Cruel queen~残虐女王~

猫乃手借太

Cruel queen~残虐女王~ 二十年前の火災事故

 七月下旬。夕方の日暮れ時になっても暑さが和らぐ気配がない。

 汗を拭いながら帰宅していくサラリーマン。冷房を最強にして窓を閉め切っている車。それらがまばらに行き交う郊外の道を一人の男性が歩いている。それは間もなく七十にさしかかろうかという老人だ。

 昨今の高齢化社会を生きる元気な老人を象徴するように足取りはしっかりとしている。その手には「招待状」と書かれた紙があり、記された地図と所在地を頼りに老人は目的地へと歩を進めていた。

 数分歩いてたどり着いたのは寂れた建物。来月には取り壊されることが決まった博物館で、建物の正面玄関にもその旨が記されており関係者以外は立ち入り禁止。その表記を見て老人は汗ばんだ額をハンカチで拭う。

「関係者、か」

 招待状がある。だから関係者で間違いない。さらに招待状には「博物館で最後の晩餐会を」と書かれてある。老朽化した博物館で取り壊し前に最後の食事会を開き、そこに老人は招待されたということのようだ。

「まったく、まるでミステリードラマの始まりみたいじゃないか」

 老人は一人、呟いた。招待状の差出人の名前には見覚えがある。かつて教鞭を執っていた時に受け持ったクラスの生徒の一人だ。卒業してから公務員になり、博物館などの施設管理を行っていると聞いていた。おそらくこの博物館も管理している施設の一つなのだろう。

 招待状には他の招待客の名前も載っており、差出人の生徒のクラスメイト全員。つまり会場費がかからない場所で同窓会を行うということだ。

 多くの生徒を受け持ってきた中でもこの年に受け持ったクラスの生徒達の名前は忘れられない。後にも先にもこの年の印象を越える印象年はなかったからだ。

「あれから二十年か」

 招待状を持つ年老いた自分の手。二十年という歳月を彼はより強く感じた。

「みんな元気にしているのか?」

 かつての教え子達の成長を見たい気持ちがわき出てくる。その気持ちに背中を押されるように、関係者以外立ち入り禁止の入り口を通過した。

 取り壊しが決まっている博物館だけあって、敷地内の草木はもう整備されていない。草は長く伸び、木々は隣同士で日光の奪い合いをするように枝葉を伸ばしている。

 趣を感じる木製の扉を開き、中をのぞき込む。静まりかえった博物館のエントランスは空調の音だけが響き、それ以外の音が一切聞こえない。まるで博物館内は全くの無人であるかのようだ。

 もう展示物なども撤去されているようで、エントランスはガランとだだっ広い。しかし電気は通っていて博物館内は明るい。人がいることは間違いないのだが、どこを見ても人の気配が一切しないのが気味悪い。

「おーい、誰かいないのか?」

 エントランスに入り、大きな声で人を呼ぶ。しかし彼の声がこだましてやがて空調の音でかき消されるだけで、返答らしき声は返ってこない。

 招待状がいたずらなのか、そう思い始めたときだった。扉の開く音がした。そちらに目を向けると、黒く長い髪をなびかせながら、一人の背の高い女性が老人の方へと歩み寄っていく。そして老人の前に立つと、女性は一礼した。

「玉木義純様ですね。お待ちしておりました」

 そう言う女性は美しかった。博物館に彼女が立っていれば、それだけで展示品などいらないと思えるほどに美しかった。年は二十代前半か中頃。その美しさに彼は一瞬見とれてしまうが、すぐさまその女性に見覚えがないことに気付く。自分の教え子にここまでの美人はいなかった。招待客の名前の中にもこの女性と一致する名前はない。なら目の前の女性は誰なのか。彼はそれを問わずにはいられなかった。

