第20話 万年筆のはなし

 昔から万年筆に憧れていました。

 子ども心に、あれを使えば字が上手に書けるに違いない、と思っていたのですが、人生そんなに甘いものじゃない。

 字はいつまでも汚いままです。練習しないから仕方ないか。


 万年筆を握ると、なんだか崇高なる文章が書けそうですけど、これも人生そう甘くない。持ってるものがないのだから、そう簡単に書けるわけないやん、と自分に突っ込み入れつつ、何が書いてあるのか分からない字で紙に名前だけ書くという。

 単なる冷やかし。

 せめて字が上手かったら恰好つくのにな。


 そんな憧れの万年筆。

 今や子供向けの製品がありますよね。文具屋で見て、早速お買い上げ。

 字の練習をしよう、なんて張り切ったのもつかの間、お気に入りのジェットストリーム(ラジオじゃないですよ)に取って代わられている万年筆。

 いいのです。いつも私は形から入るのです。

 いつか万年筆で綺麗な字が書けることを願いつつ、身近にあれば書く機会も増えるというもの。


 実は、万年筆に憧れた最初の光景があるのです。

 それは母親が(私と同じで字が汚い)金のペン先の万年筆で手紙を書いていて、なんだかそれがとってもカッコいい、と思ったのです。


 母親は高卒で就職した人ですが、父親(私からすると祖父)から就職祝いに貰ったその万年筆を大層大事にしてはりまして、それもなんだか「いいな」と思ったのです。想いの詰まった金のペン先の万年筆。

 ペン先から生み出される、へなちょこな字までカッコよく見えたのだから、相当ですよ、これ。

 万年筆イリュージョン。

 ブラボー。


 そんなわけで、大きくなったら、絶対自分の万年筆を買って、小説を書くぞ、なんんて夢見ていたわけですが、デパートの万年筆売り場に行ってびっくり。

 モンブラン、高い……。

 貧乏学生には手が出せない。

 小説どうこうは置いといて、大人って感じするから、と安易に万年筆を買おうと意気込んだ私。

 現実は甘くない。

 まだまだ、そういうレベルじゃないんやな、と闘志を燃やしたわけですが、結局、ペンはパンに負けたわけですね。


 あれから万年筆売り場に行ったのは人にあげるプレゼントを買う時だけ。

 会社のバイト君が卒業するお祝いだとか、大学入学祝いだとか。

 古風かもしれませんが、万年筆は大人の証。子どもには書きこなせない魅力がある。

 「ペンは剣より強し」と思って文章に磨きをかけて欲しいな、とか、自分を棚に上げて思ったりもしますが、それは受け取り手の自由。

 しまい込むもよし、ペンが折れるほど書き込むのもなおよし。

 それでも、万年筆には物語があってほしい、そう思います。

 


 

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