亜人王の料理番

月の旦那

プロローグ

 この世界では春の到来をパピリオの訪れと表現するらしい。パピリオは春の女神であり、彼女の桜色の短髪は植物の小さな発芽を表している。四季の女神の中でもっとも愛らしく、子供のように感情豊かで喜びも恵みも運んでくる。


 無論、運ばれるのは良いことばかりではなく、時には癇癪を起こして厄介なものを振りまいた。彼女の癇癪は眠りについた雪崩、病、獣を目覚めさせる。だが人々は子供のように可愛いパピリオを愛し許すのだ。


 そしていま彼は夢の中でパピリオの尻を叩いていた。


 夢の中の彼女は愛らしい幼子であったが、彼は彼女が泣こうが喚こうが手を止めない。罪悪感や論理感を問われるだろうが、そんなものこいつが癇癪を起こしてめちゃくちゃにした農村を思えば生ゴミのようなものだと一蹴する。幸い死者は出なかったが、何ヶ月も前に約束した作物を台無しされたのは彼にとって身内を怪我させたのと同じである。


「もし腹いせに俺に風邪を移してみろ。今度は本気でこの尻を引っ叩くから…な!」


「ひゃん!」


 最後にじんわりと赤みを帯びた桃尻に一番強いのを畳み込むと、パピリオは艶のある声を上げた。




 真澄は目覚めた瞬間に、現代人の偉大さを思い起こしていた。エアコン、ヒーター、炬燵、湯たんぽ。人類の叡知を詰め込めし暖房器具に囲まれ、ぬくぬくと生活をしてきた一日本人に異国アイスバーグの冬は厳しかった。部屋には暖炉があったからまだましだったが、寝ている間もそう永遠と燃え続ける訳もないので、深夜頃に隙間風が吹いては凍えそうな思いをする。

 秋頃までは同居人がベッドを占領していて、真澄は仕方がなく椅子や床で寝ていたのだが、さすがにこのままでは風邪を引くということで同衾の許可が下った。


(冬になると猫を湯たんぽ代わりにする。それの人間バージョンって感じだよなぁ)


 日本庶民的な感慨に耽りながら、真澄は右手から伝わる柔らかで弾力のある感触を確かめていた。

 何だろうこれは?いや、本当は分かっている。この右手が掴んでいるものは尻であると。敢えていうなら良い形と大きさだと思う。給仕服から見える張りのある尻のラインからそれが素晴らしいものであるのは明白だった。


 問題なのは、この尻の持ち主が女性のであることと、同衾したわりには特別な関係ではないこと。むしろ最悪であり、彼女からの一方的なライバル視をされている。薬による制欲を条件に渋々了承し、互いに背を向けて共寝していた。そんな彼女の尻を寝ぼけていたとはいえ揉んでしまったからには先の展開は見えている。


 普段はメッシーバン風に纏めたお団子は解け、くしゅっとした毛先が震える。からくり人形が首を回すようにぎぎぎっと音を立てて、ゴミ屑でも見るかの様な視線を投げかけてくる女に真澄は笑顔で答えた。


「逆に言っておくが誰が好き好んでお前のケツを触りたいとおも」


「天誅」


 パピリオの些細な意趣返しから1日は始まった。




 料理長である複椀族のジン・ゴードンは二人が来るよりも早くに厨房を訪れ、今日の食事の下ごしらえを始めていた。筋骨隆々とした見た目には似合わず、作業は丁寧だ。主腕では腕組みをしており、背中から伸びる六本の義手が根菜の皮むきやブイヨンの灰汁取りを行っている。

 立ち上る湯気と煙は蜃と呼ばれる小型の白龍が吸い取っていた。その表情は満足気だ。厨房の煙は美味しいらしい。


「グーはないだろ。グーは」


「……」


 ジンは厨房に近づく気配に目を向けると、ぎょっとした。訪れた給仕服の少女、シェリー・ゴードンはむすっとした無表情であり、後続するコックコートの少年、宮坂真澄は赤く腫れた鼻先を抑えている。二人とも普段から感情を表に出すタイプではないので、こうして見ると喧嘩した仲の悪い兄妹のようだ。


