第5話

 エリザベスが続ける。「ジム、このニューヨーク・タイムズ紙は、“日本軍の攻撃は宣戦布告に先立つもので、コーデル・ハル国務長官が七日にそれを非難する声明を出した”と報じているわ。これが歴史教科書にそのまま引用されているのね」

 記事の見出しには“日本は邪悪で卑怯だ(infamy)”とある。

 「このinfamyなる語が連邦議会場で対日宣戦布告を要請したルーズベルト大統領の演説にも含まれていたのよ。今でもその時の様子がテレビで放映されるわ」

 エリザベスの言葉の通り、このinfamyなる語はそれ以来日本を指す代名詞に使用されることになり、米国民の多くは日本人は卑劣で卑怯な民族だと語り継いできたのだ。

 「ジム、こんな記事もある」とエリザベスが紙面のある記事を指差す。

 そこには、東京で当時の東郷茂徳外相が米英両駐日大使を呼び、前月の十一月二十六日に提示されていた米国政府による和平提案に対する日本政府の正式回答を手渡したとある。

 「この二十六日の米国の提案とは、ハル国務長官が野村大使に手渡した文書ね」

 「そうだ、日本では“ハル・ノート”と呼ばれている」

 「東京で米英両大使が手にした、そのハル・ノートへの日本政府の正式回答文は、ワシントンでは真珠湾攻撃後に国務長官に手渡された文書と同じものだわね」

 「その通りだ」

 「この文書が日本の米国に対する宣戦布告文だったのね」

 「日本はそのような解釈を唱えてきた。そして、日本では手交が遅れた理由としてワシントンの駐米大使館の手落ちだったと解説されている。これはこの新聞記事にも名が出ている当時の東郷茂徳外相が日記にそのように記していたからだとされている。この開戦時に外相だった東郷茂徳は、偶然だが終戦時の外相でもあり、戦犯として収監されている。日本政府はこの外相による私的日記の記述を黙認したままになっているんだ」

 「ジム、大使館の手落ちでなければ、他になにかあったことになるわね」

 「そうだ。それを解説した書がいくつか日本で出版されていて、説得力に富んだものもある。ただし、日本側の事情は記されているが、ワシントンではなにが起きていたのかに言及したものが見当たらない。それを知れば真実を知る上で助けになる。終戦時に多くの記録を破棄してしまった日本と異なり、米国には記録が残されている。君のお祖父さんからの至急電報の謎を解くためにも、米国に残された記録を追う必要があるね」

 「それに、ジム、基本的なことだけど、すべての外交電報を傍受していた米国政府や軍部は、手交が遅れた日本政府の文書をすでに目にしていたはずだわね。宣戦布告の文書を目にして、なぜ大統領も国務省も、そして軍部も行動を起こさなかったのかしら。日本政府が宣戦布告文書と主張してきたあの文書は宣戦布告文書ではなかったのでは?」

 エリザベスの鋭い指摘に塚堀は感心した。これは塚堀も長年の間疑問を抱き続けてきたことだった。あれほど広く語られる日本政府のハル・ノートに回答した文書だが、外務省が英文で作成したその原文を引用した解説書を塚堀は手にしたことがない。今回の謎解きのためにも原文を見直す必要があると塚堀は考えた。


 大学図書館を訪れたエリザベスが一冊の分厚い書を塚堀の前に置いた。タイトルに“真珠湾攻撃に関する米国連邦上下両院合同調査報告書”とあり、終戦から一年後の一九四六年七月二〇日に公表されたものだ。

 「ジム、図書館員の話では、戦中の一九四三年に公表された、真珠湾攻撃直前まで継続された日米和平交渉のすべての外交文書を収録した国務省の報告書や、真珠湾攻撃の数ヵ月後に出版されたホワイトハウス詰め政治記者の手になる書も存在するそうなの。でもこの議会調査報告書には攻撃を受ける直前の経緯や当日の様子が詳しく記録されているので、先ず、この調査書に目を通すように勧められたのよ」

