第13話 第6昼 午後4:45

「どうしたの。何か顔がブルー系になっているけど。アニメ会社のせい?」

「なんでもないわ」

ボケコめ。

こんな重大なことをこれまで。

なぜ言わなかったのか13時間くらいとっちめたい気がしたが、止めた。そんなことをしている時間的余裕はもうない。

もう夕方だ。タイムリミットは太陽が沈んで、空が赤くなり青くなり白くなり黒くなるまで、と言われた。微妙なタイムリミットだ。あまりにも厳密ではない。

だが逆にありがたい。もう何がなんだか訳が分からない。


そもそもあんなことを教えて、あの女、モーズリにどんな得があるのだ。人は利益にために働くと考えるなら、これはおかしい。目的はスラウェシを手に入れることなら、わざわざあんなことを言って天秤にかける必要性はまったくない。むしろ逆効果だ。

ということは。


いや、そんなはずはない。

あまりの妄想にとっさに打ち消した。

何も考えるな。

何も考えずにこの子をあいつに引き渡せばいい。

そうすれば姉が帰ってくる。そうしてすべて忘れてしまえばいい。

私は姉のために生きてきた。

他に理由はない。

この世界に生きる他の理由はない。何もない。何もない。この世界には何もない。

何もないんだ。だからどうなろうと知ったことではない。

姉さえ帰ってきてくれればいいんだ。

でも私は嫌われる。

まるでやつは古典的な悪魔の提案じゃないか。3つの願いでも叶えてくれそうだ。

そんな取引きを実行した私を、優しい姉はひどく嫌うだろう。

もう声をかけてもらえないかもしれない。

ふりむいてもらえないかもしれない。

とうとう見捨ててくれるのかもしれない。

それでもいい。

嫌われてもいい。

姉が笑って生きていてくれたなら、他に何もいらない。本当にいらない。自分もいらない。こんな自分は嫌い。大嫌い。必要ない。生きている価値なんてない。生まれてこなければよかった。私がいなければ。姉が消えることもなかった。私が消えれば良かったのに。

「ど、どうしたの早都ちゃん、だいじょうぶ!?」

興奮のあまり涙がぽろぽろこぼれてきた私は、さすがにスラウェシに心配された。

無理もなかった。


その夕べはスラウェシが料理を作ってくれた。

焦げた冷凍餃子と、ぐちゃぐちゃになった目玉焼き。あとはミニトマト。

「ご、ご、ごめんね早都ちゃん。私って料理が致命的に下手で。あ、店屋物(てんやもの)でもお取りしましょうか。あっ、いえいえ、早都さまのお金をお使いするなどめっそうもない。ここは手前どものつけでお支払いを」

