第17話

 *


 ガラスドームを出たところで、自分の荷物を持ったデューイが立っていた。

 真っ直ぐと目線を逸らすことなくジラルドを見つめるその表情には、穏やかさと、そして少しの不安が乗っていた。

「オレは、貴方のことを『殿下』と呼び続けてもいいんでしょうか?」

「当然だろう。僕は、」

 ――ジラルド=サン=シャグナツィア、シャグナ王国の未来の王だ。

 言い切ったジラルドは歩き出し、デューイの前を通り過ぎる。

「帰るぞデューイ。……心配をかけたな」

 簡潔な、しかし心の込められた言葉を聞いて、

「それが付き人の勤めの一つですから」

 主の後に続いたデューイは、その手から荷物を引き取った。


 *


「挨拶は済ませたのか?」

「えぇ、殿下をお待ちしている間に、全員に。殿下の方もお済みで?」

 咲き乱れる花々の合間の小道を進みつつ、二人は話す。

「洋館を出る時に、ジルとヴァネシアには別れを告げてきた」

「あぁ……御陰で開口一番に、捨てていかれたのかって言われましたよ。殿下に渡せられなかったティーパックも受け取りました」

 誰がどちらとデューイが言わなくとも、誰がどちらかジラルドにも分かった。

「では、和館に向かいますか?」

 デューイの確認に、そうだなとジラルドも頷く。

「まず幽ノ藤宮に――」

 と、聞き覚えのあるわらべ歌に、ジラルドは言葉を止めた。

 二人がしばらく黙ったまま道を進むと、石畳の道が見えてきた。その中央、ジラルド達が滞在していた部屋から眺めることの出来た東屋に、大人と子供が座っている。

 声を合わせて歌っているのは、幽ノ藤宮とすずかだった。

「ご出発ですか?」

 程よく近づいた頃、幽ノ藤宮が歌を止め、二人に問いかけた。

 ああ、とジラルドが頷く。

「世話になった。深く、感謝をしている」

 カリスタのことを、ジラルドが何も言わなくても幽ノ藤宮は分かっているようだった。

「馨と伊久にも、そう伝えてもらえるだろうか。和館に寄ろうと思っていたのだが、やはり、このまま行こうと思う」

 承知いたしましたと笑い、幽ノ藤宮は立ち上がった。

「ジラルド様、デューイ様。宜しければまたおいでください。わたくしも苗床たちも、いつでも、いつまでもお待ちしております」

 そうして、都市の誇りである偉人は深々と頭を下げた。

 ぴょんと飛び跳ねるようにして、すずかがその隣に立つ。ジラルドの顔を懸命に見上げて、にっこりと笑った。

「すずかは、とってもたのしかったです。お客さん、いつもすぐ帰っちゃうけど、ジラルドさまたちは、ながいこと居てくれました。いっぱいおはなしができて、すごくうれしかったです」

 そこまで言って寂しくなったのか、すずかはぐすりと鼻の奥を鳴らす。

 しかし片手の袖でぐいと目元を拭うと、反対の懐から何かを取り出した。

 それは萌黄色の香袋だった。

「すずかのお花の、においぶくろです。デューイさまにもあげたです。ジラルドさまにもあげます。においは、すぐ消えちゃうけど……」

 自信無さげに眉を下げるすずかに、ジラルドは香袋を手にとる。

「ありがとう。大事にする。素晴らしい贈り物だ」

「かちがある、ですか?」

 ああ、と強く頷くと、すずかはひとつ、涙をぽろんと落としながら嬉しそうに笑った。


 *****


「オレがもらったのはこれです」

 デューイがポケットから取り出した香袋は乳白色だった。

 帰りの船は、行きの船と同じものだった。その甲板に立って、二人は潮風を浴びている。数日前と同じ体勢で海面の揺れを感じつつ、ジラルドは隣に立つデューイに訊ねた。

「そう言えばデューイ、昨日の午後は何処にいた。というか、何処で寝たんだ?」

 僕が気付かない間に戻って、僕が気付かない間に出て行った訳じゃないだろう。

 ジラルドの声色に心配が含まれていることに良心の痛みを感じつつ、いや実は、とデューイはバツが悪そうに答えた。

「オレからは何もって言っときながら、殿下と同じ部屋に居ると何も言わずにはいられそうになくて。伊久さんのとこに行って、何か作業が無いか訊いたんです。他にやることがあった方が気が紛れるかと思って」

「それで、昼からは伊久の手伝いを?」

「手伝いというか……伊久さんのかかってる顧客との手続きとかの作業は流石に出来ませんので、和館の掃除をしてました。出来るだけ丁寧にやってたら結構時間が経ってしまって、結局、晩飯と寝床もそっちで準備してもらったんですよ」

