ニトの怠惰な異世界症候群~最弱職〈ヒーラー〉なのに最強はチートですか?~

蒸留ロメロ/DRAGON NOVELS

背中の花瓶


――花瓶を割ってしまった。


どの家庭にもあるような平凡な花瓶ではないだろう。

何故ならここはお嬢様であるシエラさんの屋敷――エカルラート邸なのだから。


割ったと言っても取っ手を一つ折ってしまった程度だ。

だが壊したことには変わりない。一体、これはいくらするのやら……だが高価であることは間違いないはずだ。


自殺したはずが異世界に飛ばされ、いきなり《ヒーラー》という無能の烙印を押されたあげく、“無能を手厚く保護する無能はいない”と、王女アリエスに転移魔法で追放された。


「マサムネ、そこで何してるの?」


「さあ?……何してるんだろうな?」


だがトアと出会えた。


薄いピンク色の髪が綺麗な、肌の透き通った美女。日本にいた頃ならあり得なかったほどの美人だ。

これも全部、あの醜い王女――アリエスが、無能の一言で片づけ飛ばしてくれたからだと思うのは、お人好しだろう。

何を間違っても、あいつを許すことなどない。


そんなことより、俺の背に隠れた花瓶をどう誤魔化せばいいだろか?

トアは俺の様子を明らかに不審がっている。

その内、俺が何かを隠していると気づくだろう。


それにこんなだだっ広い廊下でじっとしている時点で変だ。

”何してるの?“と、声をかけて当然だろう。

だが《割った花瓶を隠している》とは言えない。


「お二人とも、おはようございます」


するとそこへ、この家のお嬢様であるシエラさんが、いつもと同じ綺麗な短い銀髪を揺らしながら現れる。

百歩譲ってトアにバレるのは良い。

だがこの家の関係者であるシエラさんにバレるのはマズイ。一番ダメだ。


「おはようございます、シエラさん。今日も良い天気ですね?」


「良い天気ですか? 今日は大雨ですよ?」


――しまった。だが回避するすべは持ち合わせている。


「あ、すみません」


俺は苦笑いを隠し、どうにか普通に笑い焦りを隠した。


「俺は晴れより雨の方が好きなんですよ。気持ちが落ち着くので」


俺は雨が嫌いだ。曇りくらいが丁度良い。


「なるほど、そうだったのですね。雨がお好きとは……やはりマサムネ殿は変わった方ですね?」


「そう、かもしれませんね……よく言われるですよ」


この人が天然で助かった。

大抵のことは“変わっている”ということで流してくれるのがシエラさんの良いところだ。

だが一方でトアは明らかに俺を不審な目で見ている。

シエラさんとのやりとりに違和感を覚えたのだろうか? トアは俺の事をよく見ているし、トアを騙すのは難しそうだ。

どうにかシエラさんを追い払って、トアだけでも味方につけられないだろうか?


「あれ? もう起きていたの? おはよう」


だがそこに、シエラさんの姉であるヒルダさんが現れる。

シエラさんと同じ銀色の髪。だがヒルダさんの髪はシエラさんよりも長い。そして何より、シエラさんよりも豊満だ。


一見、優しそうな理想の姉に見えるこの人の正体は、猫を被った妖艶な蛇だ、。

シエラさん自身が”蛇のような女“だと言っていたし、そう言っても過言ではない。

もしかすると、シエラさんよりヒルダさんにバレることが一番マズイんじゃないだろうか? 

話しかけられても平静をよそおい自然に流し、どうにかしてこの場をしのがなければ……。


だがそれにはやはり、トアの力が必要だ。でも今耳打ちすれば、まずシエラさんにバレる。

俺はトアにアイコンタクトで知らせようと、いつも以上に、そして不必要に目を見つめた。もちろんエカルラート姉妹に気づかれないようにだ。


だがトアはなんだか知らないが、徐々に頬を赤らめるだけで全く気付かない。

さらに目を逸らす始末……気づいてくれよ? いや、マジで。


「そういえばマサムネ殿、今日は依頼の方はどうされますか? やはり今日は大雨ですし……」


ほど良いタイミングでシエラさんが俺から依頼の方へ気を逸らしてくれた。もちろん本人にその意識はない。


「依頼ですか……そうですね。雨だと何かあるんですか?」


雨の日にわざわざ外に出たいという者は少ないだろう。だがシエラさんのこの言い方は、まるで雨だと何かあるような言い方だ。


この大して特徴のないシエラさんの口調から違和感を拾えるようになるほど、俺はこの屋敷で長らくお世話になっている。といっても数日だが。


「雨の日は皆、屋内でじっとしていたいものなのです。おそらく今頃ギルドは酔っ払った冒険者で溢れているでしょう。なのでそういった冒険者への対策として、雨の日は報酬の金額が少し上がるのですよ。報酬にプラス特別報酬ということで、いつもよりも沢山のお金がもらえるのです」


――なんと良心的だろうか!


