第22話


 *****


 楽しかった家族旅行から帰り、しばらくしてから。

 突然自分の脇腹に浮き出ていた模様に、十一歳の頃のヴァネシアは絶叫した。

 それはまるで、小さな虫のように見えたのだ。

 それが植物の根だと分かり、黒い植物が突き破って出てくることで実質的に発症したヴァネシアは、以来、自分の部屋に籠りきりになった。

 お父様もお母様も自分のために色々と研究してくれている。

 ――だから治る。きっと治る。

 ――すぐにこの部屋から出て生活するようになるんだから。

 ――そうすればまた制服を着て、お友達と一緒に学校にも行けるわ。

 その願いにも似た思いは、一ヶ月、二ヶ月もすれば薄れてしまった。

 そして逆に、自分の部屋での籠りきり生活を送ることに慣れてしまった。

 治らないことを恨んではいけない。

 旅行を提案したお父様を恨んではいけない。

 その旅行先を選んだお母様も恨んではいけない。

 わたしがこうなってからひそひそと噂をする召使たちも恨んではいけない。

 そして……誰にも迷惑をかけてはいけない。

 以前は自分の部屋に小さな虫が出れば大きな声で誰かを呼んでいたものだが、籠りきり生活になってからは始めから最後まで自分で窓の外へ逃がすことが出来るようになっていた。植物から激痛が与えられた時でも、他の部屋にまで聞こえないように枕に顔を伏せて声を荒げるのを我慢するのが常になっていた。

 だから、――……


 *


「だから、痛みに耐えるのも害虫駆除も、得意だった筈なんだけど」

 悔しそうに呟いて、ヴァネシアは横に倒れていた身体を仰向けに直した。

 先ほどの衝撃は恐らくスタンガンだろう。安上がりのものが出回ってヤンチャな若者にウケているようだと、以前テクナ・マシナの警備会社の青年から聞いている。

(薄汚い倉庫……でも、さっきの場所からそう離れてはないわね)

 身体を起こしてみれば、縛られているのは手首と足首だけだということと、

「結局あんたも捕まってんじゃない……」

 ミナも隣に並んで倒れていたことが分かった。

 ヴァネシアは『それ』を使ってまだ目覚めないミナと自分のロープをほどくと、少し痛む足で倉庫の中を一周してみた。

 重そうなシャッターは開きそうもない。横に着いた扉はひとつ。

 そして。

「なんであんたが此処に居るのよ」

 思わずそう言ってしまった相手、先ほど思い返したばかりの相手、警備会社の青年レヴィンが、四辺をロウ付けされた窓の外から手を振っていた。

 ぱくぱくと口で何かを伝えようとしているようだが、分からない。

 とりあえず窓から離れてみると、それで良いというように頷かれた。

 そして、

 ―――ピリッ、パキパキパキパキパキ

 どのような手段でかは分からないが、刺叉を使い最小限の音で窓の一つが割られた。擦り傷が出来るのも構わずその窓から侵入してくると、驚いた、とレヴィンは笑う。

「例の暗殺女が居たって通信が流れたから急いで来てみたら、気絶したヴァネシアちゃんたちが運ばれていく最中なんだからさ」

「なんでそこで助けなかったのよ、薄情者」

「いやだって相手三人だし。やり過ぎじゃない程度に暴れるのは難しいなと思って」

 そう言って頭をかくレヴィンには、自分がやられる方の想定はまったくないようだった。

「それで、なんだってヴァネシアちゃんがわざわざ庭園出てんの? いつもは大好きな庭園で優雅に過ごしてなかなか出てこないのに」

 レヴィンにカバレムやルポライターの話をするつもりはなかったヴァネシアは、

「別に。ただの気分よ。下界の空気でも吸うつもりで出たら、そこの女学生に捕まって連れまわされてたの」

 と嘘で答えた。ちくりと良心が痛んだことはミナから目線を逸らすことで無視をする。

「ふーん。で、逃げないの? ヴァネシアちゃんならいつもの『それ』で――」

「逃げる? 誰が? やり返さなきゃ気が済まないわ」

 死人使いの警告を無視してカバレムのことをバラそうとした最低なルポライターにも、自分や女学生を誘拐なんてバカなことをしようとした男達にも。

「俺も手ぇ貸そうか。会社としてじゃなくて友達としてだから、タダにするよ」

「手出しも友達も要らないわ。でも、良識ある者として手助けしなくちゃ気が済まないってんなら……そこの子、ドクのところに預けに行きなさい」

 加えて、その時は窓から出るんじゃないわよ、とヴァネシアはレヴィンをねめつけた。

「なんで」

「その子の腕やら足やらに傷がつくでしょ」

 ふぅん、とレヴィンは意味ありげな相槌を打った。それに対し、何なのよ、と突っかかれど、レヴィンは特に何も返してはくれなかった。

 と、扉の向こうから足音と声が近づいてくる。それが二つであることからすると、ルポライターは逃がしたか。ヴァネシアにしては珍しく舌打ちが出た。

 ――扉が開かれた瞬間、

「じゃあお先ッ! 健闘祈るよヴァネシアちゃん!」

 扉のすぐ横に張り付いていたレヴィンが、瞬時に刺叉で一人目を倉庫内へ押し入れるようにして倒す。二人目も同じようにして、レヴィンは倉庫を出て行った。もちろん、その背にはミナを背負って。