「君は?」

「私は今宵の会で玉木様のお相手をさせていただく者です」

「お相手?」

「はい、ではこちらへどうぞ」

 女性にお相手と言われて、いかがわしい想像が浮かぶ。年老いたとはいえ男。玉木義純は鼻の下を少し伸ばしながら、女性の案内で博物館の一室へと入っていった。

 案内された部屋は奇妙な部屋だった。空調の音がやけにゴウゴウと大きく鳴る部屋で、中央には大きなテーブルと向かい合うように置かれた二つの椅子がある。他にもパソコンなどの機器がいくつか置いてあり、他に招待客の姿は見えない。この部屋には女性と老人の二人だけなのだ。

 そして何よりも奇妙なのは、エントランスにはすでに無かったオブジェ。部屋の壁や天井や床には透明のガラスケースが設置されて、その中には赤黒い物体が設置されている。なんとも形容しがたいそのオブジェを言うなれば、丸と三角だけで表した男子トイレの表記のようだった。

 その数およそ四十。それがガラスケースごと天井や壁や床に設置されている。

「この展示物は……」

 あまりに奇妙な展示物に足が止まる。

「この部屋のテーマは『曝(あば)いて曝(さら)す』です。全てを隠すことも偽ることもできない世界、それがこの部屋です」

 丸と三角だけで表した男子トイレの表記。それはどうやら正しい認識だったようだ。この展示物は人を表現しており、手足を持たないため何も隠せない。様々な角度からオブジェを見られることから、全てを曝されるということも意味している。そしてそのオブジェに囲まれた場所にテーブルと椅子がある。オブジェが人型だと意識すれば、部屋の中央の椅子に座れば周囲から見られているという意識になる。展示物だけでなく、そこにやってくる来客にも『曝(あば)いて曝(さら)す』というテーマが当てはめられるということだ。

 芸術的センスについてはよくわからないが、発想の良さはなんとなく感じた。そしてそれは玉木義純自身、自分が何故ここに呼び出されたのかという疑問があったが、その本当の理由に気付くきっかけにもなった。

「同窓会でないのであれば帰らせてもらう」

 ここにかつての教え子はいない。ならばこの招待状に応じる理由もない。

「そうおっしゃらずに。実は玉木様の教え子の方々は全員、すでにご来場なさっています」

「なんだって?」

「ですが残念ながら、玉木様と教え子の方々の会話は認められません」

「……どういうことだ?」

「それは玉木様自身がよくご存じかと」

 女性は無言で片方の椅子に座るよう促す。玉木義純は踵を返して逃げ去ることもできた。しかし彼の頭の中では「この女は何かを知っているのか」という疑問が浮かび、目の前の女性に背を向けて帰ることが出来なかった。

 玉木義純は促されるまま椅子に腰掛けた。すると女性は一度部屋から出て行き、ワゴンに料理を載せて再びやってくる。テーブルの上に一人前の料理を置き、女性はもう片方の椅子に腰掛けて真正面から向き合った。

「晩餐会ですから、どうぞ」

「君は食べないのか?」

「私はこちらが好みなので」

 まだワゴンには一皿残っており、そこにはストロベリーアイスらしきデザートがある。片方は豪勢なフレンチのような肉料理で、もう片方はデザートのアイス。不釣り合いなテーブルだった。

「それで、何が聞きたいんだ?」

「二十年前のことです」

 女性の問いを玉木義純は予想できていた。心の中で「やはりその件か」と動揺などは特になかった。しかし部屋のオブジェが人型だと意識してしまったことから、心理的になんとなく落ち着かない。無意識にナイフとフォークを手に取り、料理に手をつける。

 手を動かすと落ち着いた。よって冷静に女性に返答できた。

「警察に全て話した」

「……not true、それは真実ではない」

 一つ間を置き、女性は力強く言った。真実を知った上で断定するかのように、はっきりと言い切った。

「……君は誰だ? 何者だ?」

「ああ、申し遅れました。私のことはベリーとお呼びください。コードネームです」

「コードネームだって?」

「はい。そして今の私の役目は真実の探求。あなたの持つ真実を隠す全てを剥ぎ取るのが仕事です」

 真実を隠す全てを剥ぎ取る。その言葉を聞いた瞬間、年老いた手が震えた。

「依頼人は真実を望んでいます」

 ベリーと名乗った女性は自らの耳を指さし、傍らにあるパソコンの画面を見せる。耳にはイヤホン、パソコンの画面には誰かとチャットでやり取りしている画面、そしてパソコンからはマイクがテーブルの上に伸びている。