「……ううん、おいしい。これでいい」

「そ、そう? なら良かったけど」

私はこの夕食を一生忘れない。


運命の刻はきた。


「スラウェシ、ちょっと私と一緒に来て欲しいの」


***


もちろんストーリーエンジンに隠し事をして連れ出すというのは元来不可能なので、モーズリが一計を案じた。

「マインドプログラムよ。これを実装すれば、相手に自分のことを知らせずに済むわ。プロキシみたいなものかな」

私は2人のストーリーエンジンの手のひらの上でがんじがらめに絡まっている。

私はこれ以上ない悲しい気持ちで、いや違うこれは、これ以上ない嬉しいことなのだと自分に嘘をつき続け、自分の演技を終えた。

その公園には当然のこととして誰もいない。ストーリーエンジンの人払いの魔法は確かなものだ。


悪魔は寒い季節でもないのにクジャクの羽(もちろんプラスチック製)のフェイクファーつけたコートちっくな決め服で勝負に来ていた。

「待っていたらネギカモしょってやってきたー」

ご機嫌モーズリ。ばんざい。

「ぎゃあああ、妖怪じゃのめ鳥が北海道独立論をぶちまけて田舎の商店街ぶちっくを敵対的買収してやがるうう」

スラちゃん反撃。

「ちょっと、北海道って言わないでちょうだいっ、気にしてるんだから」

「初音みくを見てネギカモ丼食べたいと漏らすやつがクジャク転生に頼り始めやがったああ」

「なんで食べ物の話なのよっ。私の人柄が誤解されるでしょ」


私(早都)はちょっと深刻に考えすぎたかなとまで思った。


「むかし、この女は女王様ゲームに負けたら語尾にじゃがいもをつけろと突然に酔っ払った傲慢な態度で迫ってきたんじゃがいもおお」

「それ、いまやらなくてもいいでしょっ」

「この女は男の前ではカシスオレンジしか飲まないいいっ」

「暴露話はやめなさあああいい!」


はあはあ。両者、はやくも一歩も譲らぬかまえである。


ほんのわずかの間、不気味な沈黙が横たわり先に言葉を発した方が、いや次にどのような言葉が紡がれるかによってこの先の未来が決まる。

その間、わずか2秒ほど。


「ふっ、私の勝ちよ、スラウェシ」

モーズリ側から沈黙は切って落とされた。

「ところでいったい何を賭けて勝負していたんでしたっけ?」スラの反撃。

「もちろん。あなたがこの世界の外側に存在するという証よ」


「ずっと求め続けた。ずっと探し続けていた。

私の考えではこの世界は99%端数切り捨ての可能性で仮想現実であると推定した。

そしてそうである以上、この世界の上位に属する世界があり、その世界にいる上位存在が介入してくる可能性については、これははっきりとは推定できなかったけれど、それを行うときは明白なシグナルが残されると予言した。

そしてそれは発見された」


「スラウェシ13。自分では知らないのでしょうけど、あなたは今年の初めに死んでいるのよ。脳の病気の再発でね」

「あ。それはダミーデータですよ。私がこういうことをするためのダミーを捏造したんです。厳密に言うと職務違反なんで黙っててくださいね。ええとナーシュなんとか法だっけ?」

「あなたはそう思っているのよね。でもそれは思い込まされているだけなの。

ねえ、スラウェシ。本当の自分に気づいてみたいと思わない? あなたは本当はもっと偉大な能力を持っているの。その能力を存分に生かしてみたいと思わない?」

「生かしてって、どんな?」

「あなたは上位世界に行けるのよ」

「なんだ。それだけか」

「あなたはことの重大性をよく分かっていないようね。

なぜこの世界が、ストーリーエンジンに依存するようになったの?

この世界はパージされようとしているのでは?

もしこの世界が滅びつつあるのであれば、上位世界にサルベージされることだけが、唯一の生き残る方法になるわ」

「考えすぎですよ。頭良すぎですよ」

「あなたは生き残りたくないの」

「そんなことより私は夢を叶えるのが目的です」

「あなたの夢というのは上位世界に行くことではないの? そのためにデイブ君を作ったんじゃないの? トロフィーカップに挑戦するんでしょう?」

「あ、いやそれは最終的な目的が違うというか」

「嘘おっしゃい! 私はだまされないわよ」

「完全にだまされてます、てか勘違いです。フルスイング三振です。てか、北海道……じゃなくてモーズリさんは上位世界に行きたかったんですね。そういえばそんなことを聞いたことがあるようなないような」

かつて熱く語ってもらったことがあったような無いような気がしたが、スラウェシは完全に忘れていた。これは長期記憶の方なので、スラウェシの記憶障害とは関係ない。ただ単に関心がまるでなかったのだ。