 「リズ、この調査書の存在を耳にしたことがあるけど、実際に手にするのははじめてのことだ。分厚いが一週間ほどで読み終えることにしよう」


 こうして日中は塚口が事務所のテーブルの上にこの分厚い調査報告書を広げてノートを取り、塚堀の事務所から数分の総合病院に勤めるエリザベスが帰宅途中の夕刻に立ち寄って報告書を自宅に持ち帰り、翌朝に塚堀がまた手にする日々が続いた。久方ぶりで机に向かうわ、とエリザベスはこの作業が満更でもないようだ。


 一週間で調査書を読み終えたふたりはお互いのノートをつきあせることにした。エリザベスが休暇が溜まっていたと一週間の休みを取ることができたので、毎日事務所のテーブルに向かい合ってそれぞれのノートと調査書を確認するふたりの姿があった。

 「この議会の調査に先立って米国では七つもの調査が存在したのね」

 「最初の調査委員会は真珠湾攻撃直後の一九四一年十二月十八日付けルーズベルト大統領令によって設けられている。当時の最高裁判事だったオーウェン・ロバーツが委員長を務めたロバーツ委員会の調査で、翌年の一月二十三日に調査結果が報告されている」

 「二千百七十三ページにも達する膨大な調査書は、真珠湾に司令部を持つ陸海軍による警戒態勢の不備があのような損害をもたらしたとして司令官の海軍提督と陸軍大将を糾弾したとあるわ」

 「しかしこのロバーツ委員会による報告書の欠点は、戦時中のために当時の外交上や軍事上の機密書類に言及することがなかったことにある。やがて攻撃直前までの外交・軍事双方の機密記録が関係者以外にも明らかになるにつれて、ロバーツ報告書は真実を反映していないという批判が出るようになった。そのためロバーツ報告書で漏れてしまった事項を補おうと六つの調査委員会が設けられた。しかしどれも完全なものではなく、日本の敗戦が濃厚になった終戦間際に全貌を明らかにしようと上下両院による合同調査が実施されたんだ」

 「それまでの調査の欠点を補うために両院による調査が細部に及んだことが随所に記されているわね」

 「その一例に、攻撃の数日前にホノルルの日本領事館に勤める料理人による電話のエピソードが記載されている。それによれば、料理人がホノルル在住の某日系人に領事館が大量の書類を焼却処分していると電話したそうだ。その電話をFBIが盗聴して、開戦が間近い恐れがあるとFBI内では当時の長官のフーバーまでこの情報は報告されていた。ワシントンの陸海軍関係者にもこの情報が伝わっているが、肝心のホノルルの両司令官には伝わることがなかった。真珠湾の司令部だけでなく、ワシントンの米軍トップがこぞって危機感を抱いていなかった一例として引用されている」

 「日本軍による攻撃を事前に察知することができたであろういくつかの事例も記載されているわ。米軍のレーダーが最初の空襲に向かう大量の機影を捉えていた。それにもかかわらず、それは米軍機のものだろうと現場が判断してしまい司令部に報告されていない。また真珠湾内の艦船の動きを報じる日本宛の暗号電報も解読を終えたのは真珠湾が攻撃された後のことだったとあるわ。日本のハワイ襲来はだれにとっても想定外だったことが明らかだわね」

 「この調査書の結論部分を見ると、ロバーツ報告とは異なり、失策は現地の司令官ではなく、首都のホワイトハウスや海軍省、陸軍省そして国務省が外交上や軍事上の機密保持にこだわるばかりに情報を現地に流さなかったとして、当局のトップの責任、としている。そのトップには大統領も含まれるとあるね」

 米国政治史では唯一四選をはたしたフランクリン・ルーズベルトが終戦の年の春に病死した。ルーズベルトが存命中は出現しなかった大統領への批判が出始め、この連邦議会による調査にもそれが反映されている。


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