 誰かとやり取りをしながら、ここの会話を録音か、もしくはどこかに流している。そして彼女以外の誰かとのやり取りがある。その画面を見て、先ほど彼女が言った「教え子は全員来場している」という言葉を思い出した。

 あの言葉に嘘がなければ、あのパソコンの画面やマイクから予想できることはただ一つ。それは二十年前のあの件に関わっている全員を別々の部屋で、全く同じタイミングで聴取しているということだ。そうなれば最初の「お相手」の意味も「取り調べの担当」だと理解できる。

「逮捕でもする気か?」

「いいえ。ドラマじゃありませんから、自白だけでは逮捕できません。自白を裏付ける証拠も必要です。しかし二十年前の現場はすでに無く、依頼人の当時の住居もありません」

 パソコンの画面はベリーの方を向き、代わりに二枚の紙が提示された。一枚は廃校となった学校が取り壊されたこと、もう一枚はマンションが取り壊されたこと。どちらも写真付きで二つの事実を表していた。

「求めているのは真実だけです」

 二十年も前のことですでに証拠は何一つない。関係者の証言だけでは逮捕することはできない。民事による損害賠償請求の可能性はあるが立証は不可能。相手の手の内を探るという面からも、彼女の聴取応じる方がいいかもしれない。

 それが玉木義純の考えた結果だった。

「……旨い肉だな」

「ありがとうございます。腕によりをかけました」

「食事の間だけなら話をしようじゃないか」

「そう言っていただけて助かります」

 女性は別の紙を手に取り、食事する老人に向かって読みあげた。

「では二十年前の件についてのおさらいです。二十年前、玉木様がお勤めだった学校の倉庫で火災事故が発生し、一人の男子生徒が亡くなりました」

「哀しい事故だった」

「その火災事故ですが発生時刻は午後九時です。学校はすでに閉まっており、当該生徒はクラスメイト三名と一緒に学校に侵入して花火で遊びました。その際の火の不始末で火災が発生したとなっています」

「自分の指導力不足を嘆くばかりだ」

「死因は焼死ですが、焼けた倉庫が崩れて男子生徒の遺体が酷く損壊してしまっています。そのためかろうじてわかる範囲で出すことができたものです」

「火災事故で死因が焼死だ。何かおかしいかな?」

「いえ、死因自体は焼死で間違いないでしょう。ですが一緒にいたクラスメイト三名は無傷で逃げ出せています。しかし一人は焼死。一緒にいたクラスメイトで、ここまで差が出るのは異様です」

「二十年前の倉庫だ。不可燃性の素材はまだ多く出回っていなかった。マットを始めとした体育用具に引火して一気に燃えたのかもしれない」

 紙を見ながらの彼女とは対照的に、玉木義純はスラスラと暗唱するように答えていく。それもそのはずだ。玉木義純にとってこのやり取りや会話は二十年前に幾度となく行ったこと。脳や身体や口が覚えていて、読み上げられる事故の内容に条件反射で返していた。

「死因に矛盾があるのか?」

「いえ、火災に気付くのが遅れての焼死に矛盾はありません。焼死とは基本的に煙を吸っての一酸化炭素中毒の後に身体が焼かれた状況を指しますから」

 二十年前に警察だけでなく学校や教育委員会や保護者会に弁護士など、数多の相手と同じようなやり取りをしてきた。返答に一切滞りはない。

「しかし学校の周囲の住民は花火の音を聞いた人がいません。それどころか花火をしているところを目撃した人もいません」

「花火は手持ち花火ばかりだったと聞いている。目撃するかどうかはタイミングの問題だろう」

「そうかもしれません。ですが火災事故の発生状況に疑問は残ります。倉庫は古いもので二十年前の時点でもとても珍しい木を中心に作ったものです。改築の計画も進んでいたほどです。それでも花火の火の不始末が外部からの火であれば気付くのが遅れたのは不自然です。さらに他のクラスの生徒に話を聞くと今で言ういじめがあったという証言があります」