「そうか。それならいいんだ」

 ジラルドの安心したような顔に、デューイは何故か気恥しくなった。

 それを誤魔化すように笑い、海へと視線をやる。

「それで今回の発見ですが、オレはなかなか雑巾がけの筋が良いみたいですよ。殿下の付き人がお役御免になってしまったなら、掃除夫にでもなろうかと思いました」

 一度だけデューイの方を見てから、ジラルドも海へと目線を向けた。

「……お前が何故僕の付き人に選ばれたか、知っているか?」

 ジラルドは以前、その理由を父に訊ねたことがある。

 護衛としての腕はあるが、誰よりもという訳ではない。仕事の出来る者ではあるが、飛び抜けて有能という程でもない。

「人相はまぁ、軽度の威嚇くらいには使えるだろうが」

「殿下は、オレでは不服だったんですか……」

 王からの直々の命を受けて張り切っていた頃を思い出し、デューイは落胆する。

「不服ではないが、疑問だったんだ」

 何故そのデューイが買われたのか。

「――父は、デューイの強みを判断力だと言った」

 その答えも、その時のジラルドは納得してはいなかった。シャグナに居る時には、気付くことが出来なかったのだ。

「だが、今回でよく分かった」

 遠ざかったネッサリアの方を見つめながら、ジラルドは言う。

「昨日今日の僕は、お前の言葉に素直にうなずけなかった。その言葉がどれだけ正しい言葉だと分かっていてもだ。……あんな風に、カリスタ本人から彼女が秘めてきた心のうちを言われでもしないと、僕は肯けなかった」

 だから、と、視線はデューイへと移された。

「それを見抜いたから、お前は夜のうちにカリスタに話をしたのだろう?」

「なん、」

 なんの話ですか、と、言いかけたのだろうデューイは、ジラルドの浮かべる表情に、口に出す言葉を言い換えた。

「……何故お解りになったんですか?」

 ジラルドは身体を反転させ、欄干に背を預けた。

「靴だ」

「へ、靴?」

「昨日デューイはガラスドームへ行っていないはずなのに、クリスタリアの根元にはお前の靴の跡があった」

 しかしそれは、とデューイは眉を寄せる。

「以前のものだとは考えられませんか?」

「昨日はヴァネシアと友人がずっとカリスタと居たのだろう? それなのに、その跡よりもお前のものの方が上にあるのは、どう考えても不自然だ」

 しばらく無反応だったデューイは、やがて息を吐いた。

「どこでそんな知恵を……」

「国の裁判例を読んだ時に、同じようなパターンで、犯人の証拠として足跡が使われている例があってな」

「オレは犯人ですか……」

 今度吐かれた息は明らかに溜息だったが、

「違う。僕の付き人だ。そうだろう?」

「……そうですよ。それ以外有り得ません」

 すぐに上がった口角は、彼がへこんでなどいないことを表していた。

「帰ったら、報告のためのまとめをしなければならないな」

 旅に出る前に父と母に申し渡されたことを思い出し、ジラルドはこの数日間を振り返る。

 もの、体験、考え方、気持ち。たくさんの初めてに出会った旅だった。

 旅の始めに自分の望んでいた『自由』を知れたかどうかは、正直なところ、分からない。だけど、この旅で自分は何も学ばなかったとは、思わない。

 この旅で取り入れたものを国に持ち帰り、自分の社会と照らし合わせながら咀嚼をしていき、いつか、愛するシャグナ王国のために使えればいい。ジラルドは、そう思った。

 ――と、そこで。

 旅であった数々のことを思い返していたジラルドは、重大なことに気が付いた。

「デューイ!!」

「はいッ?! なんですか急に」

「僕は……この旅で、初めてお前と『喧嘩』をしたぞ。お前と、というより、喧嘩自体が初めてだ。あれを喧嘩というのだろう?」

 今まで、誰かに刃向かうことなんて……考えたことも無かったからな。

 そんな風に言うジラルドの中では今更ながらに感動が生まれ始めているらしく、その瞳は次第にきらきらと輝きを増していく。

 そんな子供のような王子を見つめ、

「…………」

 ギリギリまで我慢した笑いを遂にぶはっと噴き出して、有能な付き人である彼はこう言った。

「まぁ、そういう時期だったんでしょうよ。『思春期』っていうのは、大体が『反抗期』とおんなじ頃に訪れるもんです」

 海面は、日差しを受けて照り返す。

 二人を運ぶ船は、観光都市との距離を緩やかにだが確実に広げてゆき――そして彼らの故郷への距離を、同じように縮めてゆく。


 旅の終わりは、まだもう少しだけ先だ。


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