第8話 砂時計のこと

時間が無限ではないと知ったのは、いつのことだっただろう。


時はいつでも緩やかに流れていて永遠に続くような顔をしているのに、実は常に何かに追われていてすぐに捕まえられてしまう。

捕まえられればその時点で、もうその「時」は終了するのだ。


それに気づいてしまったとき、あたしはなんとも言えない恐怖を感じた。

今ここに在るあたしも、ミハルもギンガもコハクも、そしてアイツも。

いつかは確実に「終わる」のだ。


それならば、あたしはここで、何をどうすればいい?


正解のない問い。

考えても考えても何も答えが出なくて虚しさだけが募る。見えない終わりに向かっているどこか歪なこの世界で、ただそのときを待つだけなのだろうか。


焦ってもどうしても何もならないこんなとき、手に取るのは一つの砂時計だった。

握りしめた手の中、静かに時は刻まれてゆく。

透明の、なんの変哲もない瓶に入った少し紫がかった青い砂は一心不乱に下へと流れ落ちる。さらさら、さらさら、と。


落ち切って、また裏返して。そうやって、ざわつく心を静める。

いつか今が終わるとしてもこの砂は落ち続ける。

だから大丈夫。きっと大丈夫。


でも、そんなあたしのつぎはぎだらけの大丈夫は気づかない程度に少しずつ、それでも確実に崩れ始めていたのだ。

あたしの恐れる、「終わり」に向かって。




「どうしてなんですか!」

まだ日も高い時間に響き渡る声は、聞き慣れた、それでも聞いたことのないトーンで発せられた。

聞こえた声、聞こえてきた方角、すべてが導き出した声の主は、ギンガだ。

それなのに、あたしはその事実を受け止められなかった。


だって、ギンガだから。


それは、ギンガのここにおける存在意義に関わる。

人の感情を完全にコントロールし、産み出された純粋なる善意や悪意の持つパワーを採取する。

そんなアイツの歪んだ目的の中で誕生したのが、ギンガとコハクだ。


ギンガは、善意の象徴とされていた。

様々な検査器具による脳のコンディションの徹底管理と、アイツの開発した独自のカリキュラムにより、ギンガは「善」なるパワーに日々磨きをかけているのだ。


ギンガは優しい。

そのように心掛ける、というアイツの教えももちろんあるのだろう。

それでも、人々の意識の中にある象徴的な善を体現する存在という研究意義的なことを抜きにしても、誰に対しても常に温かく接し生きとし生けるもの全てに対して自然な優しさを持っている。


そのギンガが。

どれだけ理不尽なカリキュラムであろうが、どれだけ恐ろしい研究器具で脳を管理されようが、すべてを柔らかな笑顔で受け止めてきたギンガが。

カリキュラム中に荒々しい声を上げるなんて、考えられないことなのだ。


そんなことを頭のなかで巡らせ、なんとか我を取り戻したあたしは走って研究室へ向かった。普段決して近づかなかったはずの研究室のドアは、冷たく重い。


入り口からすぐのところに引かれたカーテンの隙間から、ひんやりした風を感じる。

ゴー、というかすかな機械音がはっきり聞こえてくるほど中の空気は重く、張りつめていた。


それはそうだろう。こんな澱んだ空気感に、あたしはひどく納得する。

だってギンガの反発というのは、まったくプログラム外のことなのだ。一瞬にしてこの場は凍りついたに違いない。

中の様子を想像し、覚悟を決める。

何があったにせよ、あたしはギンガを守らなければならないから。

そっと息をつき、カーテンを一気に引いた。


「…っ、ギンガっ!」

細長い机の周りになぎ倒されたいくつかのパイプ椅子。そしてそのさらに奥の方。

錆びたパイプベッドの上に、鎖で縛り付けられたギンガが横たわっていた。


「待ってて、今すぐ外すから」

駆け寄り、その鎖を外そうと手を伸ばす。

「…だ、だめです!」

掠れた声を絞り出すギンガに、思わず手を止めた。

「どうして?」

「…その鎖、に、は、…ある、周波、数の、電流、が…」

苦しげに言葉を紡ぐギンガに、声も出ない。

今まさにギンガは、体を縛り付けられた上に電気を流されるという、激しい苦痛を与えられている。


「なんでそんな…」

なんでギンガがこんな苦しい目に合わなければならないのか。

勝手にこの世に産み落とされ、勝手に実験台にされて。

アイツの気に入らなければ肉体的にも精神的にもキツい罰を与えられて。


あまりの怒りに絶句するあたしに、ギンガは優しくほほえんだ。

「そんな顔…しないで、く、ださ、い」

「でも!」

「…ホトリ、さんが、笑ってく、れれば、僕たち、も、笑え、るか、ら…」   

僕たちというのがギンガと、そしてコハクであることは、何も言わなくても伝わった。

何もかも正反対に育てられ、何もかも似ていない、そっくりな二人。


「…だから、笑って…ね」

そんな風に言われたら、あたしは笑うしかないじゃないか。誰よりも、何よりも大切な、ミハルとあたしの子どもたち。


「分かったよ」 

だから、不細工な顔してあたしは笑う。こんな場所で、せめてこの子達が笑って過ごせるように。

「…だから、がんばれ」

不器用なあたしの励ましに、ギンガは目を細める。

「はいっ」

そのイイコな返事が、今のあたしにはひどく哀しく聞こえた。


痛みに耐えるように目を閉じたギンガを見ながら、あたしは砂時計を思った。

その蒼さを、その静寂を。

永遠を願っていつまでも、いつまでも繰り返し立てた砂時計は、あたしが終わらさなければならないのかもしれない。


                                                                                                                           

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