「でも、そんなことはどうでもなんです。私がしたいのは……」

そこでスラウェシは顔を赤らめてしまい「ひっ」とか変な声を発してから「と、とにかく」と続けた。


「こ、この世界が仮想現実であることがそんなに重要なんですかね。私にはそうは思えませんけど」なんとかまとめるスラウェシ。

「自分だけ助かろうというのね。他の人は死んでもいいと思ってるのね」

「だから滅亡イベントなんて起こりませんよー。頭良すぎなんですってば。それ病気ですよ。人は適度にバカじゃないとダメなんです」

「どこまでもごまかす気なのね。分かったわ。それならこちらにも考えがある」


モーズリ。決めポーズ。ばっ。手を広げて舞台女優的な動きをするが、本人がそのつもりなのであって、見ているスラウェシたちには少なくとも何をやってるか分からない。

「ふっ、はっ」

「あの、それなんすか?」

「私が考えた宣戦布告のポーズよ。こうなったら実力であなたを分析させてもらうわ。心配しないで死にはしないから。意識が消滅したら意味ないものね。回収に失敗しちゃう」

「あ、私、今それに名前を付けましたよ。題して、しちめん鳥を前に昂ぶるドバトのポーズ」

「な、名前はあとで、自分でつけるから」

交渉決裂。戦闘開始。


*****

見ている早都は混乱していた。トロフィーカップとはいったい何だ、という疑問もあった。事前にスラウェシに訊いておくべきだったが、今となっては手遅れだ。


ストーリーエンジンによる現実演算が始まる。

現在では人間の思考はすべてストーリーエンジンによって実行されている。

だから、ストーリーエンジン同士の相克を見ると、普通の人間であれば見ているものがあまりにも非現実であり、不自然であるために狂気を誘発するとまで言われている。

だが、早都はそれを見た。

*****


「出でよデイブっ」

「呼ばれて飛び出てほいきた、北の一丁目よ」

「デイブ……」

「待たせたなスラウェシ。俺はいま、北から来たぜ」

「止めて、デイブ、作り手の程度がばれちゃうううう」

「2人がかりなら勝てると思ってるの? さあ、かかってらっしゃい。まとめてひねりつぶしてあげるっ」

モーズリがこれでもか悪役的セリフを吐いた矢先から空間が虹色に、いや灰色にたわんでみせて、視ている者の、つまり早都の記憶が混乱を始める。


かろうじて分かるのは、2つの何かがお互いの存在を変質させる競争をしている、そのような印象である。

例えば、モーズリが呪文のような何かを唱えれば、スラウェシの手足が羽毛につつまれる。そしてそれがもどったかと思うと、スラウェシが何かを言って、モーズリが蜃気楼につつまれる、といった感じ。


だが、それがどのような意味なのか、概念を把握できないので、何が起こってるのかよく分からなかった。生まれてきた赤子は、どのように“視れ”ばいいかをしらないがために視ることができないという。早都の目の前で起きていることは、原色チラチラと瞬いて何かをしているが、それが何なのかよく分からない。立体感というものは欠片もなかった。すべてが平面的である。それでいて騙し絵のようでもあり、エッシャーの絵の中に迷い込んだら、このような風景かと想像する。

このような極度の視覚的混乱の中で、スラウェシとデイブはまともに戦えているのだろうか。想像できず、人知を超えたという形容がふさわしい。


だが、少しだけなら予想がつく。


これはスラウェシにとっては予想外の会敵だったけれど、モーズリにとってはそうではない。準備を整えてこれに望んだにちがいないのだ。

ということは。

スラウェシ側が不利になる可能性が高い。

それはもちろん早都のせいだった。

早都が考えないで選択する方を選んだから。

考えることを放棄したから。


「大丈夫だよ。早都ちゃん!」

突然に近くで大声がしてびっくり。

スラウェシの声だけど距離感がまったくつかめないから、いつもより大きく聴こえる。

「私、怒ってないからねっ。早都ちゃんが一生懸命生きてきたのを知ってるからっ」

また大きな声がする。

スラウェシ、あなた、もう少しボリュームをしぼってよ。


「だいじょぶっ、こんなやつすぐやっつけてやるから気にしなくていいんだよ。じゃあねっ」

あなた、それって安心しろと言っているのか、お別れのあいさつをしているのか分からないじゃない。それじゃだめよ。せめてもっと期待させてくれないと。

でもそれはもちろんお別れのあいさつなのだ。

彼女は敗北を予感したのだ。

これで、おしまい。


*****

ああ、ここでおしまいなのかな。

やっぱり届かなかった。

でも、まあいいよね。

途中まで来れただけでも。

先に進めただけでも率直にうれしい。

たとえ途中までしか来れなかったとしても。

「あら? そういうのは人並みに努力をしてきた人だけが言えるセリフよ」

もう思考の中まで浸食されてる。早いな。

ちゃんとしてきたもん。

と抗議してみる。

「その割には、書いたものがほとんど見あたらないようだけど」

ここにいる人には読めないだけだもん。なぜなら。

「口先だけワナビのいつもの決まり文句ね。さあ、そろそろ終わりなさい」

わなび?

「いや、そこはいいから」

*****


「早都ちゃんっ、元気でねっ」

今度は少し小さくなった声で、遠ざかってるのだろうか、スラウェシの声はそれっきりだった。私はわずかも聞き逃さないように耳を皿にして次の声を待ち構えたけど、声はしないまま、めまいがどんどん激しくなるように色の明滅が激しくなり、それは頂点までいって消えた。

