第30話


 *****


 翌日はよく晴れた日だった。

 ヨーコは、少なくともこちら側には出歩いてきていないらしい。

 伊久が四代目カバレムを見てきたと告げると、

「わ、ずるい。今回はもう花は咲いてた?」

 と、半人半樹の苗床は訊ねた。

「いやまだ。今度はもう無理させられないかもしれないって話だったぞ」

 それは、カバレムの部屋に居るドクの言だ。ドクは昨日一度帰った後、

「植物がどうなってるのか気になってね、来ちゃいました」

 と、また今朝からカバレムの元を訪れてきていた。

「無理させられない? それってそのゾンビマスターさんの話?」

 茶化すカリスタが動く指で示したのは、伊久に俵担ぎをされている死人使いである。それに対して苦笑で返しながら、

「そうだな。この人にももう無理させられないだろうよ」

 と、伊久は頷いた。

 伊久がカバレムの部屋に入った時、死人使いはカバレムの隣で寝ていた。こちらもドクと同じ理由で、ただしドクとは違い、徹夜でカバレムの側に居たのだという。

 きっかり三時間経ってから入ろうとしても止められたのだと憤慨していたヴァネシアから昨夜聞いた話では、今回のカバレムへの意思植えは大変困難を極めたらしい。そのためいつも三時間ととっていた時間もズレ込み夜までかかり、結果、幽ノ藤宮が和館へ戻ることが遅くなったのだ。

「つまり今日のうちにわたしが四代目のカバレムに会えなかったのは、全部死人使いの能力低さのせいよ!」

 と、最終的に彼女は死人使いへ怒りを向けていた。

 実はその影響を被ったのは伊久とすずかもであり、幽ノ藤宮の戻りの遅さから、夜の話の開始も遅くなっていた。幽ノ藤宮が早めに切り上げようとしたのも、すずかが途中で眠くなってしまったのも仕方ない。

「伊久、今度カバレム四代目に花が咲いたとこの写真撮って来てね」

「分かった分かった。他には?」

 いつものように何か必要なものはないかを尋ね、カリスタがいつもの答えを返す。

 伊久は肩の荷物を落とさないようにしながらガラスドームを出た。

 突然耳元で声がしたのは、東屋のあたりでのことだった。

「もうあれに花は咲かないかもしれないよ」

 首を半分捻って窺うと、死人使いは伊久の背中を使い、頬杖をついていた。

「あれってカバレムにか?」

 とりあえず東屋の椅子に死人使いを下ろし、その対面に自分も座る。

 椅子の上で体育座りをした死人使いは、口元を服にうずめて目を逸らしている。

 ――様子がおかしい。

 いや、死人使いの様子はいつも常人とかけ離れているところがあるが、その状態と今の死人使いには大きな差があった。

 それに。

「……アンタ、カバレムのこと『カバレムちゃん』って呼んでなかったか?」

「あれは四代目じゃない! よってかわいいカバレムちゃんじゃない!」

 した質問とは別な返答、それでもその内容に伊久は驚く。

「それって……」

「あれはフィバンテ。って名付けたから……げッ――今度からそれで宜しく!」

 それだけ言い残すと、ぴょいと椅子から飛び降りた死人使いは全速力で庭園を走り去っていった。

「どういう――」

「どういうことよ」

 呆然としていた伊久の呟きに、他人の声が重なった。

 振り向いた先には眉を吊り上げたヴァネシアの姿がある。

「なに今の? どういうことなの? 四代目じゃ、カバレムじゃないって?」

 どうやら、会話の途中まで聞こえていたらしい。

 カバレムのことが大のお気に入りだったヴァネシアは、先ほどの意味不明な言葉に苛立ちを隠せない様子だ。もしかすると死人使いが逃げたのはこちらに近づくヴァネシアが見えたからかもしれないと伊久は思った。

「じゃああれはなんなのよ!」

「フィバンテだって言ってたが……」

「名前なんてどうでもいいわよ!」

 ヴァネシアの腰に鮮やかに咲いた花から蔓が伸び、ぱしりと地面を叩く。

「わたしだって今朝見てきたわよ? おんなじだったじゃない、ちょっと曲がった右の触覚も、一本だけ取れちゃった真ん中の左足も、見た目はそのままカバレムだったじゃない! なのに、何?! 何が違うの? あれはカバレムじゃないの?」

「中身じゃないか」

 ふいっと。東屋の横を通り過ぎながら、馨が言った。

「お前……半死人が自分から太陽の下に出るなんて珍しいな……」

「やかましいわウドの大木が。私はジルさんに用がある」

 そのまま通り過ぎようとした馨の襟首をヴァネシアの蔓が捕まえた。

「ぐっ」

「ちょっと! 何なのよさっきの、中身って何?」

 この激高しているヴァネシアを宥めてからじゃなきゃここを通ることは出来ないだろうよ。立ち上がりながらの伊久のアイコンタクトは、正しく馨に伝わったようだった。

「……外見が前と変わらないのなら、中身が違うということではないか」

「何それ、どういうことよ!」

「今までのカバレムに植わっていた意思と、今度の個体に植わっている意思は別物である。だから同じではない。そういうことではないのか? 私は死人使いの使う術とやらの方法をよく知らぬから、全部たわごとだがな」

