◆6-4

 コンラディン家の屋敷からその様を見ながら、ドリスは手に持って掲げていたものをそっと下ろした。


 先日、王太子妃の体調不良を改善したことの褒美として賜った、氷龍の牙の欠片だ。もう既にその中の力を使い果たしてしまい、見る見るうちに手の温度で溶けてなくなってしまったが。


 自然に剥がれる鱗よりも貴重なもので、これだけで城をひとつ立てられるぐらいの金が動く。それを全く惜しげもなく、標的が逃げを打った時に使えと厳命したのは彼女の主である。最も彼女も、敬愛する主人が意中の女性に求婚する為に必要なのだと言うのならば、使うことに全く躊躇いが無い。


「……そろそろ、こちらの家の方々を起こしましょうか。旦那様と未来の奥様をお出迎えにいかなくては」


 使い魔である蛇の目と耳を借りてその顛末を知っていたメイド長は、表情を動かさずともうきうきとした足取りで屋敷の中へと向かった。






 氷に縫い付けられた黒い体は、その身を非常に小さく縮めていた。氷龍の力を躱す為に鎖の殆どを使ってしまったのだろう、その体は人の形を取ってはいるものの黒い靄のようなものだけになっている。


「――最早これまで、ですかな。初代コンラディン家当主殿」


 皮肉たっぷりのビザールの言葉に、腹立たしげな声が返す。


『抜かせ、他者の力を借りねば何も出来ぬ者が――』


「貴族とはそういうものですよ。鞭打って働かせる部下よりも、褒めて褒美をやって育てる部下の方が腕が立つのは当たり前ではありませんか、ンッハッハ!」


『おのれ――おのれ! 貴様だけは許さん!!』


 えへんと腹を張るビザールに、闇の中で金の目が閃く。次の瞬間、如何にか保っていた筈の靄の体が、ぞわりと散って消えた。


「――どこへ!?」


 リュクレールの驚きの声に、絶叫が被さった。


『この地に討ち捨てられた数多の亡骸よ! 我を糧として啜り、この塔を叩き壊せ――!!』






 地面に侍っていた氷は、すぐに溶けてしまったようだ。再び剥き出しになった地面には、砕かれに砕かれまくった骨が散乱していた。


 塔の入り口を背に立つヤズローの周り、半円状に骨の堤が出来ている。ヤズローはやや荒く息を吐いているものの、その場所を動くつもりは無いらしく、再び使い込んだ銀斧を構える。


 すると、天空からの絶叫が聞こえ、それ応えるように、がたがたと一斉に散らばった骨が震えだす。


「!?」


 何か拙い、と思った瞬間、骨の山はがさがさと動き、まるで一つの生き物のようにうねり――あるものは頭蓋を、あるものは腕と足を形成し、巨大なる一体の骸骨と化した。その丈は塔の半ばまで至り、腕は遠慮なく振り回され、塔の外壁を抉った。中の者達が逃げる前に、この塔をへし折るつもりだ。


「チッ!」


 僅かな舌打ちをして、ヤズローは駆け出す。じりじりと動き出す巨大な骸骨の足を踏み、膝に飛び上がり、思い切り槍斧を振り上げ――


「おぅ、らっ!」


 裂帛の気合と共に、その大腿骨に刃を思うさま食い込ませる。寄せ集めならばこれで砕けると思っていたが、


「な――」


 そこを形成するのは数多の骨顎で、ひとつひとつが槍斧の刃を噛み、動きを阻害する。引くか、手放すか、一瞬迷った隙に丸太よりも太い骸骨の腕が襲い掛かった。


「ッが!」


 空中で避けることも出来ず、鈍い音が響く。骨が折れた音では無い、銀色の手甲が飛んだ音だ。


 変に折れ曲がったり壊れたりすることは無かったが、肘から下の継ぎ目に当たったようで、僅かに拉げた手甲が骨の山を転げ落ちていく。片手では巨大な得物を扱うことは出来まいと、骨達が喝采のように互いの体をぶつけて鳴らす。


 塔の壁面に激突しかけた体をぐるんと反転させ、窓の桟に着地しながらヤズローは叫んだ。


「――少しは役に立て、虫ッ!」


 ふわりと、闇夜では見えない程の細い糸が舞う。それは今まさに地面に落ちようとする銀の腕を掬い上げ、まるで生き物のように彼の元へと戻した。


 その正体は、蜘蛛だ。ヤズローの右耳にずっと着いていた、レイユァが遣わせた蜘蛛。片腕が飛んだ時、反対の腕で既に投げていたのだろう。自分の体の数百倍もある腕を軽々と持ち上げ、糸をぐるぐると吐き出すとヤズローの腕に繋げ直す。如何なる術か繋ぎ直した瞬間にその手指はぎしりと動き、しっかりと槍斧を握り締める。


 戻ってくる蜘蛛の姿を見た、ヤズローの顔は死ぬほど不機嫌だった。必要だから使ったこと自体に後悔は無いが、あの女の力を借りねばならなかった己の未熟が腹立たしいのだ。しかし今何よりも優先すべきことは、主人の命に応えること。その為ならどんな手でも使うし、自分の感情にかまけている暇もない。


「使ってやる。――上に行け!」


 小さな蜘蛛に怒鳴りつけると、極細の糸がヤズローの手に絡みつき、引き上げられる。見る見るうちに体は巨大な骸骨の上の上、塔の屋上が見えるところまでぐいんと飛び上がり――しっかりと少女の傍にいる自分の主の姿を、目端で捉えた。


 主は全て任せると言いたげに、ぐっと親指を立てて見せて――疲労が溜まっていた筈のヤズローの体が、滑らかに動く。最早何の憂慮も要らぬとばかり、巨大な槍斧を振りかぶり――重力と全体重をかけて、薪割の如くその刃を下に向けて振りかざした!


「お、っらあああああああ!!!」


 教育係に聞かれたら叱られるだろう下品な罵声と共に。


 数多の骨で形作られた頭蓋が、真っ二つに割れた。


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