人形作りのメソッド

さかなへんにかみ

人形作りのメソッド

石塑粘土の顔、鼻筋のあたりにやすりを少しだけかけて作業を終えた。人形作りにやり過ぎは禁物だ。特に顔は少しの起伏が大きな印象の差となってしまう。刻んだしわのひとつひとつを記憶の中と見比べても、いつになく良くできている。今度のはきっと上手くいくに違いない。

 この人形教室に通い始めてもう少しで1年が経つ。大学へ通う傍ら安くはない月謝を払って人形作りを習っているわけだが、それもこれも銀座の通りの掲示板に張られたポスターを見たためだった。そのポスターのマクロで撮影された人形の少年、彼に魅入られてしまったのである。ブラウンの髪を几帳面に七三に分けて、垂れ気味の碧眼でもってこちらを窺っている。その彼のあどけない高慢さとでもいうべきものがあまりに生々しく感じられた。人形とは思えないのではない。あまりに、人形として生きているように見えたのだ。すぐにポスターに書かれた画廊に向かい、彼の全身を見て再び驚愕した。彼の上半身は骨組みの金属がむき出しであり、中空であることが一目瞭然だった。それでいてその少年は高慢にこちらを、写真よりも強烈にうかがってくる。彼にとって完成された肉体はその中空であり、そこに疑問など微塵もないのだ。画廊の人に話を聞くとその人形作家は教室を開いているらしく、すぐに入会を決めたのだった。そして今日に至るまで僕は三体の人形を作り、そのどれもが「彼」には遠く及ばなかった。細かに計算して作った四肢は組み上げるとどこか居心地悪そうで、肝心の人形もどこか自信に欠けている。衣装や桐粉による装飾よりも、やはり塑像そのものに問題があるとしか思えなかった。今度の彼はどう仕上がってくれるだろうか。しばらくしてあの人形の作家、先生が生徒の製作を見にまわってきた。一通り人形作りの手順を教わっている生徒には時折様子を確認する程度なのだが、矯めつ眇めつし続けていた僕に助言をしてくれるのかもしれない。

「またそこで行き詰まってるんだね。」

先生はやけに白い白磁を思わせる肌をしわにして笑いながら言った。小さな丸眼鏡の奥の目はどこを見ているか分からない。

「なら少し出ないか。造形芸術の基本は観察だよ。」

言われるがまま僕は先生に着いていった。

 先生と一緒に地下鉄に乗って向かったのは浅草寺だった。休日とあって大変な人混みで進のにも一苦労だったが、先生はするするとその中をかき分けて進んでいく。僕は先生の後を追いながら少し辟易としていた。人が多すぎる。以前に雷門を見に来たことはあるし、休日に来たのは失敗だったのではないだろうか。僕と先生は雷門も通り過ぎて、仲見世通りもよそに宝蔵門に行きついた。

小舟町と書かれた大提灯が掛かっている。先生はそこで境内に入っていかず、門の中程で立ち止まって左右を指さした。

「ここに仁王像があるんだ。知ってたかい」

赤々として隆々と起伏する肉体を怒らせて、僕を睨みつけていた。にわかに張り手を食らったかのような心地がした。先生はくつくつと声だけで笑ってこの仁王像が昭和三十年代に作られたこと、吽形の方が背が高いことなどをはなしてくれた。

「君にはあの腕の部分を触ったらどんな感触だと思う?」

先生の指さす吽形の右腕はいかにも硬い質感を伝えてくる。

「硬いと思ったかね。」

僕が言いあぐねていると先生が言葉を継いだ。僕は曖昧に頷くしかない。

「私はそうは思わない。ちょっとポーズを真似してみなさい。」

言われれるがまま吽形の体勢をとってみる。なかなか往来の妨げになっていた。何をする気なのだろう。そう思っていると先生は僕の腕をぎゅっと掴んだ。その思わぬ力強さに驚いていると先生はまたくつくつと笑った。今度は大声である。

「ふむ。確かに筋肉を緊張させた人間の腕は硬い。だが同時に肉としての柔らかさも持ち合わせている。仁王像だって人の姿を模してるんだ、私には表面は柔らかくても芯のある硬さだと思う。」

もう一度仁王像を眺める。視覚に集中すると、仁王像はただ静止しているのではなくて僕にも緊張を促している。僕の右腕はまだ少し温かな痛みを発している。おそらく仁王像も。

「いやすまなかった。ただ人形作りの足しになればとね。帰りにどら焼きでも食べていこう。」

帰りに仲見世で先生と茶屋に入った。三百円もするどら焼きを買ってお店の前で食べることになった。

「そのどら焼きはどう見える?」

先生は試すように聞いてきた。今度は間違ってはいけない。

「ふわっとしてるだけじゃなくて、しっとりした滑らかさも感じます。」

僕は甘味に目がない。先生の答えを待たずに食べてしまう。生地の部分が多くて美味しい。

「君は食レポは向いてるかもしれんな。」先生はどら焼きを一口食べてくつと笑った。その顔はことさら緩んでいて新鮮だった。その柔らかさをなんとかして表現したいと思った。

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