 あとは次の機会に本人にでも訊け、と、馨は襟から蔓を外した。

 ヴァネシアは、あぁもう、と叫ぶと、ガラスドームへと走っていく。

「四代目に会わせるって言ったじゃない、死人使いのバカッ!」

 おそらく、もう一度カバレム――いやフィバンテを見に行くのだろう。

「それでお前は、あぁ、ジルさんとこに行くんだったな」

 残された伊久は馨に目線を動かし、相手の目線もこちらに向いていたことに驚く。

「ついでに尋ねるが」

「な、なんだよ」

「お前も結局、まったく同じじゃないと許せないのか?」

 和館では、望むと望まないに関わらず通ってしまう声、聞こえてくる声がある。それは、いくら扉を隔てていても同じだった。

 自分をじっと見上げてくる双眸に、

「……夜更かしもほどほどにしておけよ」

 と忠告をしてから、伊久は意地を張って答えた。

、俺は別に気にしない。フィバンテになろうとフィフィバントになろうと、今後とも同じように接していくだけだ。無理はさせないようにって忠告は聞くが、今までと同じ苗床として尊敬を持って扱っていく」

 そうか、とだけ呟いた馨は、さっさと足を踏み出そうとする。

 その肩を持って引き留めて、なぁ、と伊久は眉を寄せた。

「――シンも、主様も、お前も。一体何が言いたいんだ?」

「では逆に訊くが、何故気付けない? お前が恐れているものは何だ? シャグナの王子が来た時と何が違う? ……あの時と違うものがあると私には思えないがな」

 であればお前が恐れているものは何だ、と、馨は繰り返した。

「分っかんねぇ。馨、俺はお前が言ってることの意味が分からねぇよ」

「お前が言葉をそのまま受け入れる相手はただ一人だからな。だから私は忙しいのだ」

 また忙しい、か。

「お前の作業の忙しさと俺の理解度の低さは関係してるのか」

「関係していると言えば関係している。そしてもう一つついでに言えば」

 今、幽ノ藤宮様が恐れているものは恐らくお前だ、と、馨はそれだけ言って立ち去った。


 *


 ああああああああああああ。

 分からん分からん分からん分からんつーかむしろわざとややこしい言い方をしてんじゃねぇのかあの半死人の野郎はああああああああああああ。

 伊久は自分の中の気持ちをぶつけるように布団を叩いて干していた。

 なんで俺が主様から恐れられなくてはならない。

 弟子を解任したのだから出て行けと放り出される恐れを自分が持つことがあったとしても、その逆がなぜ考えられる。

 少し疲れた腕を組んで考えてみても、まったく分からなかった。

「くそっ……廊下掃除でもすっか」

 最後の布団を干し終わり、元に戻し、伊久は次にバケツを準備しようとした。

 箒だけでの掃き掃除ではなく本格的に廊下の雑巾がけをするのは四ヶ月ぶりで、

(その時は俺じゃなくてシャグナのデューイさんが――)

 と、そこまで考えて、伊久は洋館の方を向いた。

 突然、馨が言っていたことを思い出したのだ。

『シャグナの王子が来ていた時と何が違う?』

 彼らは。

 苗床と同じ場所で同じ食事をし。

 自分達に交じって仕事をしてくれ。

 同じ建物内で眠りまでした。

(デューイさんに至っては、最終日の夜、俺の居ない和館に……主様やすずかや馨が居る場所で一夜を過ごしている……)

 ――そしてそれを、自分は咎めず、許していた。

(そりゃちゃんと見回りをしていたとはいえ、その時間外に何も起こらないとは限らない。同じ館内に居れば、いくらでも何でも出来るチャンスはある……)

