第6章 疾走⑧

私の手の中に、"暗い魂"が出現した途端、私の首を掴んでいた幽鬼(ファントム)は慌てたように離れた。

私は自らの肉体が、地面に膝を着いて喘いでいるのを認識はしていたが、第三の眼を開いている間は、まるで他人事のように感じていた。

"暗い魂"は出現した位置からしばらく動かなかったが、やがて、ゆっくりと幽鬼(ファントム)たちに近づいていった。

幽鬼(ファントム)たちは警戒するようにその場を動かなかったが、ミラルダは恍惚とした表情で"暗い魂"に近づいた。どうやら、ミラルダには、私と同じく、魂(ソウル)の形が見えているようだった。

「なんて、美しいの…」

第三の眼を開いている間は、聞こえてくる音は、水の中に潜っているときのように、全て歪んでいた。

ミラルダは、まるで恋人の顔に手を添えるような優しさで、"暗い魂"の表面に手を這わせた。

「継ぎ目の無い、完全な一つの魂(ソウル)ね。幽鬼(ファントム)たちのように寄せ集めの物とは違って、混じりけのない、純粋な"暗い魂"。。。」

ミラルダが夢中で"暗い魂"を眺めていると、突然"暗い魂"から"腕"のようなものが生えた。いや、私からはそのように見えたが、ミラルダはその腕とも触手ともつかない形状の物に手を伸ばした。

「可愛いわね。さぁ、私のところにおいで。」

その時だった。

初めからそうするつもりであったかのように、"暗い魂"は、まっすぐミラルダの魂(ソウル)に向かって"腕"を伸ばし、その一部を文字通りもぎ取った。

ミラルダの喉から断末魔のような叫び声が絞り出された。

「一体、何が起きてるの!?」

エルマは、地面に膝を着いたままの私の肩を抱くと、呆然と呟いた。

"暗い魂"は、自分の腕に乗った魔女の魂の欠片を捧げ持つようにしていたが、おもむろに、自らの中に取り込んだ。その様はまるで幼子が手につかんだ菓子を目一杯頬張っているような、微笑ましくもありながら、猟奇的な姿に見えた。

"暗い魂"がミラルダの魂(ソウル)を取り込んだ直後、私は喉の奥に無理やりヘドロを流し込まれたような激しい不快感と吐き気を催した。直感的に、私は"暗い魂"が、ミラルダの魂(ソウル)の一部を"捕食"したのだと、悟った。

「痛い…痛い!!よくも、よくも奪ったわね!私の魂(ソウル)を!」

幽鬼(ファントム)たちに引きずられながら、ミラルダは"暗い魂"から離れたが、その顔は苦悶に歪んでいた。

「貴方の"暗い魂"はかなりやんちゃなようね。いいわ、それでこそ調教のしがいがあるというものよ。幽鬼(ファントム)たちよ、"王の黒い手"の真の力を解放しなさい!あの"暗い魂"を坊やから引き剥がすのよ!」

幽鬼(ファントム)たちは一斉に"王の黒い手"を掲げたが、"暗い魂"の方が動きが速かった。

まるで黒い花火が弾けるように、"暗い魂"から先ほどの腕が無数に飛び出し、今度は幽鬼(ファントム)たちの魂(ソウル)をえぐりとっていった。

またもや強烈な不快感に襲われた私は、ついに第三の眼を開いていることができなくなった。

感覚を肉体に戻した瞬間、私は激しく嘔吐した。涙で滲む視界には、死にかけの羽虫のように、手足を激しくバタつかせて痙攣している幽鬼(ファントム)たちが地面に転がっていた。

霊体召喚された魔女たちは即座に私とエルマの周囲を固めて防御体制を取ったが、霊体の姿は輪郭がぼやけてきており、魔力切れが近いことを表していた。

ミラルダは地面にへたりこんだまま、私の方をじっと睨んでいた。

「"吸精の業(わざ)"まで使えるなんて、貴方はやはり、闇の王となる素質の持ち主ね。しかも、自立制御されている幽鬼(ファントム)の魂(ソウル)に干渉して動作不良まで起こさせるなんて、大したものだわ。」

そう言うと、右手に持ったタリスマンを振った。痙攣していた幽鬼(ファントム)たちはピタリと動きを止めると、壊れたマリオネット(操り人形)のような不自然な動作で立ち上がった。

ミラルダは乱れた髪を整え、服についた土を払いながら立ち上がった。

「いいわ。今日のところは見逃してあげる。坊やについてはまだエルザに預けておいた方が良さそうだし、私も"彼女"から頼まれてる仕事があるもの。」

そう言うと、背中を向けて、撤収を始めようとした。

「待ちなさい。」

エルマは実矢をミラルダの背中に向けた。

「ラルフ君に何をしたの?この子にも戦う理由はあるけど、あんたたちの勝手な闘争に、この子を巻き込むのは許さないわ!」

ミラルダは肩越しにこちらを振り返った。

「私達がその子に何かしたか、ですって?逆よ。その子が、私達の魂(ソウル)に干渉したの。お陰で幽鬼(ファントム)たちは再調整が必要だし、人間の魂(ソウル)の補給も必要だわ。」

幽鬼(ファントム)たちの列を引き連れながら 歩いていくミラルダの姿は、まさにあの世の水先案内人だった。

「一つ忠告しておくけど、その子の持つ力は、私達魔女にとっては天敵とも言えるものよ。それこそ、かつての"凶竜"たちのように、魔女にすら簡単に手に負えるものではないわ。エルザやアストレエアはその危険性について黙認しているみたいだけど、その子の力を本当に理解して制御できるのは、私や"彼女"だけよ。」

ミラルダは最後に私に向けてひらひらと手を振った。

「じゃあね、不死人の王子様。もう少し成長した頃にまた迎えにくるわ。その時こそ、必ず貴方の魂(ソウル)を私の物にしてみせる。楽しみにしていてね。」

そう言うと、目眩ましのように魔法で黒い煙幕を張ると、幽鬼(ファントム)たちと共に姿を消していった。

エルマは緊張から解放されたように弓を下ろすと、地面に膝を着いたままの私の肩を抱いて目を覗き込んできた。

「ラルフ君、身体は大丈夫なの?ごめんね、ちゃんと守ってあげることができなくて。」

彼女の黒い瞳の中には、恐怖とも心配ともとれる色が浮かんでいたが、私の身体に異常が無いことを確認すると、安心したように息を吐いた。

「身体の方は大丈夫です。むしろ、僕のせいで、ミラルダからの襲撃に巻き込んでしまってすみませんでした。」

エルマはポンポンと私の頭を叩いた。

「何を言ってるの。子供を守るのは大人の務めよ。それに、今回最後に助けられたのは私の方だもの。皆も助けに来てくれてありがとう。また王都で会ったら一杯奢らせてね!」

エルマは輪郭のぼやけた霊体たちに向けて手を振った。

私たちの救援に駆けつけてくれた、「紅のロザリィ」、「石切のミレーヌ」、「白銀のフェルミ」、「清流のレイン」の霊体たちは、霧が霧散するように退去していった。

「さぁ、私達も家に帰りましょうか。エルザが帰ってきたら、色々と問い詰めなきゃね。」

エルマの手を借りながら、立ち上がろうとした瞬間、私は激しい立ちくらみに襲われた。

視界が歪み、エルマが私の名前を叫ぶ声を遠くに聞きながら、私の意識は急速に暗闇に落ちていった。


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