第4話

 「父に至急に伝えなければならないことがあったのだわ」

 「レベッカ、その伝えなければならなかった理由はどこにも記録がないそうです。大量の日本軍機が真珠湾を急襲したのはその朝の八時ちょっと前で、ワシントン時間では昼過ぎのことでした。おそらく夜勤明けのお父さんも海軍省に緊急招集され、スミスに電報を送ったり電話をするどころではなくなってしまったのかもしれませんね」

 これまでの会話を興味深げに聞き入っていたエリザベスが、「ジム、アメリカの歴史の授業ではあの日本軍の攻撃は宣戦布告のない卑劣なものだった、と教えているわ。でもあの日に実際に起きたことは、私もそうだけど、多くの米国民は知らないままだわね。日本の外交電報を傍受していた祖父がなにか歴史教科書が伝えない機密情報を手に入れたのかしら」

 塚堀は米国に住んで通算四十年になろうとしている。現地時間では十二月七日だった真珠湾奇襲が毎年その日に話題になり真珠湾では追悼式が開かれる。塚堀が商社の駐在員として着任した一九七〇年代には、その日に邦人社員の子弟が近所の子供たちから石を投げつけられる事件も起きた。毎年その日になると日本は宣戦布告無しに戦争を始めた卑劣な国だと話題になる。

 しかし塚堀も実際はどうだったのかという疑問に答える情報を持ち合わせていない。歴史教科書が伝えることを記憶しているに過ぎないのだ。

 「リズ、このスミスが受取った至急電報と真珠湾攻撃との関係を知るためには、あの日に起きたことを振り返る必要があるね。終戦に際して多くの記録を捨て去ってしまった日本と異なり米国には記録が保存されている。リズ、ボーリング・グリーンにある大学図書館で役に立つ資料が手に入るかもしれない。当ってみてくれるかな?」

 「ジム、来週に休みをもらって図書館に出向くわ。謎が解ければ私も母も安心できるから」 


 塚堀もインターネットを利用して関連資料を検索してみた。検索して直ぐに、ある出版社がニューヨーク・タイムズ紙の過去の一面だけをコピーして出版していることを知った。当時の米国側の事情を知るために、奇襲翌日の一九四一年十二月八日付け紙面のコピーを取り寄せてみた。

 送られてきたものは十二月八日のニューヨーク市内版最終刷だった。エリザベスにそのコピーを見せた。

 「マア! 当時のニューヨーク・タイムズ紙は一部が三セントだったのね。天気予報も掲載されている」エリザベスが驚く。

 “天候は曇りがち、翌日は曇天で、前日の最高気温が華氏の三十四度、最低は二十五度だった”とある。摂氏に換算すればプラス一度と零下四度で、翌日は気温が下がろとあり、ニューヨークではどんよりとした肌寒い日が続いていたことになる。

 その一面トップには、“日本、米英両国に開戦、ハワイを奇襲、洋上では激戦が展開されている”と大きな活字が躍り、七ヶ所で日本軍の攻撃があったことを示す地図が掲載されている。

 「“真珠湾上空に達した日本海軍艦載機群による最初の急降下爆撃は日曜日だった前日の七日午前七時五十五分、米国東部時刻では午後一時二十五分のことだった”とあるわ」

 地図と記事を見比べていたエリザベスが、「ハワイだけでなく、グアム、フィリピンにも日本軍機が襲来し、上海では英軍艦艇が沈没、シンガポールにも空襲があったとあるわ。ハワイの東側にも日本軍は侵入していたのね。ハワイとサンフランシスコとの中間点で木材を運搬中の米陸軍輸送船の一隻が日本の潜水艦による魚雷攻撃を受け沈没したとあるわ」

 塚堀が驚くほどエリザベスが関心を示す。 


 日米戦争が始まるちょうど一年前の大統領選挙では、米国民を海外の戦場に送り出すことは絶対にないとルーズベルトは何度も強調していた。しかもこの大統領の公約にあった戦場とは欧州を指し、多くの読者は日本との間で戦争が起きることなど夢にも考えていなかった。その年の春から断続的に持たれた日米和平交渉の存在を大統領が国民に明らかにしたのも十二月七日の直前だった。

 今でもそうだが、米国の一般市民が手にする世界地図は真ん中に大西洋が描かれ、左側に南北米大陸が、右側は欧州、アフリカ大陸から中東、アジア、そして豪州が続く。日本は右端に浮かぶ文字通りの極東の小国に過ぎない。その小国が米国を相手に戦争を起こすことなど一般の米国民には想定外のことであった。

 ハワイは地図の隅に別に記載されているのが通例で、真珠湾攻撃を耳にするまで米国民の多くはハワイがどこに位置するのかを知ることもなかった。太平洋をはさんで両国が相対する見慣れない地図の上で真珠湾や西太平洋での日本軍の行動を知ったことになる。真珠湾奇襲を報じるこの紙面にニューヨーク市民が釘付けになったのは当然のことであった。市内のラジオ局が朝の八時から夜の十一時まで毎時に臨時ニュースを流すことも紙面にある。


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