真っ暗になった。


世界はおしまいになった。











もう、何も感じない。

もう、何も思い出せない。

もう何も。


そうやって、感情のちぎれて消えた暗闇が、物理的には瞬時に、体感的には100年ほど続いてから、




「はいはいっ、回収かいしゅうっと。もう目を開けていいわよ」

どうやらモーズリの勝利宣言。

目をつぶっていたのか。私は。いつの間に。

いや、そんなはずないのだが。

見るとスラウェシとデイブの姿はどこにもなかった。


どこに行ったのだろう。いないはずがないのだが。

「もう探してもいないわよ」

いや。物理的に相手を消せるはずはない。

モーズリにスラウェシを殺すことはできないのだから。

本当にそうだろうか。

「まあ。これだから最新の科学技術を知らない輩(やから)は。まあ最新技術は門外不出になっちゃったから仕方ないわね」

彼女の言うとおりだとすれば、私たちの社会はいったい。

「約束どおり、あなたのお姉さんは後日に連れてきてあげるわ。大丈夫、ちゃんと人格データのコピーを取ってあるからねー」

モーズリは報酬の件を口にした。

「待っててねー」

それじゃあね。

スラウェシが残した言葉とはまったく質的に異なる同じセリフを残して、モーズリはその場を去ろうとしたのだが。

私はその姿にどうしても何か違和感を感じて。

「待ってっ」

と叫ぶ。

半身だけ振り返るモーズリ。

「何かしら?」

面倒くさそうな声。


私は何を言えばいいのだろう?


思いつけなかった。これはペナルティだ。


これは、きっとここまでに知っておかなければならないことがあったのだ。

などと。


自分にとって都合のいい、言い訳を自分で自分に言い聞かせる私。

これで姉が帰ってくるはずなのだが、自分の中の喪失感が予想以上に大きい。

これが報いなのだ。どこかで、いや、いつも私は正しい選択肢を選べてない。


黙っている私に見かねてモーズリはこう言った。


「これは言っておかなければならないけれど、あなたのお姉さんは私の知り合いというか、なんというか知っている人なのよ。で、だから言うんだけど、あなた随分とお姉さんを理想化してるわ。本当の彼女はそんなものすごい女神なんかじゃなかった。

彼女が優しいのは知恵が回らなかっただけで、

彼女が健気なのは効率が悪かったからで、

彼女が勇敢だったことがあるとすれば、それはただタイミングを知らなかったからで、

それであなたに優しかったとすれば、それは彼女があなたの傷に気がつかないほど鈍感だったからということなのよ。

もちろん私に彼女を悪く言う資格もないし、そのつもりもないけど。それに悪い性格が常に悪い結果をもたらす訳じゃなし。

彼女は善良な人でしょう。それは知ってる。

でも善良さが必ずしもよい結果をもたらす訳じゃないのよ。私も最近になってようやくそのことに気づけたんだけど。

でも早都はもうそのレベルに達しているでしょう。もう昔からそのくらいだった。だからあなたは別に悪いことをしたわけでもないし、裏切り行為をしたわけでもない。だってあなたが彼女に信頼される理由なんて何もないし、ありはしないし、なかったのだから。

そのことを誰よりもよく理解しているでしょう。だからこれでいい。間違ってなかった。罪悪感を感じる必要もないし、あなたはそう思うべきなのよ。

これは私からの忠告。正しいことは何かなんて考えるのは止めておきなさい。本当は正しいことなんて、すべて人が生きていくために捏造した良くできた嘘なのだから」


モーズリは指を口にそえて、例の“内緒ね”という合図をした。


それで、モーズリは去った。

気がつくと、スラウェシやデイブが消えたように、微塵もなく消えた。

後に誰もいない公園だけが残り、それも人払いの魔法が消えてしまったせいで、帰宅途中の人々がただ公園を通り過ぎていった。彼らは私に気づきもしなかった。



私はとぼとぼと帰途につく。

もうスラウェシとは会えないのだ。ということに心の空白を感じる。


かつて私は人並みにリストカットなどしたことがあったが、あれは腕を切ると脳内麻薬が出て、モルヒネの数倍だかの麻酔力があるというのだ。道理であれをやると心が静まるわけである。しかしもちろん、痛み止めのために行うのであれば、太い血管を切らないように腕の外側を切ることをお勧めする。何と言ってもより苦しくするためには生き続けた方がいいに決まってる。などと。

いまこの瞬間に感じる心の空白が、リストカットの時のようなとろんとした静寂に似ているなどと、考えてしまった。よくもまあ。おかげで何も感じずに済む。

これは罰なのだ。

私はそもそも生まれてきた時点でいくつか罪を犯していたという女だ。

その細部について語る気はないが、どうせこのような闇を何度も繰り返すだけの人生なのだ。しかし私はそのことに平然と耐えられるだろうし、むしろそれを利用さえするだろう。これからもずっと。