「な、誰だ?」

「っつーか、お嬢ちゃん達は縛ってたはずじゃ」

 立ち上がった二人がヴァネシアに気付き、混乱したような表情を見せる。

 ヴァネシアは若者二人の言葉を聞くことなく、

「よくもこのわたしをこんな目に合わせてくれたわね。おかげであの覗き見男も取り逃がしたし……どうしてくれるのかしら?」

 と、自分の言いたいことをズケズケと告げる。

 ヴァネシアが怒っているということだけは分かった二人は、落ち着けってなぁお嬢ちゃん、と作り笑顔を浮かべた。

「確かにあのオッサンはこれ以上この街に関わるのはゴメンだって言って隣の都市に逃げちまったが、あんなイカレ野郎どうでもいいだろ? 幽ノ藤宮さんのこと、化け物を創りだすマッドサイエンティストだなんて言うような――」

「その口を閉じなさい」

 ヴァネシアは冷たく言い放った。

「貴方自身が言ったものでなくとも、藤宮様を悪く言う言葉は聞きたくないわ」

「あー、だから、むしろあのオッサンが居なくなって良かっただろ?」

「それとこれとは話が別よ」

 ずるり、と、『それ』は動き出した。

「貴方たちのせいであの男を取り逃がしたってさっき言ったわよね。その分の罰と八つ当たりを貴方たちには受けてもらうわ」

 ヴァネシアの『それ』は、腰に巻きついているバラの蔓だった。


 ヴァネシアは庭園の苗床の中で唯一、感情によって自分に生えた植物を操作することが出来るのだ。


「あ、あのオッサンが言ってたのはこのことかよ……」

 凶悪なトゲを大量に持つ蔓をゆらりと揺らす姿は、ヴァネシアのその正体をが苗床だと知らなければただただ恐ろしいものである。特に今のヴァネシアには開花させている花が無いため、その植物は純粋に武器として存在しているようなものだった。

「さっきから聞いてりゃこいつも藤宮様藤宮様って……偉人フリークじゃねぇか!」

「こんなの増やそうとしてるなんて確かにマッドサイエンティストだ!」

 なにがネッサリアの誇りだよ、と若者は叫ぶ。

「生物兵器にも成りえるだろ。幽ノ藤宮ってのはオッサン以上にイカレてんな!」

 ルポライターが見てしまったのは、今の姿のヴァネシアではなくカバレムだ。

 だから若者たちの発言はまるきり外れていたのだが、幽ノ藤宮をという点では同じであることからして、彼女にはまるで関係なかった。

 だから罰を受けさせることにもまるで躊躇いは無かったし――

「黙りなさいこの害虫が」

 そうするべきであるとしか思えなかった。


「ヘウラからは――」

 隣の建物の窓から、女暗殺者が頬杖をついて呟く。

「もしヴァネシアちゃんがルポライターを追いかけて来て危ない目に合いそうだったら助けてあげろって話だったけど」

 視線の先では、二人の若者らが必死になって鋭利なトゲを持つ蔓から逃げている。

「この分じゃあまったくなんの心配もなさそうね。……それよりも」

 それまで真顔だった女暗殺者は一度目を伏せ、次に顔を上げた時には、

「隣の都市、ねぇ」

 口元の笑みを隠さなかった。


 *****


 ヴァネシアが庭園に戻って来たのは午後のお茶時で、洋館の客間にはジルだけでなくレヴィンの姿もあった。

「任された女の子は大丈夫だったみたいだよ。俺は心配もしてなかったけど、ヴァネシアちゃんの方も無事だったみたいだな」

 ごくごくとハーブティーを飲みながら言うレヴィンに、当り前じゃない、と返す。

「おかえりヴァネシア嬢。お茶を淹れるから着替えてくると良い」

「そうするわ。ジル、少し疲れたから今日は甘めのにしてくれる?」

「了解した。それじゃあこの間気に入ってもらったものにしよう、いいかね」

 もちろんよ、と頷いて、ヴァネシアは自分の部屋へと上がっていった。

 しばらくして、

「な、無事だったろ?」

 と、レヴィンがテーブルクロスの下を覗く。

 そこにしゃがみ込んでいたのはミナだった。

 彼女はレヴィンに運ばれる最中に気絶から目覚め、

「私のことはいいからヴァネシアさんを助けに戻って!」

 と涙ながらにレヴィンに頼み込んだのだ。

「いやでもここで戻ったら俺絶対ヴァネシアちゃんに怒られるし。じゃ、ヴァネシアちゃんがちゃんと無事に戻って来るか庭園で待ってりゃいいじゃん。お茶時までに戻らなかったらそん時には改めて出動するからさ」