夜中は《夜間報酬》ということで報酬が倍になり、雨の日には《特別報酬》ということで金が上乗せされる。

だからギルドの連中はいつも酒が飲めるのだろう。


いつ行っても毎回酒を飲んでいるヨーギのテーブルには、大体ジョッキが山積みになっている。

一体その金はどこから出ているのかとずっと疑問だったが、そういうことだったか。

つまりギルドの良心的な政策が、あの不潔な酔っ払いを生み出したのだ……皮肉なもんだ。


「ですが雨はそれだけに危険を伴います。視界は悪い上に足元は滑りやすく、場所によってはぬかるみます。言わば増額は危険手当のようなものなのです」


「なるほど……じゃあ今日は止めておきます。それに大雨ですし。まさか、大雨手当なんてものはないですよね? 雨量に応じて報酬が変わるとか」


「ありますよ? ギルドには雨量を計る魔道具がありまして……」


あるのかよ……。

まったく、あのギルドは少し冒険者を甘やかし過ぎだ。


だが冒険者は常に死と隣り合わせだ。それくらいの恵みはあってもいいのかもしれない。


そんなことより花瓶だ。なんとか背中で花瓶の折れた取っ手部分を隠し、二人にバレないようにしてはいるが、限界はある。

念のためトアにもバレないようにしている。

このタイミングでトアに見られたら、多分トアは反射的に声に出してしまうだろう。

――「その花瓶、どうしたの?」と。


そうなってしまっては元も子もない。


「ご主人様……おはようなのです」


するとその時、白猫族のネムが目を擦りながら現れた。どうやら寝起きらしい。


「あ、ああ、おはよう、ネム……」


思わずぎこちない返事をしてしまった。もう少し平静を保たなければ。


獣人の中でも白猫族であるネムの髪は白く、そして頭には白い猫の耳がついている。

おしりには白い猫の尻尾だ。そしてネムは幼女である。


そんなネムが何故、俺のことを”ご主人様”呼ぶのか、その答えは本人に聞いても教えてくれないので分からない。

とりあえず、”ご主人様はネムご主人様なのです!“、らしい。


「ではマサムネ殿、今日はどうされますか?」


「そうですね……じゃあ、ネムに剣術を教えてやってもらえませんか? 昨日ネムが剣術を習いたいと言ってたんですよ。午後からは王都を観光したいので、また案内してもらえると助かります」


「なるほど、観光ですか……」


俺はその時、シエラさんが何かを悩んでいる隙に、トアの袖を軽く二回ひっぱり合図を送った。そしてトアを少しこちらに近づかせ、耳打ちする。


「トア、何か物を直す魔法とか使えないか?」


小声で話す俺の様子を察したトアは、そっと俺の背中を覗き込み、俺が花瓶を割ってしまった事実を知る。


「割っちゃったの?」


「見ての通りだ。なあ、なんかそういう魔術とかないか? 魔族ならそういう魔法とか使えるだろ?」


トアは魔族だ。

そして魔族は人間よりも遥かに優れた種族であるらしい。

というのも、魔力が他の種族よりも強力らしいのだ。


「え? ないわよ? そんなものあるはずないでしょ?」


トアが小声で教えてくれた。


そういう類の魔法は《造形師》や《建築師》いった職業を持つ者、もしくは《ソーサラ―》や《ソーサレス》でない限り使えないらしい。

そういった魔道具もあるそうだが、トアは持っていないそうだ。


「分かった。他の方法を考える」


とりあえずトアを味方につけた。

だが依然として状況は最悪だ。花瓶は直らず、俺は引き続き隠し続けるしかない。


「お二人共、さきほどから何を話されているのですか?」


そこで考えにふけっていたはずのシエラさんが顔を覗かせる。


「え? 話ですか? いえ、何も話してませんよ?」


「そうですか? 何やらボソボソと話しておられたように思えたのですが……」


やはり天然で助かった。


すると何がおかしいのか、そこで「クスッ」と小さく笑い、口元を手でさりげなく隠すヒルダさんの姿が見えた。

ヒルダさんは俺と目が合うと、何がそんなに面白いのか、軽く馬鹿にしたようにまた「クスッ」と笑みを浮かべる。

この人もよく分からない人だ。


一番良いのは、正直に謝ることだ。

だが謝った瞬間、おれはもの凄い額の負債を背負うことになるだろう。

この大雨の中、ギルドに出向くことになりそうだ。


だがそれだけで弁償できるだろうか?