「……どうした?」


「しりません」


 シェリーはそのまま野菜の皮むきを始めた。真澄も無言のまま下ごしらえに取り掛かる。なぜかジンを間に挟んだ状態のまま。


 気まずい空気を知らず、城の住民たちは動き出す。


 ある者は目覚めから。


 ある者は徹夜仕事から。


 城が騒がしくなれば厨房も騒がしくなる。小気味よく連続する軽快な切断と肉のジューシーな焼焦げる音。鍋は煮立ち、炎が昇る。室内には湯気と熱気が充満していた。朝の寒さは消え、料理人たちは額に汗を浮かべるが誰一人拭うことない。拭う暇がないからだ。


 兵食の準備がある程度終わった頃。


「ミヤサカ、おまえもそろそろ王の皿に取りかかれ」

 

「――はい」


 真澄は一人だけ奥の厨房へ向かった。壁には様々な調理器具が飾られ、棚の上には香草の束と瓶詰めされた調味料が並ぶ。

 彼だけの調味料、彼だけの調理器具、彼だけの厨房だ。


 麻袋から精米された大和麦をカップに掬い、ざるに入れて水で磨ぐ。研ぎ終わった大和麦は水と一緒に土鍋に入れ、しばらく浸水させておく。


 次に棚から水と乾物を一晩漬け込んだ出汁を火に掛けて灰汁をとり、具材を煮込む。具材は芋と玉ねぎだ。汁物の火が通ったら火から離し、今度は土鍋を中火にかけて沸騰するまで待つ。沸騰したら今度は弱火に掛けてさらに待つ。待てばかりではいられないので、その間に次の食材集めだ。


 奥の厨房から出るとシェリーと出くわす。頬は部屋の熱気で上気し、袖を捲って露わになった腕と纏まった髪の下から覗く頸からうっすらと汗を浮かばせていた。


「シェリー、鍋からパチパチって音が聞こえたら火から離してくれ」


「わかりました」


 真澄はコックコートを脱ぎ捨て城から出た。城の外は風化し退廃した石造り街並みが続いている。雪を被ったそれらが哀愁を漂わす。

 かつて栄華を極めたであろう人類の遺産を進むとローマのコロッセオを思わせる円形の建物、というか事実コロッセオだったものに入った。中は外観からは想像できないような菜園がある。しかし今は深く雪を被りその姿を隠していた。


 盛り上がった雪をかき分けると藁で包まれた野菜たちが顔を出した。この国の野菜たちは冷害に強くたくましく、晩秋に採れたものを雪の中で保存すると糖度が増す。風土のためか根菜類が多い。

 野菜は泥を落とすため街の噴水場で洗う。冷えた水が骨身にしみ、手が悴もうが、体の奥が熱かった。


「肉と魚も欲しいな」


 城へ戻るとそのまま貯蔵庫へ向かった。室内は巨大な塩漬け肉と乾燥した魚がぶら下がっている。ナイフで欲しい部分だけ切り落として厨房へ戻ると土鍋は火から離されており、親切に水につけた木ベラが添えられている。そこまで怒っていないのだろうか。あるいは仕事に私情を挟まないだけか。


 採れたての野菜を千切りにして器に盛りつけ、ドレッシングを振るう。瓶詰めにした和え物は小鉢へ、塩抜きした魚は炭火で炙り横長の皿へ。汁物に大和豆の味噌を加え温め直す。


「んー、いい香りだ」


 土鍋を開ければ白い蒸気が上がり、幸せな香りが顔にぶつかった。真澄の中に流れている日本人のDNAが歓喜するのを感じる。蜃も美味しそうに吸い込んでいるみたいだ。

 粒のたった純白に輝く大和麦をかき混ぜ三角に整形する。あまり押さえつけず食感は殺さない。空気を含ませ二、三回ほど握れば出来上がりだ。


 お膳の上にそれらの料理を乗せ、これで今回の献立はほぼ完成する。だが、食べる人にとっては、本当に食べたいものとは違うのだろう。


「春の味覚か……」


 本来であれば約束していた春野菜が献立を飾るはずだったが、雪解けの雪崩で約束していた野菜たちは雪の底に埋まっている。冬の間は保存の効く塩漬け肉や酢漬け野菜がどうしてもメニューに入るのでやはり空きがくるのだろう。


「今朝採れたあれを使うか」


 真澄はもう一品の料理へ手を進めた。




 掃除は行き届いているが、どこか退廃した古城を思わせる城の中で、その部屋は特に手入れが行き届いていた。


 ワインレッドの細かなアラベスク模様の絨毯。金色の細かな細工が施された照明。様々な古書が並ぶガラス扉の本棚。鏡のように磨かれた作業机には羊皮紙が山のように積まれている。


