2-8 紅炎

 クレイドルシステムの実装手術は数時間で終了する。第一世代も第二世代以降も同様、内容は頸椎からコンピュータとの接続部をとなる皮膚の外側まで新しい神経をインプラントするというものだ。


 馴染むまでの数日は術後の違和感を訴える者もいるが余程のことがない限り拒否反応もなく実装できる。外見にもほぼ変化はないが、第一世代クレイドルの実装者や第二世代以降でも長時間接続を行った者はその神経が発達し、首周りに痣のようなものができる。


 今回の対象者であるリコは厳密には人間ではないが、概ね問題なく手術は終了した。


 2日の経過観察の後、クレイドルの負荷試験を開始する。


 負荷試験といっても内容は単純で、一般的なコンピュータと接続し脳領域の拡張にどこまで適応できるかを見る。


 責任者はクレイドルシステム研究開発を専門とする小糸こいと 有須あるす。他数名の部下がリコの体に出力を抑えたクレイドルシステムの接続用端子を装着する。


 ノルンはその部屋の外で、モニターに映る彼らを観測していた。







 同時刻、八洲軍基地司令と納戸のと てる中尉は天螺あまつみ弐型にがたを米国に引き渡すため彼らの輸送機に同乗していた。


 八洲軍の洋上基地から飛行禁止区域である旧軌道エレベーター周辺に近づかないよう迂回し、目的地となる研究所までおよそ7時間のフライトを予定していた。


 フライト中、司令と照は米軍のエージェントからの質問、もとい尋問を受けていた。


 この機体のスペック、出自、パイロット、本当に軌道エレベーター内部へと侵入したのか、通常の機体と異なる点は何か――そういった当然の疑問を先に提出した報告書の内容通りに返していく。当然、リザのことと、天螺が持ち帰った存在については隠した。


「普通のセヴンスが装甲が融解するまで加速できるものですか」


「リミッター解除、所謂Vmax機能を使用すれば数秒であれば可能です」


「ではこの焼ききれたコクピットはどう説明する」


「多少破損しようとセヴンスは動きます」


「パイロットなしで基地まで帰ってきたというのは」


「オートパイロットでした。パイロットは行方不明。戦闘中のログは提出した通り解析不可能な領域にあるようで……」


「嘘くさいな。いいですか。今やベイカントの技術は世界を変えるものという認識です。無限に生まれる無機物であるベイカントの生産過程の秘密を解明すれば世界の物質というものへの認識は大きく変化する。無から有さえ生み出せるかもしれないとさえ言われている。資源枯渇に直面している我々にとっての希望かもしれない」


「……同時に、新たな戦争の火種かもしれない」


 司令が口を開く。


「だからこそ我々米国が、大国が理性的に管理しなければならない。あなた方のような便宜上でしか存在しない小国が守れるものではない」


「三度目を引き起こしておいてよく言える」


「……それでも、だからこそ、です。ベイカントという共通の敵があったからこそ大きな争いを避ける言い訳ができた。今やそれはなく、新たな火種に変わりつつある」


「……わかっている。だが八洲軍がこの機体についてわかっていることはこれが全てだ。本当にブラックボックスなんだ」


 窓から旧軌道エレベーターが見える。何度も繰り返し再生されるテープのように時間が歪み、崩壊と修復を繰り返すもの。


 その中に、陽光を受け輝く紅いものを輸送機の副操縦士が捉えた。


 ベイカントの編隊。4体。それに対し誰も過剰に反応することはなかった。今や世界中の空を孤独に飛び続ける無害化した彼らに対する認識は三年の時を経て大きく変わっていた。


 だが。


「ベイカントが何かを射出した。あれは……」


 ロックオン警報が鳴る。ベイカント自体は独自のセンサーを使用していると考えられているが、彼らの使用するミサイルは人類のものと機構が似通っているため通常のMAWS《ミサイル警報装置》でも同様にアラートが反応する。


 ミサイル。三年ぶりの、ベイカントの人類に対する敵対行動だった。







 八洲軍基地内。ノルンは静かに、リコのクレイドルシステム接続試験を見守っていた。結局、天螺を見送ることはしなかった。寧ろ肩の荷が降りたような気すらしていた。


 照はそれでもいい、と言っていた。けれどそれは、未宙という人を好きであることを諦めることだと、ノルンは思う。かっこよくて、脆くて、優しくて、ちぐはぐで、自分の愛を最後まで貫こうとした人。そのついでで世界を救ってしまった人。嘘のように純粋な人だった。その相手も、また同じ純粋な人だった。


 私はまだ、あの人を好きなのか? 