ならば、大雨プラス夜間ならどうだ? 

倍になりさらに追加報酬が加わる。

いや、この場合、追加報酬を含めた全体報酬を倍にするという仕様にしてほしい……と、そんなどうでも良いことを考え現実から逃げる。まったく、どうしたものか。


「そんなことより、とりあえず朝食にしたらどうかしら?」


その時、ヒルダさんがそう提案してくれた。これは絶好のチャンスだ。

寝室に忘れ物をしたとでも言って、花瓶を背にここを離れよう。


「そうですね。マサムネ殿、とりあえず先に朝食にしましょう。今日の予定はその後にでも決めれば良いですし」


「そ、そうですね、そうしましょうか。二人とも、先に朝食をいただこう」


「どうするつもり?」


シエラさんがこちらに背を向け、その場を離れようとした一瞬を狙い、トアが俺にそう尋ねた。


「とりあえず先に行っててくれ。これは俺が何とかする。最悪の場合、弁償することになりそうだが、それは心配しなくていい」


最悪の場合、ギルドで依頼をこなそう。AランクでもSランクでもなんでも受けてやる。


「分かったわ」


そう言い残し、トアはそのままネムと手を繋ぎシエラさんの背について行く。

これでとりあえずは大丈夫だ……だがそう思いかけた時、一向にその場を離れようとしないヒルダさの姿が視界に入った。


「ど、どうしたんですか? みんな朝食に行きましたよ?」


「あなたは行かないの? マサムネくん?」


何かを言いたげに俺の顔を不必要な角度から覗き込むヒルダさん。

これは……バレている。そう直感した。


「マサムネくん? あなたに一つ、良い事を教えてあげるわ」


「な、なんですか?……」


思わず声が裏返った。


「まず男ならどんな時もビクビクせず、胸を張りなさい。そして不安は顔を出さないこと。そして犯した過ちを隠すような、みっともない真似はしないこと」


みっともない……俺のことか。


「そしてもう一つ――」


するとそう言いながら、ヒルダさんが俺の背後にスッと回り込む。

そして右手に微かな弱い光を灯す――魔法の光だ。

そしてそれを俺が背中で隠していた割れた花瓶に軽くかざした。

すると、くだけて壊れていたはずの取っ手が、まるで何事もなかったかのように修理されていくではないか。


取っ手は気づくと元の状態に戻り、欠片かけらさえ落ちてはいなかった。


「――もう少し、魔法を勉強しなさい。このくらいヒーラーでも出来ることよ?」


「……はい。すみません」


俺は自分が情けなくなり、気づくと苦笑いもせず謝っていた。


「それに精獣せいじゅうを簡単にあしらったあなたが、これくらいも出来ないなんて……あなたなら道具を魔道具に変えられて丁度良いくらいなのよ?」


そんな芸当げいとう、俺に出来る訳がない。

何しろ俺はただの、最弱のヒーラーなのだから。


「さあ、私たちも朝食に行きましょう」


ヒルダさんはそれ以上は何も言わなかった。


俺には《反転の悪戯いたずら【極】》という最強にして万能な力がある。

これで俺の治癒魔法《治癒ヒール》は、《侵蝕ディスパレイズの波動・オーラ》という最強の魔法へと姿を変えた。


そして俺は最弱から最強のヒーラーとなったのだ。

だが花瓶の一つすらまともに直せない。

やはり、俺は最弱の……無能のままなのだろうか?


まるで空が俺の代わりに泣いているようだ。

いや、空さえこんな俺を嘲笑っているように感じる。


「魔法を勉強しろ、か……」


待望の異世界にやっと来られたんだ。俺はもっと、魔法と正面から向き合わなければいけないのかもしれない。


そんな重い想いを胸に、俺は雨の日の朝食へと向かうのであった。

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