第17話

 「大統領が親しく大使を迎えたこともあり当初は野村大使に期待していたハル国務長官が、中国内での日本軍部の動きもあって日本への猜疑心から次第次第に大使に対して冷淡になったことが回顧録に滲んでいるわ。避暑を兼ねて療養のためにウエスト・バージニアのサナトリウムに逗留中のハルを大使が自ら運転して訪れたことがあった。しかし、大使が有効な提案を持参するとは考えられないとハルは面談に応じていない。片道三百五十キロもの距離を運転してきた一国を代表する大使に対しては礼を欠いているわね」

 「もうひとつの例がある。真珠湾攻撃の当日、当初の約束時間から小一時間遅れて国務省に到着した野村、来栖両大使を長官室で出迎えたハルは両大使に着席を勧めなかった、とわざわざ回顧録に書き残している。ところが、攻撃から半年後に出版され当時の状況を公にした最初の出版物といわれるホワイトハウス詰めのふたりのジャーナリストの手になる書では、両大使は着席したとある。また、当時の国務省経済部長が戦後に著した書でも、両大使は黒皮の椅子に着席していたとある。回顧録を執筆中のハルは野村に対して嫌悪感さえ抱いていたかのようだ」

 「ハル・野村会談は元々大統領が過去の推移を振り返る非公式な場と提案して始まったものよね。でも、米国が頻繁に非難した中国大陸での日本軍の行為など過去の懸案事項を話題にして逐次意見の交換をしたことは議事録には残っていないわ」

 「野村はそれよりも目の前の和平実現に気が取られていて、死んだ子の歳を数えるような過去の出来事を振り返る余裕はなかったのだろう。ハルが不満を漏らしている」

 「大統領の狙いは実現しないまま開戦を迎えてしまったことになるわね。それもハル・ノートを最後通牒と理解した日本と、あれはその後の交渉のスタートと位置付けた米国との相違を生む要因となったのでしょうね」

 「和平交渉の役者としてはハルと野村はミス・マッチだったのかもしれないね」


 エリザベスが塚堀の事務所のドアーをノックした。迎えに出た塚堀に、「ジム、書類が整い、相続が近く完了することになったの。これもジムのお陰だと、母があなたにお礼をしたいといい張るのだけど、受取ってくれるかしら?」

 「リズ、お礼を受取るほどのことはしていない。当時の日米関係を知る機会を提供してくれてこちらがお礼をしたいくらいだよ。志だけをありがたく受取るとレベッカに伝えて欲しいな。代わりに介護施設に寄付をしてくれれば多くの入居者のためになるがね」

 「ジム、寄付はよい案ね。祖父も喜ぶかもしれない。母に伝えるわ」

 それから数週間後にレベッカが介護施設から退所した。冬も暖かいメキシコ湾に面した南部にある私営の老人ホームに入居するそうだ。看護師と定期的に訪問する医者を備えた施設だそうで、遺産金のお陰で介護保険を心配せずにすむ。

 エリザベスは偶々離職者が出て空席だったそこの看護師の職を手にすることができたそうで、レベッカと共に引越しをした。


 介護施設の前庭に小奇麗な石造りのベンチが設置された。ふたりの女性看護師が立ち話をしている。

 「綺麗なベンチね」

 「ジョージ・ジョンソンとマイケル・スミスからの寄贈とあるわ。だれかしら?」

 「一年ほど入居していたレベッカ・ギブソンを覚えているでしょう。このふたりの内のひとりがレベッカのお父さんだそうよ」

 「覚えている。認知症にしてはしっかりした患者さんだったわね。南部の私営の施設に移ったそうだわ」

 「なんでも多額の相続があって、その一部をここに寄付したそうなの。それを記念したベンチだそうよ」

 「私にも突然相続があったらよいのにねー。でも周囲にはそんな財産を遺す親戚はいないわ」

 「私もよ」

 ケンタッキーの春は一斉に木々が開花する。ブルーの空に白いドッグウッズの花が映える。日本にも渡ったアメリカハナミズキだ。


                 完


引用・参照文献


“How War Came” Forrest Davis & Earnest K. Lindley, 1942

“Peace and War United States Foreign Policy 1931-1941” 1942

“Papers Relating to the Foreign Relations of the United States, Japan: 1931-1941” 1943

“Ten Years in Japan” Joseph C. Grew, 1944

“The United States Strategic Bombing Survey Summary Report European War” 1945

“The United States Strategic Bombing Survey Summary Report Pacific War” 1946

“Investigation of the Pearl Harbor Attack, Report of the Joint Committee, Congress of the United States” 1946

“Secret Missions” Ellis M. Zacharias, 1946

“The United States Strategic Bombing Survey, the Effects of Air Attack on Japanese Urban Economy” 1947

“The Memoirs of Cordell Hull” Cordell Hull, 1948

“President Roosevelt and the Coming of the War 1941” Charles A. Beard, 1948

“The Road to Pearl Harbor” Herbert Feis, 1950

“Turbulent Era A Diplomatic Record of Forty Years 1904-1945” Joseph C. Grew, 1952

“The United States Navy in World War II” S. E. Smith, 1966

“The United States Marine Corps in World War II” S. E .Smith, 1969

“Freedom Betrayed” Hoover Institute Press, 2011

“Pacific Crucible” Ian W. Toll, 2012

「日米開戦への道」大杉一雄 2008

「開戦神話」井口武夫 2011




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真珠湾奇襲 米国に史実を隠蔽する格好の口実を与えた“宣戦布告の遅れ ジム・ツカゴシ @JimTsukagoshi

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