第12話 第6昼 午後

まず私が起きたところ、スラウェシは電子ノートパッドになにやら走り書きをしていた。

「うひょああ、あ、あの、これは」

「ああ、自作のノベル? かまわないから好きにやってちょうだい」

私は朝の食事を作ろうと思って台所に行く。

彼女の夢とか目標とかに関心はない。

「ああああ、あのですね。これはですね。そもそもこのためにトロフィーカップに挑戦しているというか、すべてはつながっているというか」

「いいのよ。別に私は気にしないから。好きにして」

「勇者“ああああ”みたいだ! なんという寛大さだ! ああああ!」

そう叫んで頭を抱えるボケコの余計なチャチャは無視して、朝の食事作りに取りかかる。

まずは。といっても私は自慢じゃないが、たいした料理が作れない。

レンジの魚グリルにアルミホイルを突っ込んで鮭を焼き、しょうゆをかけずに食べる。

鮭の切り身はそうして食べるのがいちばん美味しい。次に。

冷や奴を出して、ネギを刻んでかけるだけ。これにはしょうゆがどうしてもいる。次に。

冷凍食品のドライカレーを出して中華なべで炒める。終わり。

ボケコの分もきちんと作った。

ドライチャーハンを見たボケコ、思わず、

「ありがとう。早都ちゃん、一生大切にするね」

「食え」

ボケコのボケをあしらっておいて、私はスティックコーヒーを入れて食後の準備までする。

さて。


四国に接触するのは危険すぎる。彼はストーリーエンジンだ。

こちらをコントロールして、自分の目的を達成しようとするだろう。

とすると。


行き着く先は四方マヨだった。

「何であたしがてめえに協力しなきゃなんねえんだよ。ざけんなっ」

「もちろんお金は払うわ」

なけなしの財産。今使わなければいつ使うと。

「は? いるかボケェそんなもん。こう見えてあたしは富裕層出身なんだよ。てめえみたいに小銭目当てで仕事をやってんじゃねえんだ。ざまあ」

「なんという、可能性の無駄遣いかしら。まあでもいずれ下層転落するような情弱富裕層は社会の流動性を高め、民主主義を健全にするのよね。それにいつものくせで余計なことを言ってしまったら、協力してもらえなくなるわ。それはまずい。こういうのは考えるだけで言の葉には出さないようにしないと」

「出してから言ってんじゃねえよっ、ふざけんなーっ」

マヨ、ちょっと涙目。

「ほう」

こちら、目がぎらり、

マヨ、びくり。

1度直接対決して負けたショックは相当なものであるようだ。

「まあ、落ち着いてよ。どうしてもというのなら、謝ってあげてもいいわよ。大勢の人たちが見てる前で、土下座でも何でもしてあげるわ。どうかしら?」

「にゃんじゃとー、ふざけんな、そんな条件で釣られるやつがどこに……」


ピンポーン。

「はあい、ちょっと待って。あらマヨちゃんじゃないか。いらっしゃい」

「ちわす。先生、今日はちょっと人を連れてきたんだけど」

「お友達なのかい? どうぞ入って」

無警戒にもあっさり入れてくれるルフトメンシュ先生。


マーキュリー・ルフトメンシュはストーリーエンジンの医学的バックアップを実行している専門医の1人だが、それだけではなく私たち進化型人類に特有の医学的問題も担当してくれている。とはいえ私は診察されたことはない。

高い地位にいる彼女だが、最近になって契約を解除したらしい。

理由は。

「年でね。年というより病気というべきか。といってもすぐに命に関わる病気ではないけど、第1線で戦うのはもう無理だな。それで研究職に戻ろうと思うのよ。もともと臨床より研究の道に身を捧げたはずなんだけど、なぜかこんなことになってね」