 そう言ったレヴィンは、あの場を離れた後、ミナを連れて庭園の洋館に来ていたのである。

「良かったです……。ありがとうございました」

 ミナはそう言うとテーブルの下から這い出し、

「あのっ、またお小遣いで入園料払ってくるので、その時にはまたお話させてくださいね」

 失礼します、と、頭を下げて客間を出て行こうとした。

「ヴァネシア嬢とは会っていかないのかね?」

「えぇ、沢山ご迷惑をおかけしてしまいましたから、きっと嫌われてしまいました。……いいえ、それは当たり前のことなので仕方ないんですけど」

 ミナはそこで区切り、

「これ以上私の顔を見て嫌な気分を感じていただきたくはないので……」

「それならもう遅いわ」

 出て行こうとした客間の入り口に腕を組んだヴァネシアを認めて硬直した。

「ごっ、ごめんなさい! いろいろと、申し訳ありませんでした!」

「今までのことはいいのよ、その都度文句言ったんだから」

 こつこつと近づいてくるヴァネシアに、ミナは気付く。

 ヴァネシアは着替えをしに行ったのではなかったか? 服はそのままだし、どうして鏡やブラシを持って……。

「それより、貴女その格好でこの庭園から出て行くつもり? 埃っぽさくらい落として行きなさいよ。庭園はそんなに汚いとこなのかなんてあらぬ誤解を受けたくないの。ついでにジルが二度三度出しでも濃いめになるフレーバーティーを提案してくるあたり、既に貴女の分の紅茶も準備する気になってくれてるわ。その厚意を無駄にしないで頂戴」

 早口でそう言い、ぐいと手元のものを押し付けると、ヴァネシアはまた客間を出て、今度こそ本当に着替えに行った。

「……あ、の……?」

 面くらっているミナに、

「直訳してあげようか」

 と、レヴィンが笑う。ミナがこくこくと頷くと、

「『汚れちゃってるところを落として、ジルさんのお茶で落ち着いてから帰りなさい』だってさ。大丈夫、キミは全然嫌われてないよ」

 根は優しいんだからヴァネシアちゃん、とレヴィンはハーブティーを飲みほした。

「というか、その、私が隠れてたのバレちゃってたってことですか?」

「そりゃクロスの下から制服のスカート出てたしね」

「……言ってくださいよぅ」

 その後。小心者かと思いきや、意外にも大胆で豪胆だったミナが、

「ヴァネシアさん、わ、私とお友達になってください!」

 と両手を差し出して頼み込み、危うくヴァネシアがフレーバーティーを吹き出しそうになったことだけはお伝えしておくべきか。


 *****


 恐ろしいものだらけのネッサリアから逃げて、すぐ隣のトリバビリークという大きな都市に来たことで安心していたのだ。

「どこにでも現れる女暗殺者です、ドーモ」

「ついでに死人使い……あぁ死物……もういいや死人使いでーす」

 自分がチェックインしたホテルの一室で待ち構えていた二人に、ルポライターの男は、もはや何も言えなかった。

「つーか残念だけど、ワシの根城っていろいろあってー」

 今はこの街こそが本拠地なんだよねぇ、と、死人使いは笑った。

「だからやっぱり私の出番だったんじゃない」

 ベッドに乗り上げてばたばたと泳ぐように遊んでいる死人使いは、

「ほら、『死人に口無し』って」

 という、スーツ姿の女に呆れ顔を見せる。

「カーティーさーん。暗殺者だからって物騒な発言……」

 が、

「は、もういいかー」

 と、すぐにその表情をどうでも良さそうなものへと変えた。

 そんな、と、ルポライターは見捨てられたような気になった。死人使いはそもそも自分の味方でも何でもないのは分かっているが、まだ話が通る方だと信じていた。

(もういいかって、もういいって、何が、何を)

 ひらひらと通常の倍の長さはある袖を振りつつ、死人使いが興味を失ったように言う。

「よくよく考えたらねぇ、あの秘密をバラされて困るのワシだったんだわ。かわいいかわいいカバレムちゃんがお外に知られるのは勿体ないからねぇ」

 だからオニーサン、

「サヨナラ」「さよーならぁ~」

 二人分の声が聞こえたのを最期にルポライターの男は――


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