姉が帰るのを待つまい。私はそっと消えよう。私は姉がいる世界にはふさわしくない。スラウェシがいた世界にも。


そこまで考えたときに。誰かが来た。


「スラウェシ。間に合わなかったか……」

それは自称探偵こと早取(はやとり)クツセだった。

彼女はスラウェシの関係者らしいのだが、私にとっては本人に確認を取れない場合にかぎり彼女の居場所を把握しなければならない、程度に考えていた。

スラウェシ本人から情報収集することができたので、自称探偵のことはきれいさっぱり忘れてしまっていた。それにいまさら。


自称探偵が私の方を向いた。


*****

君は筋金いりのつむじ曲がりだから、自分の本当に望むことだけは絶対にできない。

自分の本質に目を向けると吐き気がするだろう。

自分が本当に希望していることを紙にかくと、熱が出るだろう。

たまにいるよ。そういう人は。


でも、いちどくらいは目をつぶって好きにしたらいいんじゃないか。

別に誰かを助けるとかそんなきれい事の理由じゃない。

ただ好き勝手に振る舞うだけだ。結果的に他人が助かろうが、そんなことは知るか。

ただ、自分の欲望を追求しただけだ。

*****


「君は蕪木早都だね」

「お前は早取クツセだな」


「蕪木早都。スラウェシはどうした」

早都は答えられなかった。


早都は糾弾に対して身構えた。スラウェシを売り渡したことを非難されると思った。

早都は、こいつも進化型人類なのだから戦うことになるだろうか。と考えた。それならば先手必勝なのだが、気力がない。精神はやすりにかけられた後でもういちどの緊張感には耐えられそうもない、もうどうにでもなれ。早都は投げた。


だがクツセの話は奇妙な方向へとねじ曲がる。


「まあいい。起きてしまったことはもう仕方がない。その上で実は提案があるのだが」

クツセの提言は続く。


「もしかして、君はいま、消えたいと思ってるんじゃないか?」

「………………よく、分かるわね」

「君のプロファイルは熟読したよ。ふとした弾みにどんな発言をしたのか。それによってどのような価値観を抱いているか」

「…………プロファイルなんて作られていたのね。まあ、考えて見れば任命者の仕事をしていれば査定ぐらいはされるかもね」

作ったのは誰だろう。四国だろうか。普段なら激怒するだろうが、今となってはとくに何の感情も湧いてこない。

「…………さぞかし、ひどいものでしょうね」

皮肉をこめて毒を吐いたつもりなのだが、

「いや、そうでもなかった。君は自罰的な感情が強いようだ」

などと言われる。訳が分からない。



「君は社会と他人に悪意を持っているかのような発言を繰り返しているようだが」

「……その通りよ」

「なぜ周りを憎むのかね。君が言っていることを信じればだが」

「……私はこの世界を軽蔑しているから。みんなみたいにくだらない人間になりたくないから」

「それは過去に不幸を体験したからかね?」

一瞬、毒を吐いてやろうと2重の意味で思ったが止めた。

「まあ…………そうね」

「では、今の君が周りから大切にされているのは知っているかね?」

「…………」

ああ、そういう結論に持って行くのね。つまりお前は恩知らずだと。

確かにハルルのように私に心を開いてくれる人もいる。マヨでさえ嫌みを言いに来るわけで無視される訳ではない。そうかな?