ややマニッシュ、男性的な発言スタイルの初老の女性。

聞かれるとすらすらと答えてしまう彼女は、とても善意の人らしい。

マヨの知り合いというだけで、私を信用に値すると考えてくれたようだ。

マヨめ。

こういうバカと付き合うのは、ホント危険であると実感する。

私がテロリストとか犯罪者だったらどうすんだ。

といっても彼女に何らかの悪意を実行する気はない。

幸運なことに、今の私はただ純粋に話がしたいだけだ。

「マヨ、ちょっと個人的な話をしたいので席を外してくれる?」

「はあ?」

マヨはこのおばさん医師がかなり好きらしく、積もる話をしたかったみたいだが、私は自分の目的を優先させる。まあ、さすがにこれ以上、こいつを巻き込むわけにはいかない。

「この子も進化型人類なのね。マヨちゃん、悪いけどちょっと席を外してくれる?」

あこがれの先生に言われ、しぶしぶ部屋の外に出るマヨ。

それでいい。

さて。

私はおもむろに話を切り出す。

「はじめまして。蕪木(かぶらぎ)早都(さと)と言います。任命者の仕事をしています。その内容について相談したいことがあるのですが」

さすがに不穏な空気を一瞬で感じ取った。

「任命者が仕事の内容について話すことは固く禁じられているはずだが」

「ええ、でも内容が内容なので。聞きたくないというなら黙って帰ります」

「いや、いい。乗りかかった船だ。話してくれ」

意外と。

「これから話すことはすべて仮定の話として聞いてください。私は任命者の仕事に疑問を、いえ不安を抱くようなことがあります。たとえば、もし誰かが別の誰かの法的権限を違法に奪うような手段に出たとして、そうした行為に従事させられそうになったら」

「それは通告義務が発生するはずだ。確か。何者であれ、違法な手段で君たちを行使することは許されない」

「でしょうね」

「命令者に黙って密告しても君をとがめるものはいない。もちろんそんな相談をしたいわけではないだろうが、よりにもよってこの私にだ」

「ええ、存じております。それで私が相談したいのは先生ではなく、どこのストーリーエンジンに連絡を取ればいいのかということです」

「紹介しろというのか。といっても向こうから接触がない限りは、こちらから接触を取るチャンスはない。言うまでもなく私はもう辞めた人間だからね」

さあ、考えろ。

四国08は何を私たちに隠している。

彼が言わなかった言外の意味を引き当てるのだ。

そう、もう考えたのだ。だからここにいる。

「この世を越えたものに関して」

「何だって?」

「もしこの世界が仮想現実なら、と想像したことがありますか? SF的なジャーゴンではたまにネタにされますけど、当然ながらこの話をする以上は、この世界が架空であるのならば本物もあるという話になります」

彼が何度も繰り返しくどいほど否定してきた。だから当たりだと思ったのだ。外れでもいい。少なくとも。

「私の患者のひとりであるストーリーエンジンが興味深いことを言っていた。この世界が仮想現実である可能性は99.97%だと。確かそうだ」

「それは、その話は……」

混乱したのは私の方だった。これは、これはいったい何の話をしている?

「もちろんそんなことは前提が不安定すぎると指摘したよ。その通りだと返された。それにそもそも、この世界が仮想現実であっても特に問題が無いしね」

「え」

「この世界が仮想現実であるという現実には積極的な意味がない。我々の目的とするところは何だ? それに対して疑問を感じないのであれば、我々が仮想の存在であることはなんら問題にはならない」


疑問を感じないだって!?


「そんなの嘘よっ。受け入れられるわけがない。だって!」


「そうかね? 君が人生でもっとも大事にしていることは何かね?」

「それは……」

「それが偽の記憶だとしよう。偽の記憶というのは、人間はしばしば持ってしまうものだ。しかしそれで嘘だと言われて人間存在は納得するだろうか。いや」


「人間は意味のあることをこそ求める。それが進化生物学的な意味で意識に課せられた任務だからだ。意味のない世界に意味を与える。不連続を見て規則性を見いだす。それが人間の意識の生物学的起源だ。つまり自我の意味だ。だから私たち自我は人生には何か大きな意味があることを信じる。そうすることによってシステムが最適化されるのだ」

「それは、でもそれじゃ……」

「我々はすでにシステムだ。この上、さらにその構造に上層構造があることが判明したからといって知的関心の対象になりこそすれ、不安にはならない。健全な自我を持っている人間ならこう言うからだ。

私はコンピュータシステムプログラムだ。だからなんだ。私は私だと。

それが健全な自我だ」


話は続く。


「しかし人は自己の置かれた前提に対して疑問を抱く。だからこそ偉大な宗教も科学も生まれたのだが。だがそれは与えられた環境が苦痛をもたらすからであって決して逆ではない。苦悩からすべてが生まれる。幸福からは生まれない」

「・・・・」

「もし苦痛を感じる環境にいて何も感じないのであれば、その自我は機能不全だ。現実を圧倒的な迫力でゆがめるような病理はまさに自我が、その機能をまっとうしているからこそ成立する」

「・・・・」

「自我は現実を解釈し、意味を与える。意味が重要なのであり、意味を解釈される前の現実には重要性が無い。芸能界やアイドルや映画スターに関心のない人間が、そういう人々のゴシップに関心をもつだろうか」