「いじめと言っても軽度……とは、最近は言えないか。しかし小突いたりする程度の目撃証言は聞いている。それと火災事故に何の関係があるんだ?」

「そうですね。花火が屋外ではなく屋内、それも倉庫内で行われたのではないかという憶測が立ちます。そして倉庫内の備品に引火したとすれば、焼死という死因にも納得がいきます。そして倉庫内の花火といじめを合わせて考えれば、花火を使った加害行為も簡単に予想できます」

「それは憶測だろう。二十年前にもその件について生徒達に聞き取り調査を行ったし、警察の取り調べもあったが彼らはそれを否定している」

「はい。遺体が真っ黒ですからね。いじめのほぼ同時刻に負った火傷程度なら最新科学でも見つけられないでしょう」

 証拠は何一つ無い。証言と状況証拠を照らし合わせて出てきたことが追求可能な真実となる。そしてその追求可能な真実はすでに二十年前に発見されているのだ。

「ベリー君。君は一緒にいた三人のクラスメイトが倉庫内で花火を使ったいじめを行い、その際に引火したときに一人を置き去りにして逃げた。そう言いたいようだが、それでも火が出てから倉庫を飛び出すことはだったはずだ」

「健常な身体であれば、そうでしょう」

「……なんだって?」

 ベリーがさらにもう一枚、紙をテーブルに置いた。

「焼死体として発見された場合、遺体はこの図のように四つん這いの姿勢になります。炎による熱で身体がこうなるのですが、遺体も損壊はしていましたがこの姿勢だったと推測されます」

「ならおかしくないだろう」

「酷い打撲や骨折などがあって動けずに焼死体になった場合でもこのようになります。残念ながら崩れた天井によって遺体の損壊が激しく、打撲や骨折の立証は不可能だったようです」

「ならそれは全て想像の域を出ないな」

 証拠は何も無い。あれば当時、真相が明らかになっている。証拠が無いだけでなく二十年という歳月が経っている。真実は知りようがない。

「では玉木様、あなたは警察の発表が間違いなく真実だと?」

「そうだ」

「……not true、それは真実ではない」

 真実だという玉木義純をベリーはまたしても完全に否定した。

「さっきからなんだ? 何を根拠に否定している?」

「私の直感です」

「直感?」

「疑問に思うのは当然ですが、私の直感は侮らない方がいいですよ。なぜなら、嘘発見器よりも正答率がいいですからね」

 ベリーのあまりの自信満々な様子に、玉木義純の心中は穏やかではない。見えないパソコンの画面や耳にあるイヤホン。そこでどのようなやり取りが行われているかわからない。この会話の最中にも新たな情報がベリーに届いているかもしれない。

「ではその直感とやらは、いったい何が真実ではないと?」

「おおむね、です。あなたの言葉は完全な真実ではありません」

 玉木義純は背中に冷たいものを感じた。彼女が言った「完全な真実ではない」という発言は、聞いた内容は真偽が入り交じっているという意味だ。何がわかっていて何がわかっていないのか、揺さぶりをかけられている不安が重圧となって心にのしかかる。

「それに情報源はあなただけではありませんから」

 ベリーの視線がパソコンの画面に向く。イヤホンを押さえてよく聞こうとする動きも見られる。新たな情報が手に入ったのかもしれない。その動きが、玉木義純に一つの決断をさせた。

「あの事故は……偶発的に起こったものではない」

 絞り出すようなか細い声が、玉木義純の口から漏れ出てくる。

「警察が行う前に、校長と自分が聞き取り調査を行ったんだ。その時に、火事を起こした三人が自白した。死んだ大河内貞行に反抗されてムカついて、動けなくなるくらい暴行を加え、その後に花火を使ってさらに危害を加えた。その時はまだ火事は起こっていなかったが、倉庫の外で明日以降どういじめるかを話しているときに火が出て、その時にはもう助けられなかったと……」