 他人なのに。外の者なのに。

 信頼の絆が生まれる程接した相手でもないのに。

「なんでだ」


「なんで俺の事で俺に分からないことがお前に分かんだよ?」

 洋館に走り込んできた伊久は、ジルの隣に座っていた馨の肩を掴んだ。

「……衝動的に行動を起こすのは会った時から変わらないな」

 大きな溜息を吐くと、馨はジルに頭を下げてから広げていた古いノートを閉じた。

「すみません、ジルさん。お聞きしたいことは以上ですので」

 ありがとうございました、と再び頭を下げた馨に、

「いやなに、軽い手伝いしかしておらんよ。ちょうど伊久君からお話があるようだから、お茶を飲んでいくと良い」

「……私は正直、今のこいつと話をしたくないのですが」

 うんざりしたような顔で自分を見上げる馨に、伊久は少しだけ傷ついた。

「まぁそう言わず。僕の新しいお茶が和系人の馨君にも美味しいと言ってもらえるか試させてくれないか」

「ジルさんへの御礼としてなら、……分かりました」

 不承不承も諦めきったらしい馨に、ジルはお茶を淹れてくるといって隣から席を立った。

 伊久はテーブルを回り、馨の対面に座る。

 馨の表情は明らかに手短に済ませろと語っていた。しかし、いざ話そうとすると伊久の口から言葉が出てこない。

「あの、お前さっき言っただろ、デューイさんと」

「デューイとは誰だ」

「あぁ、シャグナの。王子様の付き人さんだ。居ただろ、短髪でこう……少し目つきが怖い感じの……」

「それで、それがなんだと?」

 あのな、と、伊久は言った。

「分からねぇんだ。なんで俺はあの時のデューイさんを許せたのか。そして、新たに雇おうとする外の人は許せずに居たのか」

 今回のレヴィンやマティスさんの話は受けようと思うが、と言い募る伊久に、

「だからそれは、お前がお前と同じじゃないと許してこなかったからだろう」

 と、馨はきつい口調で言い切った。

「お前は、お前のように苗床を尊敬し大事にしなくてはならない存在なのだという態度がよく見られた者、お前がその姿を認めた者にしか、苗床の面倒を見ることを許していないのだ」

 ――あぁ、と、伊久は思った。

 まったくその通りだ。

 確かにそれは、自分の中で当たり前すぎる大前提だった。そしてそれ故に、言葉にしてみることなど考えもしていなかった。

 そしてまた、と、馨は続ける。

「苗床に対してもそのような者の監視下から離れることを許そうとはしない」

 であれば、主や馨の言葉に『苗床や自分は此処に居なければならない』と、何かを考える前に言い切ってしまったのもそれが理由か。

 ようやく得た答えに何とも言えずにいると、馨はもう一度口を開いた。

「この世界に何人の人間が暮らしていると思う。それぞれの考え方も、在り様も違って当然だ。それでも苗床私たちはお前の偏ったふるいを抜けられた者としか交流をしてはならないのか? そんな狭い世界でしか生きてはならないのか?」

 馨の双眸は真っ直ぐに伊久を射抜いている。それを正面から受け止めるのはとても苦しかったが、伊久は逃げなかった。拳を握り締めて耐えた。

 そんな様子を見て、馨は息を吐く。

「お前の過去は知らぬ。だが、恵まれなかった面があるのではないか。そのため、ようやく自分のものと思えた大事なものを不必要に守りたがる傾向、奪われるのを恐れすぎる傾向があるのだろう。そのために行われるものが区別のうちはいいがな」

 そこで一度区切り、

「――行き過ぎた区別はまた差別を生むぞ」

 と、馨は静かにそう言った。

「だから幽ノ藤宮様が恐れているのはお前だと言ったんだ」

「あぁ……あれだけ俺が嫌ってたはずの差別もんを、俺が『逆差別』として自分の中で創り上げていってたからか……」

 項垂れる伊久に対し、馨は素っ気なく付け加える。

「……ただでさえも創りだされたものに、新たな差別を重ねるな」

 創りだされた、というのは奇病による差別のことだろう。自分がなりたくてなった訳では無い苗床病。しかし、それによって生まれた差別。

 伊久は馨の胸中を思い図り、悪い、と謝った。

 それを聞いた馨は何かを言いかけ、やはり口を閉じて顔を背けた。


「さて、お茶が入った」

 タイミングよく、ともすれば図ったのではという時に、ジルがお茶のセットと洋菓子を乗せた台車を転がしてきた。

 各自のカップに香り良いハーブティーを注ぎながらジルは馨のノートに目をやる。

「ところで馨君」

「なんですか」

「先ほど尋ねられたのは単語一つ、二つだったが……」

 伊久には、馨の肩が少しばかり反応したように見えた。

 しかし馨は何でもないような顔をして、えぇ助かりました、と応えている。

「サルバサエクの古来文字は、形が面白くとも読み下すのに難解で、あまり覚えられていませんでしたので」

「それでも充分だと思うがね。ところでそれは」

 カップを配り終えたジルは再び馨の隣席に着いた。

「【狂う】に【感染】……随分と不穏な単語だったようだったが」

「あれがそういう意味と知っていたならばジルさんには訊ねませんでした。気分を害されたのでしたら、申し訳ありません」

「いや。それについては構わないよ。それよりもう一点」

 ジルは、とんとんとノートの表紙を指で叩いた。

「そのノートの所有者は、いつの間に君になっていたのかね?」

 一瞬だけ、二人の間にピリッとした空気が走った。

 伊久はそれを不思議に思う。

 この二人が顔を合わせることはそう多くない。それでも、顔を合わせれば和やかに談笑をする。そんな二人が、一度だって意見を反り合わせた場面は無かった。

 馨は、表面的には何の変化も見せなかった。ただ、

「所有者に閲覧の許可はいただいています、ご心配なく」

 と、ノートを懐へとしまった。

 そうか、と頷き、馨君、とジルは改めて和装の青年の名を呼んだ。

「君が何かを暴こうとし、何かを知り、それをどうしたとしても――」

「…………」

「僕は今の状態を選び続けるよ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る