星巡りの結末

星巡りの結末 一 調整器

 季節は春の初め。頑なに閉じていた桃の蕾がわずかに綻び始めたある日のこと。

 隻眼の少女 東雲問志しののめといしとその憑き鬼であるえんじゅは、自分達が普段生活する町から少し離れた住宅街を歩いていた。二人は槐の傘の引き取りがてら、彼らの上司兼大家である榴月堂主人、糸魚真朱いといしんしゅから頼まれたお使いの最中であった。


 槐はまばゆい陽の光と自身を隔てるように、つい先ほど修理屋から受け取ったばかりの傘を差していた。先日とある一件で折れてしまった柄の部分には、金継ぎされたような一筋の線が入っている。勤務中でさえ終始気だるげな姿勢を崩さない槐にしては随分と機嫌がよいらしく、時折傘の柄を回して遊ぶ様子は小さな童にも見えた。


 しかし槐は童ではなくそもそも人間でもすらない。人間の血液を糧として異形の力を振るう、正真正銘怪物である。そんな鬼である槐と人間である問志が血の契約を交わしてから、早くも一ヵ月が経過しようとしていた。

 

「大事な傘、ちゃんと直って良かったですね」と、三つ編みのおさげを揺らしながら槐の少し後ろを歩く問志は、大きく広がる傘を真紅の目で見上げながら言った。

 傘はもう随分と年季が入っているようで、所々色剥げを塗り直した跡や新しく交換したのであろう部品と、古い部品とが混じっている。


「別に対して大事じゃねェよ」

「何度も修理して使うくらいなのに、ですか」

「重宝してるだけだっての」

 槐が修理屋から傘を受け取る際、心の底から安堵した表情を浮かべるさまを問志はしっかりと見ていたのだが、槐の回答としては大事にしているワケではないらしい。

「そういうものですか」

「そういうもンさ。それヨりお嬢さん、『調整器ちょうせいき』の具合はどうだい?」

 槐はくるりと身を反転させて、問志と向かい合った。傘によって出来た陰の下には、柘榴色の髪と骨色の角、それに黒い強膜に浮かぶ蜜色の月が隠れていた。その足は決して止まることなく、人気の少ない道を後ろ歩きで進んでいる。


 槐の言う"調整器"は問志の側に控えるように、丸みを帯びた真鍮製の身体を浮遊させていた。

 人間の頭部より一、二回りほど大きいそれは、下を向いた真鍮製の花弁からなる球状の本体の底から、いくつも紙垂しでに似た細長い金属板を垂らしていた。風に揺られて金属同士が擦り合う音を小さく響かせながら空中にふわふわと浮かぶ様は、海を揺蕩たゆたう海月によく似ている。


「具合は随分いいですよ。勝手にあの黒い焔が出なくなりましたから」

「笑っちまうくラい手に負えてなかったもんなぁ。建物丸ごと飲み込む前でよかったぜ。ご母堂様の先見の明様々って訳だ」


  ◆ ◆ ◆ ◆


 _____問志の身に異変が起こったのは、十日程前。榴月堂の業務も終わり、店仕舞いの支度をしている最中のことだ。なんの脈絡もなく、店の玄関の鍵を閉めようとした問志の手から黒いほのおがぶわりと吹き上がり、消えたことが始まりだった。

 当然問志は狼狽うろたえたが、その場に居合わせた真朱と槐は冷静そのものであった。


 いわく、鬼と契りを結んだ人間は自身が契約した鬼の怪異を使うことが出来るようになるが、問志のように上手く制御出来ずに暴走したり、逆に少しも怪異を使えないことが稀にあるのだという。


 そういった不具合を正すための道具が一括りにして"調整器"と呼ばれていたのだ。

榴月堂うちでも特区からおろしているから好きなのを選んでいいわよ。代金はお給料から差し引くけど、手数料はまけてあげるわ」


 真朱に促されて問志が覗き込んだ棚には、一見統一性のない品々が並べられていた。小さいものは優雅な貴婦人が身につけていてもおかしくないような細かい細工が施された指輪から、大きなものは革製の大型トランクケースに似たものまである。


 調整器の値段も様々であった。調整器としての機能だけを備えたものは比較的安価だったが、ラヂオが組み込まれていたり、展開すると簡易的な映写機になるような利便性にとんだもの、極端に小さく仕立てられたものは値段が上がるのだと、キョロキョロと棚の中身を物色していた問志に、真朱は一通りの調整器の説明をしながら教えた。


 問志は、数ある調整器の中から比較的手頃な値段がつけられた懐中時計型のものを使うことにした。漢数字の刻まれた文字盤が、少女の母の愛用品に少し似ていたのだ。


 しかし、事態は好転するどころか時間が経過すればするほど悪化の一途を辿った。

 調整器が効かなかったのだ。


 幸い、問志の焔に物理的な燃焼能力は無かったため、黒い焔がいくら激しく暴れたところで問志にも周囲のものにも焦げ跡一つ付くこともなく、ただ周囲が僅かに明るく見えるだけだった。


 しかし、いくら無害と云えど怪異は怪異である。人気のある場所で制御出来ずに焔を出してしまえばいくら鬼に寛容なこの国でも騒ぎになるし、何より無闇矢鱈むやみやたらに怪異を使えばそれだけ血液を消耗することにもなるため、放っておける問題では決してなかった。