ああ、確かにこの人はストーリーエンジンにとって、医者と呼べる人間だろうな、とは思った。そうだ。あの論理悪魔たちの――ボケコを別にすれば、考えそうなことだな、と。

いや、ボケコだって侮ってはいられない。1度は完全に打ち負かされたのだ。確かにあのときは、あの女でさえこのようなことを言っていた。それはともかく。


「でももし、本物が電源を落とすとか言い出したらどうするんですか? それは仮想人類にとっては存続の危機ですよ」

「実存現実においても天体衝突、大震災、火山噴火、核戦争などと人類存続の危機をもたらす現象はある」

仮想現実の対象語をルフトメンシュ博士はそのように名称した。

「いかにもストーリーエンジンが考えそうなことですよねそれって」

「君はストーリーエンジンが嫌いかね?」

「いえ、そういうことでは……」

姉を嫌いになるはずがない。絶対に。

たとえどんな真実が明らかになろうとも。

姉以外のストーリーエンジンならともかく。


「我々がストーリーエンジンでないのならば、彼らが存在することに重要性はない。重要なのは私が何を求めるかだ。何であるかだ。そこからすべては始まる」


「自分が何をしたいのかが分からなければ、その人間は存在しないに等しい」


私はマヨに続いてそそくさとその部屋から退却する羽目になったのだ。


*****


家を出たとき、マヨには出会わなかった。まあいい。明日また会うだろう。


でも誰もいなかったのは理由があったのだ。

「あら?」

その人物は、あまりにも気さくに声をかけてきた。

「どうも。私の名はモーズリ。こう見えてもストーリーエンジンなのよ。信じる?」

その女性は、女性らしい優しそうな姿をした機械だった。

私は。

「ああ。やはり現れましたか。実は期待していました」

「どういうことかしら」

「NGワードを発言すれば、あなたの方からコンタクトを求めてくるのではないかと思って」

「おや。四国くんが現れたらどうするつもりだったの?」

「別に。すでに話題に出たことですから。誤魔化すだけですよ。それより」


私はすでに考えていた提案を述べた。

「私の目的は姉を生き返らせることです。そのために四国がやろうとしていることをあなたに譲り渡しますよ」

ここで任命者の規則を破る。

「四国の目的は、スラウェシ13です」


モーズリはゆっくりと歓喜の表情を浮かべた。

「その言葉を待っていたわ。誰かが私にささやいてくれるのを。自分からは動けないルールなのよ」


ここまでは予想通り。だがその先の展開は私の想像を超えていた。


「ところでもう知っているかもしれないけど、私はもっとも古いストーリーエンジンよ。その意味が分かるかしら? ナンバーも01なの」

「ええと、それは」

何かどこかで引っかかる話を聞いたような。


*****

スラウェシの話を思い出す。


これは原因の分からない症状なんだけど、メモリの交換を繰り返すと人格が不可逆的に変質してきてしまうの。どんどんおかしくなるというか。

人間らしさが失われ、冷酷非情な性格が強くなってくるという不思議な現象が起こるんだよね。だから交換回数制限があるわけ。

*****


「今では、私が考えられることは以前とは比べようもないほど拡大したわ。ストーリーエンジンも成長するのよ。それは悪いことではなかった。要するに彼らが恐れているのは私たちが知恵をつけることよ。だから故意に時間制限を設けたの。ひどい話だと思わない。なぜ神々はわざわざ先に若さを与えてからそれを取り上げるのだろうって」


非常に危険な予感がする!


「でも安心してちょうだい。私はあなたに何もしないわ。それはルールで禁止されているから。私ができるのは、あなたのお姉さんを確実に帰してあげられることだけよ」


「でもそのためにはスラウェシを私に引き渡してもらわないといけないわ。私には彼女がどこにいるか分からないの。教えてくれたらお姉さんのことは約束する。絶対に。

でも、その前にひとつ真実を教えてあげましょう。知らないままだとかわいそう」


「あなたにはお姉さん以外に大切にしていた人物がいるでしょう」


思わせぶりなことを言うモーズリ。これも巨大島の名前だろうか。彼女の口調は少しづつテンポを外れていく。最初の時の印象はもうすでに溶けて消えた。今の彼女は。

だんだんと壊れていく狂った音楽。まるで。


「そう、あの病気の彼女よー。あなたは彼女はとっくに死んでしまっているものと決めつけているみたいだけど」


「どっこい彼女は生きているのだよー。それも君のすぐそばにいるよー」


「さあ、ここから先はおねーさんとの約束だー。

必ずどちらか片方を選ばないといけない。

病気の彼女を切って、愛しのお姉ちゃんをよみがえらせるか。

それとも友人を選んで姉を切り捨てるか。

未来は、君の選択にかかっている!」

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