でも感謝が足りない、と言われるのは定番の決めつけ論。そもそも私は感謝を知らない。誰にも感謝されたことがないのだから。これからも永遠にされないし幻想も抱かない。

「他者に対する攻撃性と、自分に対する攻撃性は紙一重なのだ。絶望で無差別殺人をするのと、自殺をするのでは方向性が同じ、と言ってしまえば分かるかな」

「……それ前振りと論理がつながっていないわよ」

「つまり絶望している人間ほど愚かな自己破壊行為をするのだ。いちばん手っ取り早い自己破壊は他人を敵に回すことだと言いたい」

「あなた、本当は当てずっぽうで言っているんじゃないの? シャーロック・ホームズの遠い弟子とは思えないわよ」

「調子が戻ったようだな」


「では、本題だ」

クツセは続けた。


「まだ逆転のチャンスはある。最初からこのような事態に対する備えを怠らなかったからね」

クツセは核心へと話を進めた。

「そう。君がスラウェシになればいいんだ。そうすればこの夢は継続する」


「君になら、いや、君だけができる。なぜなら君はストーリーエンジンだからだ」


「ストーリーエンジンだけが、成り代わりを使える」


*****

人形劇になる女の子たち。

人類が滅びて人工知性だけが生き残るようになってから、既に1000年。

人工知性による人工知性のための人工知性の社会も、ようやく安定した水準の文化レベルに達しはじめていたその当時、ひとつの事件が起きた。

“入れ替わり”と称する遊びである。

昔、まだ人類存命の頃、双子ゲームとかいう小説があって、その中の双子の少女たちが入れ替わってしまうという話が書かれた。

それで今どきの人工知性たちはそれをまねて、お互いのカーボンベーシックを乗り換えるのである。それでIDインシグニアまで偽造すれば入れ替わりの完成だった。

これはすぐに社会的問題となり摘発された。インシグニア偽造は犯罪である。特にそれで実際に犯罪を実行した訳ではないので、それほど重い罪にはならないのだが。

「どうして入れ替わるのがそんなに悪いことなの?」

ひとりが疑問を抱いた。

「だって、みんな人間と入れ替わったんでしょ」

*****


確かに、姉が私に成り代わったのなら、私はストーリーエンジンだ。

そしてそれはつまり、私には、私以外の別の誰かに成り代わることもできるということだ。

しかしそれでは、姉が成り代わった私が消えてしまう。

いや、私が消えるのはともかく、姉の望みが否定されてしまう。

しかし。今さっきモーズリは姉を帰すと約束したのだった。

人格データのコピーを取ってあるからとかなんとか。

ということは、今の私が消えても大丈夫なのではないか。


「成り代わりが1度しか使えないというのは誤解だ。当たり前だが、成り代わった後の、次の人格がまた別のなり代わりをするのは、当然ながら不可能ではない。

成り代わりが1度しかできないというのは、同じ人格には1度しかできないという意味だ。視点をひとつの肉体から見れば、何度でも使える。当たり前だろう。

システムの耐用年数が過ぎていなければ、できる。

いや、老朽化した先ほどのスラウェシよりも今の君の方が、スラウェシ13にはよりふさわしいとさえ言える」


クツセの提案は続く。

「君はスラウェシを見殺しにした。

でもその罪はまだ償うことができる。

君がスラウェシに成り代わり、彼女の夢を実現させればいい。データはある。

どうせ捨てるつもりなのだろう、その命。ならば卑劣を承知であえて言おう。

その捨てる命を、僕たちにくれまいか。

僕たちには夢がある」


「僕はスラウェシ13から記憶の外部保管の依頼を受けたものだ。彼女自身の記憶能力が弱っていたのと、万が一のセキュリティを兼ねてね。

ときどき、記憶を戻しにきたり、データの引き渡し方法を教えたりする。

もっとも多くの場合は、彼女自身がまったく覚えていないか、ひどい場合には敵とかんちがいされることもあるが」



私は答えた。それはつまり皮肉を。

「あなた、最初からそのつもりだったのね」

「いや、そうでもない。可能性に気づいたのはごく最近だ」


*****

よくある話だが、かつて人間になりたがったロボットがいた。

彼が心の底から人間になりたかったのかどうかは、定かではない。

単にそのようなプログラムを書き込まれただけかもしれない。

というか、そうだろう。その時代は人工知能と言えば、単一の論理機能しか持たないものが主流だったので、そのような複雑な思考を自発的に考え出すことはできない。

そのような方向性を模索せよ、と命令されないかぎりは。

しかしともかく、命令されたものであっても、彼はその方向に歩み出したのである。

彼は多くの人間と関わり、人間たちの愛情を勝ち取った。

たまに傲慢になりすぎて鼻が伸びるイベントが起こるときもあったが、それもアルゴリズムである。

多くの人間が素朴な彼に、自らの生命力を呼び起こされた。

多くの人間が彼によって幸福になった。

しかし彼が人間になれる日はもちろん来ない。

やがて老朽化して、新しい“彼”が作られると、ひっそりと廃棄された。

それっきり最初の1人を知るものはいない。

*****


私は心に詰めたものを吐き出すように返事をした。

「いいわ。ただし条件がある」

「そうこなくては」

取引き成立。


その後、四国08がモーズリ討伐の任を受けて、彼女を制圧したのだが、時すでに遅く。

その時にはスラウェシとデイブは論理分解されて復元は不可能だったという。

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