 机に向かう女は羊皮紙一つ一つに目を通し、羽ペンを華麗に舞うように扱う。政務は滞りなく進み、機械的な精密度で処理していた。しかし時折、政務で疲れた目頭を揉んではため息をつく。


「ウォッカ様、そろそろ休憩を入れては?」


 後ろで控えていた男が声をかける。黒い執事服に身を包み、細身であるが背は2メートル近く筋肉質だ。嗄れた声音から老骨でありながら強い活力をまとっていることが予想できる。


 普通と異なるのは、その執事が頭に鹿の頭蓋骨をかぶっている事だろうか。兜を身にまとうように深く被った頭蓋骨がその面貌を隠している。整然と束ねられた灰色の三つ編みも特徴的だ。


 この老執事の名をニコラシカ・ハンブルクという。


「ふむ、もうそんな時間であるか」


 その主人であるウォッカはその美しく整った顔を上げた。絹糸のように細く伸びた長髪を掻き分け左右に広がった二本の神秘的な龍角。漆黒と混ざり合った真紅の瞳は宝石よりも輝き、シミのない白い肌は柔らかく、豊満に実った双丘が揺れる。


 亜人王ウォッカ・アイスバーグ。


 かつて人類が亜人を隷属していた迫害の歴史。各民族の亜人たちを率いて大陸ホワイトローズの古代人類国家アイスバーグを滅ぼし、亜人のための国を創り上げた覇王である。

 現在も世界で虐げらている亜人の保護活動に努めながら、国内での問題に追われ多忙を極めているようだ。この国では異なる文化、宗教観を持つ多様な民族たちが暮らしているため民族間の問題は多い。とくに冬場は積雪や雪崩などの災害も多いため何日も寝ずに政務を行うことが増えている。ほとんどの亜人の体は人間よりも丈夫に出来ているので、不眠不休で働ける種族が多く、ウォッカなどは一週間に一度眠れば十分活動できるほどだ。しかし寝なければ疲れはとれない。そして蓄積された疲労感を解消する方法が食事である。


「春の女神は恵を与えもするが、気まぐれに奪いもする。ただ私の体は春の恵みを欲していた……」


「以前から楽しみにされていただけに残念ですな」


「贅沢とはわかっているが、私も味をしめたものだな。今までは素朴な食事で十分であったのに」


 憂いを帯びた顔すら彼女の美しを引き立てる。この美しさを表現できる芸術家は世界に数人といないだろう。

 ニコラシカが羊皮紙を片付けていると扉をノックする音が響く。


「入れ」


「失礼します」


 扉を開けて入室した青年は片付いた机の上にお膳を運ぶ。黒のお膳の上には湯気の上る赤い漆器、様々な形と色をした陶磁器が飾る。これだけでも見ていて飽きない光景だ。一つ一つの量は多くなく、途中で満腹になることなく味わえる。


「今日のメニューは二種のおにぎり、馬鈴薯と玉葱の味噌汁、冬越し野菜のサラダ、炭焼き鮭、氷菜のおひたし、茄子と胡瓜の柴漬けです」


「ほう……」


 器の上に乗る料理も色鮮やかでウォッカを楽しませてくれる。

 まずは汁物から口へ運び飲み込む。


「ふぅ……落ち着くな」


 思わず息をこぼす味噌独特の風味と出汁の上品な旨味。その優しい味が身に染みるようだ。

 具の馬鈴薯はホクホクと、玉葱は柔らかくもシャキッとした食感を損なってはいない。そしてどちらも汁に劣らない甘い旨味を持っている。


 次は三色の彩りの良いサラダへと箸を運ぶ。野菜は人参と大根とカイワレ大根。その中に散りばめられた桜色の花が咲いている。


「これは美しいな。そして新鮮だ。内陸の冬で新鮮な野菜を食せるのは幸福であるな」


 口にするとシャクシャクとした野菜の新鮮な歯ごたえが面白く、シソポンズと呼ばれるドレッシングは爽やかな果実とハーブの風味を放ち口の中を飽きさせない。


「ふむ、この花の蕾はハムか」


「はい、プロシュートローズ……あー、つまり生ハムを薔薇の形に巻いたものです」


「プロシュー……?まあ、相変わらず面白い発想ではないか」


 清涼感のある野菜やドレッシングとは違い塩気のある肉の旨味が口の中で変化を起こす。野菜とドレッシングと肉の味の三重構造が味わいを奥深いものへと変えた。


 前菜から楽しませてくれるではないかと、ウォッカをワクワクとさせる。


 次の料理は炭焼き鮭だ。ウォッカは慣れた手つきで箸を使い鮭の身を解していく。焦げ目のついたピンク色の身を口に入れると、ハムよりも濃縮された旨味に驚いた。人間の街で売られているような塩漬けの魚と違い熟成された旨味がわかる。また表面の身と皮の香ばしいパリパリ感もいいアクセントだ。