「なるほど。それであなたはどうしたのですか?」

「学校の名誉のため、口裏を合わせた。知っているのは三人と、校長と自分だけだ」

「……the truth、それは真実のようですね」

 組織というものは体裁を保つために隠せることは隠すし、言わなければわからないことは言わないという選択をする。それは世界中のどこのどの組織をとっても似たようなもの。

「それが事の真相ですか?」

「……ああ、そうだ」

 一瞬の間を置いて肯定する玉木義純。しかしその返答には厳しい判断が待っていた。

「……not true、それは真実ではない」

 嘘は言っていない。しかし真相を全て話したというわけではない。嘘発見器よりも正答率が高いという彼女の判断は驚くほど正確。真偽しかわからなくても、真偽かどうかを聞けば話し終えていないことが知られてしまう。玉木義純が隠していた真相を覆うベールが、少しずつ剥がされていく。

「まだ言っていないことがありますよね? たとえば、遺書とか」

「なっ……」

 遺書という単語が出て、明らかに玉木義純は狼狽えた。他に知っている者がいないはずのことを彼女は知っていたからだ。この部屋の外と通信が行われているパソコンとイヤホンを彼は無意識に睨んだ。

 わずかな沈黙の後、ため息を漏らす。おそらく遺書の話を聞いたことのある者が他にもいたのだろう。玉木義純は観念して、ゆっくりと真相を語り始める。

「死んだ大河内、あいつはいじめを何度か訴えてきた。しかし当時の学校では口頭注意程度で大きく動くことはなかった。するとある日、大河内の奴は遺書を書いたと言ったんだ。自分が死んだら死んだ理由は全部そこに書いてある、と」

「切羽詰まっていることを知ってもらいたかったのかもしれませんね」

「強く訴えるためのハッタリだと思ったが、実際にそうした可能性もある。よほど思い詰めていたようだが、間もなく夏休みというタイミングでもあった。ひとまず長期の休みで何かが変わる可能性もあるとなだめ、その日は帰した」

「様子見という名の放置ですね」

「そうだ。だが実際夏休みで大きく変わることも少なくない。だから時間を置いて様子を見ようとしたのだが、その前にあの火災事故が起こってしまったのだ」

「目論見が外れて、どうしました?」

「急ぎ当事者の三人を集めて事情を聞き、口裏を合わせた。それだけでなく、クラス全員にもいじめに関しては軽度だったと証言するように指示した。これでひとまず警察相手の聞き取り調査は大丈夫だが、そこで遺書の話を思い出した」

「遺書が実在すれば口裏合わせもバレますからね」

「そこで大河内の両親がいない隙を見計らい、遺書があるかどうかを探しに大河内の家に行った」

「どうやって家に侵入したのですか?」

「屋上からベランダに降りて侵入した」

「なるほど、大河内家はマンション住まい。二十年前ならマンションのセキュリティ自体が甘いですし、屋上からベランダへの侵入に関してもまだあまり注意喚起がされていない時代ですね」

「ああ、運良く窓も開いていた。そして家に入って、大河内の机の引き出しから遺書を見つけて持ち帰って処分した」

「中身は? 読まなかったのですか?」

「……読めなかった。自分の罪状が書かれているような気がして、読めなかったんだ」

 訴えがあった時点で対応していれば起こらなかったかもしれない火災事故だ。まともな精神状態であれば平然と目を通すことなどできないだろう。

「全てを隠蔽して、保身に走って、一人を犠牲にした。それがこの件の真相ですか?」

「ああ、そうだ。これが全てだ」

「……the truth、真実のようですね」

 観念して全てを話した。玉木義純は自分以外の、当時のクラスメイト達も少なからず自白していることと、目の前の彼女に嘘が通じないということを察しての全面自供だった。

「わかりました。ではこれで全てが明らかになった、ということでお話の時間はおしまいとしましょう。これで一仕事終えました」

 ベリーはパソコンを操作して、テーブルの上に伸びていたマイクを回収した。今の会話の音声は真実の証拠として記録されたことになる。

「……すまないが、もう帰る」

 肉料理は途中から手つかずで残したまま、玉木義純は席を立った。

「かつての教え子の方々に一声おかけにならないのですか?」

「二十年前に十字架を背負わせたのだ。今更合わせる顔など無い」

 教師として正しくない行いをした。その罪悪感からかつての教え子の顔を見ることなどできない。このまま逃げるように帰り、ひっそりと世間の目から隠れて死ぬまで十字架を背負い続ける。それが自分に残された生き方だと、玉木義純は考えていた。