 ノルンの思考はまとまらず、ただ、巡るのみ。







 クレイドルシステムの接続試験は第二段階をクリア。脳領域の拡張においては第一世代並みの出力でも問題ないことが判明。試験は第三段階、情報処理試験へ移る。


 内容は戦術ネットワークに接続し送られたデータ内容のテキスト読み上げ。その後シミュレーションで簡易な戦闘演算処理を行う。これが最終試験だった。


 リコと繋がったコンピュータが戦術ネットワークに接続する。送られたテキストは当たり障りのないものだった。


「あ……い、そ……だめ、戻って!!」


 リコが叫ぶ。コンピュータのCPUとネットワーク使用率が跳ね上がる。勿論送付したテキストにそんな文字列は含まれていない。


 何かが起こっている。小糸は直感した。本来は止めるべきだった。だが彼女の探求心が、それを阻んだ。今リコが何を見ているのか。何と繋がっているのか。リコの絶叫をよそに解析に移る。


 そしてそれはすぐにひとつの答えを指し示す。リコの接続した戦術ネットワーク、それに同期した機体リスト。試験用の架空機体名の下に名を連ねていたのは、かつて人類に勝利をもたらした英雄の名。


 F/SX-02 AMATSUMI


 そしてそこを起点に更なるネットワークの大海――ワールドワイドウェブへと接続していた。


 輸送機のケージに納められ、幾重ものワイヤーに縛られた天螺。三年の間眠り続けた機体の砕けたアイカメラが今、再び蒼く灯る。




 空の上。ミサイルが接近する輸送機の中で天螺あまつみが動き出す。全身から軋む金属音を響かせながらワイヤーを切断、腕のアクチュエーターが唸り両の手でケージをこじ開ける。


 突然の異常事態の連続に混乱する操縦士。フレアをまき散らし全速力で逃げても着弾まで1分もなかった。右旋回をしようとしたが、機体が左へ動く。何が起こったのかと更に混乱し、この輸送機が外部からの操縦で動いていることに気付く。アクセス元はケージ内の機体。天螺。


 現在、天螺に燃料は搭載されていない。だがジェネレーターは健在。3年間の休眠で失われたエネルギーを差し引いても、数十分の駆動は可能だった。


 天螺の手が機体格納ブロックを突き破り座席へ伸びる。その先には司令と照。


「乗れってことですか……っと!」


「おい、納戸!!」


 照は迷わず天螺の手に乗り移る。遅れて司令も続く。それに気付いたエージェントは照たちへ銃口を向ける。


「お前たちの仕業か? 奴らに魂を売ったか!!」


「こっちが聞きたいって――」


 暴風。ハッチが開いていく。入り込んできた風によろめいたエージェントの弾丸は天螺の指に小さな弾痕をつける。その手は胸部のコクピットへ向かい、照と司令はそこに収められる。二人はコクピットの座席にしがみつき、次に見た景色は深く、高い青空だった。


 天螺がひとりでに、輸送機の操縦権を奪い脱出したのだ。少し遅れて、爆発。輸送機が燃え、鉄くずとなって落ちていく。


 天螺もまた、落ちていた。飛行用の噴射飛翔翼を動かすための燃料は搭載されておらず、今できるのは滑空、もとい自由落下のみだった。接近する人類に敵対するベイカントたち。ここまでか、と二人は覚悟する。だが次の瞬間、4体のベイカントが爆ぜ、落ちていく。少し遅れて衝撃。天螺が浮いていることに気付く。上面を大きく切り開かれたコクピットから顔を出し、二人は今起きたことを認識した。


 紅の外殻を持つ、人型のベイカント。フェンリルが天螺を抱えていた。




「――そう。大丈夫。帰ってきて。……ありがとう」


 リコが呟く。同時にクレイドルシステムの接続が切れ、意識を失う。


 ノルンは跳ねるようにリコのいる部屋へ駆けだした。


「医務室へ連絡。担架持ってきて。さっさと動け!」


「小糸さん!」


 部下に指示を出す小糸がいつになく真剣な面持ちでノルンに告げる。


「ノルンちゃん、リコちゃんのことは任せて。あと今管制室から連絡があった。戦闘配置。ノルンちゃんも格納庫に向かうようにって」


「えっ」


 戦闘配置。3年ぶりの言葉。言われた通りノルンは駆ける。基地内にノイズまみれの放送が入る。


「こちら八洲軍基地司令。ベイカントの襲撃を受け輸送機は墜落した。現在我々は……天螺とフェンリルとともに基地へ帰還している。万一フェンリルが何かしら我々に対し敵対行動を行った際は迷わず攻撃せよ。繰り返す――」




 結局、フェンリルは天螺と司令、そして照を抱えたまま敵対行動を行うことなく静かに八洲軍洋上基地の滑走路に着陸。天螺を下ろした途端、上半身のみを残しほかの全てがDDL化。その姿は先程まで飛行していたそれとは全くの別物のごとく酷く劣化しており、頭部のバイザーは砕け胸部には大穴が空いていた。


 ノルンは地上階層へ出る。放射線洗浄のため重機に運ばれていく天螺とフェンリル。


 離れられないのか、とノルンは思った。どうして離してくれないんだと思った。それと同時に、戻ってきてくれてよかったとも思った。


 司令や照が無事だったことに対してか、天螺がここにいることに対してか、ノルン自身判別できなかった。


 空だけはどこまでも澄み渡り、海は陽光を受けきらめく。どうしようもなく暑い、夏のある日のことだった。

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