「調整器が合わないのかもしれないわね。他のを試していけばどれか一つくらいは馴染むものがあるでしょう」

 結局、問志が初めに選んだ懐中時計型の調整器は棚の中の定位置へと戻された。それから、いくつかの調整器を試したものの、やはり焔が少女の意思に従ってくれることはなかった。


「店にあるもの粗方試して、一ツも馴染まねぇなんてなぁ。いっそ特区外製のものでも試してみるかい?」

「わざわざ下位互換を試す必要なんてないわよ。しかし困ったわね、もっと上等なものなら特注するしかないけれど、あの状態の問志ちゃんを特区に連れていくわけにはいかないし」

「かといって特区の連中は余程じゃなきゃア外になんて来ないぜ」


 問志だけでなく、槐や真朱さえも頭を悩ませた事態が好転したのはほんの二日程前のことだった。

 嶋根しまねの山中から、問志宛に荷物が届いたのだ。

 幾重いくえにも梱包を重ねたそれの送り主は彼女の母、東雲羽鐘しののめはがねその人であり、その中身こそ現在問志の後ろをついて回る真鍮製の海月もとい、彼女の黒い焔を制御なしえた調整器であった。


  ◆ ◆ ◆ ◆


「おひい様からあの人が技師だとは聞いちゃいたが、特区製の調整器でもろくに効果がなかったお嬢さんの焔を大人しくさセちまったんだから、大したもんだ」

「槐さん、あの地下でカンテラに火種を入れていたじゃないですか。あの焔がずっと燃えたままだったから、それを基盤にしたって電話で言っていましたよ」

「嗚呼、アれか。道理で」

 槐と問志が話しながら歩みを進める最中も、空中を漂う調整器は危なげなく二人の後を追っている。


 二人が歩く住宅街は、芥子からし商店街よりも更に帝都の中心部から離れた位置に座しており、比較的緑も多い。ここ数年で開発の進んだ地区ということもあり、真新しい洋風の住居が並ぶ様は問志を異国を歩くような心地にさせた。

 怪異が制御出来ないでいた間、問志は外出などもちろん出来ず、榴月堂内で静かに過ごす事を余儀なくされていた。その為だろうか、久方ぶりの硝子窓を介さない外の景色は、心なしか鮮やかに見える。


「真朱さんの用事はあとどれくらい残っているんですか?届け物は全部済みましたよね」

「買い出しが一箇所だけダな。この先におひい様御用達の甘味屋があルんだよ。客に出したり、菓子折りに使ったりしてる。常磐ノ山にも持ってったな」


 赤い髪の鬼は背中に目玉でも付いているかの如く、つまづくことも一瞬後ろを振り返ることもなく後ろ向きのまま方向転換を行って、十字路の角を曲がった。土地勘のない問志が槐にならって十字路を曲がると、右手に黒い鳥居が立っている。


 その奥に注目した問志だったが、その先はまた別の道へと繋がっているだけだった。思わず、問志は進行方向の反対側へと顔を向けて、あの鳥居と対になる筈の社を探した。そうすると、彼女の想定通りにそれは在った。

 問志の視線の先には、芥神社より一回り程小さい神社が見える。真新しく、西洋の建築構造をふんだんに使用した住宅の並ぶ中でも周囲の時の流れを拒絶するかのように生い茂る鎮守の森は、小さいながらも静かな力強さを感じる。


「黒い鳥居って僕こっちに来てから初めて見かけるようになったんですけれど、帝都ではよくあるんですか?あくた神社の鳥居も黒いですよ…ね?」

 問志が異変に気付いたのはその時だった。


 槐の姿が消えていた。


「えっ、なに?槐さん?」

 先程まで問志の視界に入っていた大きな傘も真白い外套も、跡形もなく搔き消えていた。死角もない道の真ん中で、尚且つ人目を引く格好をした鬼が急に見えなくなることは、明らかに異常だった。


 慌てて周囲を見渡した問志の意識が、すぐある一点に集中した。中空に、火の気もないのに黒い煙のようなものが揺蕩たゆたっている。

 誘われるように問志が煙の出所を確かめるべくそれらを辿っていくと、煙は地面にいくつも出来ていた水溜の一つから上がっていた。問志は水溜に近づき、覗き込んだ。


 そうすると、直ぐにそれが異質なものであると問志にはわかった。他の水溜は空の青や周囲の景色を映しこんでいるのに対して、その水溜だけは何の光も反射してはいないのだ。


 重油のような、黒。そして、それから派生する黒い影の様な煙たち。それは、彼女が常盤山で見たあの黒い影法師を思い出させた。正体のわからない、彼女だけが観測したあの影と、短時間で急速に薄まりつつある目の前の影を、問志は似ていると思った。

 問志は僅かに躊躇した後、そっと水たまりに触れてみた。


 次の瞬間。何か強い力に腕を引っ張られる感覚が問志の腕を上がっていった。咄嗟に伸ばした腕を引っ込めようとするものの既に遅く、彼女の視界はぐらりと歪み、黒く塗りつぶされていく。そうして更に、足元の床が抜けたような浮遊感が少女に襲い掛かった。問志は眩暈に似た浮遊感からどうにか体勢を整えようと地面に手をつこうとしたが、その手が土に触れることはなかった。


  ◆ ◆ ◆ ◆

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る