「いかんいかん。やはり焼き魚は大和麦といっしょに食べるに限る」


 空いた片方の手でおにぎりを掴む。三角形に握られた炊いた大和麦に、持ちやすいように巻かれている海苔は仕事中も手を汚さずに食べられるのが利点だ。

 パリッとした海苔の食感とともに広がる磯の香りと、包まれた大和麦のふっくらとモチモチした柔らかな甘み。そこに塩気の強い鮭の旨味が合わさることで味は調和される。


「今日の具は鰐梨とコウヤドーフか」


 大和麦の中に隠された口の中でその正体を明かした。鰐梨のバターのようなねっとりとまろやかな舌触りに味噌が合わさり濃厚な味わいを構築し、肉そぼろと出汁で一緒に煮たコウヤドーフが旨味を吸い口の中でほろほろと解ける。


 途中で口の中で変化を起こすため、小鉢に盛り付けされた料理にも箸を運んだ。

 氷菜のおひたしは甘みのあるダシが染みており、葉の表面で固まった雫がプチプチとした食感がおもしろい。雫の独特の塩気もいいアクセントだ。

 柴漬けは鮮やかな紫色が美しく、新鮮な野菜とは違いコリコリとした漬物の食感も良いものだ。塩気と酸味も良い塩梅でドレッシングと似た爽やかな風味を感じる。


 美しくも奇想天外な食事に箸は進み、あっという間に料理を完食する。ニコラシカが凸凹とした独特な茶器に緑の茶を注ぎ、紅茶とは異なる茶の渋みが口の中をさっぱりとさせつつも喉を潤わせた。


「愉快であった。そしてなにより美味であったよ」


 食材は変わらずとも、料理はいつも変化をきかせている。飽きをこさせないための日々の創意工夫。ウォッカはその努力に感謝の念を抱く。


「実はもう一品あるんですが」


「ほお?構わない、出してみよ」


 胃袋にはまだ余裕がある。

 運ばれた料理は白い衣を纏った揚げ料理。一口で頬張れる程度の大きさで、何かの植物の蕾だと思われる。


「雪解け山椒蕗の薹の天ぷら。小麦粉の衣をつけて揚げた料理です。塩やつゆをつけて召し上がるのが一般的ですが、今回はそのまま召し上がってください」


 天ぷらという料理は初めて耳にするが、調理した植物はよく知っている。

 山椒蕗はこの地域に自生する植物だ。成長すると傘ほどの大きさの葉を実らせ、山椒のような香りを発する。葉や茎の部分などを薬などに使う部族もいるが、料理に使ったという話は聞いたことがない。というのも清涼感のある強い辛味が原因で食用には不向きなのだ。


「そういえば以前、蕗の薹なら料理に使えるかもしれないと言ってたな。この城に来て間も無くの頃だったか」


「俺の国ではこれと似たような料理があって、よく春の味覚だと言われているんです」


「くくっ、なるほど。憎い仕事をしてくれるな」


 似たような料理があるのなら食べられる物だろう。忌避感はあるが食べてみれば分かることだ。天ぷらを口へ運ぶと山椒の爽やかな香りが鼻腔をくすぐる。


 サクっ。

 噛んだ瞬間に衣の歯ごたえが響く。揚げた段階で水分が飛んでいるのだろう。だが中の食材はほどよい薹の歯ごたえが残っている。口内に広がる山椒の香りと辛味は強いが、成長したものよりは弱くちょうどいいくらいだ。鼻に抜ける山椒の辛味に隣り合ったほろ苦い味が体に活力を与えるようだ。


「春の息吹を感じるな。冬ももう終わりか」


「お口に合いましたか?」


「ああ、美味かったよ。いつも楽しい食事をありがとう」


 ウォッカは満足そうに真澄に微笑んだ。真澄は気恥ずかしそうに頬を掻いている。


 この王と料理人の奇妙な関係からもうすぐ一年になるのだ。

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