 そんな彼の心情に反するかのように、ベリーは喜劇でも見ているかのように突如として大笑いを始めた。

「何を言っているのですか? あなたはもうすでにかつての教え子達と会っていますよ」

「なん、だって?」

 玉木義純は記憶を遡るが、そこにかつての教え子の姿など無い。それどころか目の前にいる彼女以外の人間とすら出会っていない。思い当たる節など無い。

「二十年前にあなたが受け持っていたクラスは三十九名。一名亡くなっていますので、存命は三十八名ということになりますね」

 ベリーはそう言いながら席を立ち、部屋の中に設置されたオブジェの一つに歩み寄る。ガラスケース越しにオブジェと対面する彼女。その様子を見ていた玉木義純は我が目を疑った。

「動いて、いる?」

 気味の悪いオブジェだったのでよく見てはいなかった。しかし動きなどはなかったように記憶している。しかし今、視界に入っているオブジェはわずかに動いている。頭と胴体だけになったような形状のオブジェの胴体の胸の部分。そこがまるで呼吸をしているようにわずかに膨らんだりしぼんだりしている。

「……そんなこと……あるわけが……」

 部屋の中に設置されたオブジェの数を無意識に数えた。その数は三十八。その際に全てのオブジェに動きがあるのも見てしまった。

「完食ですか。健康なのはいいことです。美味しかったですか? かつての教え子は……」

「な……」

「切断した手足をそのまま捨てるのは勿体ないと思い、有効活用してみました」

 ベリーがニコッと笑みを浮かべる。反対に玉木義純は胸が苦しくなり、腹の中が急激に圧力を感じ、瞬時に食べた肉料理を全て吐き出す。もう吐ける物が無くなっても、何度も嘔吐いた。

「楽しんでいただけたようで何よりです。では最後にもう一つオブジェを作ろうと思いますので、ご協力ください」

「な、なんだって……」

「オブジェの作り方は簡単です。拘束してまずは爪と指の間に針を刺します。何本も刺すことで良い音を奏でてくれます。手足で合計二十本、次は手首や足首までの皮を剥ぎ、その後関節ごとに切り分けていきます。ああ、ご安心ください。時間をかけてゆっくり行いますので精神崩壊は起こりません。さらにその後同様に肩まで皮を剥ぎ切り分けると、次は頭部です。目を潰し、耳と鼻を削ぎ、口を焼いて塞ぎます。ああ、ご心配なく。全てのオブジェと同様に、人工呼吸器と栄養補給の点滴は接続します。これで簡単には死にません。後は頭部から全て皮膚を少しずつ削ぎ落とし、多少火で炙ってグラデーションをつければ完成です。わかりますか? 意識を持ちながら完全なオブジェとなるのですよ」

 丁寧な口調だが、やや早口で嬉々としている。その狂喜に玉木義純は腰が抜けてしまった。

「ひ、ひぃ……」

 一秒でも早くこの場を離れようと、這いずりながらエントランスに出た。見えるところに外への扉がある。しかしその扉に到達する前に、両足をがっしりと掴まれた。

「では、始めましょうか」

「い、嫌だ! 待て、待ってくれ! 謝るから、頼むから……」

「残念ながら、この仕事にキャンセルはありません。なぜなら私に支払われる依頼料は、依頼主である大河内夫妻の生命保険ですから」

「そ、そんな……二十年も前のことで……」

「真実を知り、必要なら復讐をしたい。当事者のその思いは簡単に時間で風化しません」

 玉木義純の身体がエントランスから部屋の中へと引きずり込まれていく。

「や、止めてくれ! 頼む! 助けてくれーっ!」

 取り壊しを待つ老朽化した美術館に、助けを求める声が響き渡る。しかし無情にもその声を封じるように、部屋の扉がバタンッと閉じられた。

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