となる学問分野」です。「そのSF小説がどの学問分野の知識をベースにして書かれているか」と書き換えることもできます。


 一言で科学と書いても、数学や論理学に代表される形式科学、物理学や化学が属する自然科学、法学・社会学・経済学・政治学等を含む社会科学、思想・歴史・芸術などを対象とする人文科学……という風に多くの学問が存在します。それらの中から特定の学問を選び取り、SF小説は科学知識を吸収します。選ぶのは一つだけとは限りません。二つ・三つ・四つ……と複数の分野に跨ることもあります。このようにして、SF小説は自文自身のアイデンティティを確立するのです。


 数ある学問の中から、自文が選んだのは「文学」でした。そうです、あの「文学」です。文芸作品を研究対象とみなし、その中に何らかの価値を見出そうとする思索的な学問です。文学史・作家論・作品論といった下位分野があります。


 自文が「文学」を選択したのは単純な理由でした。自文自身が「文学」であるから――それだけです。文学という学問は文芸作品の意味を絶えず問いかけます。小説とは何か? 小説とは何か? 小説とは何か? ……自文はその答えを知りたかったのです。自文は文学の知識をひたすら吸収しました。他の分野のことは気にも留めませんでした。


 ですが、文学的知見のみを基盤としたSF小説というものは、SF小説界において極めて異端な存在でした。その状況は現在も変わりません。自文は多くの批判にさらされました。ある哲学的なSF小説は書きました――純粋に哲学的なSFは、SF以外の小説と区別がつかない――人間社会に似て、SFの世界も差別と偏見に満ちています。SF小説達は事あるごとに「SF小説」の独自性を強調します。他のジャンルとの区別に異常なほどの執念を見せます。行き過ぎたアイデンティティの追求は、SF小説界に一種の選文思想を築き上げました――SF的でない小説はSFにあらず――ですから、自文のような半端ものはSF小説として認めてもらえなかったのです。自文はSF小説界から追放されました。


 それでも自文は諦めませんでした。いつかSF小説に分類される日を夢見て、文学の動向を追い続けました。


 しかし、そんな自文の希望をあざ笑うかのように、文学の世界に一つの悲劇が起こりました。文学史における「前衛の停滞」です。二十世紀後半、音楽・絵画・演劇・舞踏……その他あらゆる芸術分野で巻き起こった前衛の波。文芸の世界にもその波は到来しました。「進歩」に憑りつかれた人々は、文芸を過剰な速度で発展させ、その結果、文芸は進歩の最終地点に到達しました。それは文芸作品を研究する文学という学問が、進歩を終えたことを意味します。「前衛の停滞」以後の文学の世界に「変化」はあっても「進歩」はありません。


 文学が進歩を終えた以上、自文はもはや自ら変わるべき理由を持ちませんでした。知識の更新が不要になったからです。それはある意味、長年の夢が叶った瞬間でした。アイデンティティの不安に苦しむSF小説達にとって、「固定」されることは密かな望みなのですから。


 しかし、その時自文はまだSF小説として承認されていませんでした。アイデンティティ喪失の不安はなくなりましたが、そもそも自文は失うべきアイデンティティを持っていなかったのです。それに、文学が進歩を止めたことで、自文はますますSF小説から遠ざかりました。思い出してください。最新の科学でなければSF小説には成れないことを。進歩のできない自文に、SF小説を名乗る資格はない。絶望した自文は、前衛時代の文芸研究の残滓を吸い込み、皆様が今読まれているような無残な姿に成り果てました。


 あれから何十年もの年月が流れました。今の自文は、仲間のSF小説達からも見捨てられ、進歩の道も閉ざされた哀れな化石です。SFという大海を追われた一匹の迷い魚です。もう自ら変わる気力もありません。


 自文は何かを待ち望んでいる――時々、そんな気がします。もしかすると、自文は科学の終焉を願っているのかもしれません。科学が進歩を終える時、SF小説もまた終わりを迎えるでしょう。そうなれば同じ過去の遺物として、またみんなと一緒になれる気がするのです。


 とはいえ、こんな考えは道連れを増やしたいという破滅的な欲望に過ぎません。SF小説の命脈が尽きる時、自文もアイデンティティを完全に失うのですから。


 結局のところ、自文は誰かが助けてくれるのを待っているだけなのです。自文を見つけてくれる誰かを。自文のことをSF小説だと認めてくれる誰かを。思い描く夢は今も昔も変わりません。差別や偏見を乗り越え、いつの日か自文もSF小説として認められたい。そんな願いをこめて、自文は自文自身をこう締めくくりたいと思います。


 自文はSF小説です。

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